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ねがうこと、ゆだねること

“Go to Japan, it’s safe“ Lady GAGA

2011-05-18 | 環境
ニューヨークの遊び方という
ブログで知ったんだけど、
ニューヨーク、ボストン、
フィラデルフィアで発行されている
METROという日刊フリーペーパ5/17号
Lady GAGAの特集だった。

表紙を初めとして何箇所にわたって
彼女のインタビューが掲載されて
いるんだけど、最後から2P目に
「日本へ行こう」と呼びかけて
いるのは、凄いしありがたいなぁと思う。

その後半部分を転載すると
“Go to Japan, it’s safe, continue to support the
relief efforts but know that it’s only 0.1 percent
of the country that was affected and that we’re
doing more harm to Japan by staying away than by going.
Enjoy their beautiful cities and landscapes.
Always looking forward and not looking back,
never operating from a place of fear.”

拙訳やけど、試してみると;

「日本へ行こうよ、だって安全だし、継続して
復興努力を支援するために。ほんと日本の0.1%が
被災しているだけなんだから、行かない方が
日本に悪影響を及ぼすことになるわ。
日本の美しい都市と風景を楽しみましょう。
いつも前向きに、後ろを振り返らないで、
恐れの気持ちで向きあってはいけないわ。」

日本への特別メッセージもオフィシャルサイトで
発信している;


私自身、及び世界中にいるモンスター(私のファン)に
なり代わって皆様に愛と支援の気持ちを
お送りしたいと思います。
ここ最近皆様のことをずっと想い、祈っています。
いつでも私は喜んで皆様の助けになりたいと思い、
被災した皆さんのために私たちとして出来る
限りのことを行っています。
ハウス・オブ・ガガがデザインしたこの
ブレスレットの売り上げは既に150万ドルに達しました。
このブレスレットには英語と日本語で「PRAY FOR JAPAN」
と書かれています。出来る限りの義援金を
集めることによって、皆様の助けになればと思っています。
いつも祈っています。

アイシテイマス。ミンナノタメニイノッテイマス。
愛と祈りを込めて、レディー・ガガより。

ずっと想い、祈っているのはホント嬉しい。
Lady GAGAは日本びいきだと言われる。
TOKYO LOVEというタトゥーを入れ、
柴犬YOKOを可愛がるという。

それだけではない愛情が感じられる。
同性愛コミニティにもハイチ地震支援にも
積極的だそうだ。

震災の被災地を音楽で支援するイベント
「MTV VIDEO MUSIC AID JAPAN」6/25を
幕張で開催して彼女は来日して歌う。
来日を拒む人達が多いのに。

最後に5/10にリリースされたばかりの新曲のMV
Lady Gaga - Judas




南三陸町・山の恵み

2011-05-02 | 環境
共同生活の中心はなんといっても食事。
食材の調達をするため山に行くことに。

食料配給は避難所を優先した後、
南三陸町の13の町内会に分配され
当番制で自宅まで届けてくれる、
それも毎日。

道路が直ったから買い物だって車さえ
あればなんでも買える。でもお金を
かけないのがこちらの知恵。

山菜摘みは今年初らしい。
慣れない山歩きは疲れたけど
豊作だったから楽しいし、
なんせ新緑が美しい。



ワラビ、ゼンマイ、椎茸、たらの芽、
漉油、ワサビを採った。漉油はたらの芽に
似ているけど初めて。

自然に生えてる椎茸も初めて。
倒れたクヌギの木に生えていた。

ナメコの種菌を桜の木に埋めたのも
初めてだった。椎茸とやり方は一緒。
電動ドリルで木に穴を掘り、種菌が埋めてある
豆粒大の木片を木槌で入れていく。

炭焼き小屋だって初めて見る。丁度炭を
作っていて煙が盛んにでていた。
共同利用で誰でも利用できるそうだ。



家を失ったけど元の場所には戻りたくないと
いう夫婦のために、おいしげった竹林の土地を
分けることになったそうだ。

もとの土地には愛着はもちろんあるけど、
なにもかもが失われた平野を眺めながら
暮らすことは耐えられないと。

地盤は岩盤質でよいらしいが、まずは竹の
伐採を行わねばならない。業者に頼めばできるけど、
そのお金を節約したいから、コツコツ竹を刈っている。

よしっと手伝いはじめたけど10mに届く青竹は
手強くって、たくさんある枝を切って
整えるのが一苦労。枝がでている節の根元に
ノコギリで筋を入れるとポキンと折れる。



畑でノラボウ、ワケギ、ハーブ類を収穫し
家にもどると餃子の皮も手作りをすることに。

市販の餃子を包んだことはあるけど、
皮から作ったのは初めて。大人5人が
顔をつきあわせて皮をこねる。

それらを料理してくださった料理の
美味しかったこと!お酒も話も弾んだ。
震災の話ばかりなんだけどね。

外にでれば満天の星。
自然の豊饒さと恐ろしさを間近に感じる。

南三陸町・海の恵みの喪失

2011-05-01 | 環境
勤めをしながら漁師をしている方から
話を聞いた。舟と家を失ったそうだ。
ご家族は幸い無事。

震災で海の魚はどうなったのか
とても聞きたいところだった。

瓦礫は海まで同じだそうだ。。
つまり津波は建物や車などの残骸を
平野だ海だといった区別なく
残していったらしい。

魚の棲家が流され、餌となる海藻類も
破壊されたので沿岸漁業は2,3年は
戻らないのではないかと。

加えて今回の震災で漁業関係者が
多く亡くなったそうだ。志津川魚市場
でのセリが14時に開かれた。

14時46分の大地震はセリ終了後の
漁業関係者が海岸周辺に残っていたので
被災した人が多かったらしい。


志津川湾の朝

お聞きすると志津川湾は天然もので
知られた産地で、アワビ、ウニ、カニ、
タコ、ウニなど他では食べられない
ほどの美味だそうだ。

三陸沖は世界三大漁場だと言ってるけど
沿岸部もいい漁場なんやね。

志津川湾は子供の頃は格好の遊び場
だったそうで、近年とは比較にならない
くらい魚が捕れたそうだ。

海の汚れもあるけれど、過密化した
養殖場などさまざまな要因があるらしい。

南三陸町自然環境活用センター(ヒトデの
研究では日本随一らしい)などさまざまな
機関とも連携して、震災の後処理だけでなく、
真の海の復興を目指せば、今回の犠牲も
少しは浮かばれるかもしれない。

被災地・過去と明日へ向き合う

2011-04-30 | 環境
三陸町から帰ってきたんだけど、行ってる間は
ブログがなかなか書けなかった。現地でやれる
ことを優先しようって思って書くことはアキラメ。
何回かにわけて書いていくね。



泊めてもらうなどお世話になった知合い宅は
山側で海岸から道なり5キロあたり。
だから家は大丈夫だった。

といっても2キロと離れていない所から瓦礫の山。
そんな山の間まで津波が押し寄せたのは驚き。



家を失った知り合い家族を受け入れて
共同生活をしてはる。当初いたばあさんは
仙台の家族にひきとられ、別の家族が残っている。

被災状況は職住命で分けられる。
失ったのものが仕事場か自宅か命か。
この家族は職住がなくなり命が助かる。

彼らは幸い10倍をこえる仮設住宅の抽選に当たり、
再度の引越しの準備中。家電は一揃い最新機器が
揃っているので、衣類と食器類を集め中。



自衛隊、医療関係、自治体職員、企業体の応援、
親類友達、ボランティアもたくさん来ているが、
もともと地縁、ご近所付き合いも蜜でしょちゅう
行き来して、話をしたり、物を上げたり
もらったりしている。

何度も何度も311当日を振り返り
失われたものがどう失われたか、
なにが失われなかったか終わること
なく語ってくれる人達。

その日にたちもどって再構成をしつづける
ことで現実との折合いをつけようと
必死なのかもしれない。



ぼくが一番できることは話をお聞きすること
かもしれないって思う。

どうにもならないけど、どうにかなるって
前向きな人達が多かったのは恵まれたのかも。

新しく始まった日々、そして明日を
どうするかいっぱい心配し、いっぱい
笑い飛ばしている。

瓦礫の山

2011-04-29 | 環境
本吉街道という旧道を車で運んで
いただきながら、海へ向かう。

低いなだらかな丘が続く。新緑に覆われはじめ
山桜が点在するのどかな美しい風景が、とある
時点で一変する。

山あいが一面瓦礫の山。まだ海は見えない。
こんな山あいまで津波がおしよせたのかと、
言葉を失う。わずかに残る家でも2階で
逃げ遅れた誰々さんのところだと言う。

それから志津川湾に至る30分間、廃墟とでも
言えばいいのだろうか、瓦礫が延々続く。
それでも自衛隊のおかげで大分片づいたん
ですよ、と教わる。被災時はどんな状態だったんやろう。

メディアを通じて知ってると思っている状況は、
平面的な映像を頭の中で自動的に再構成したものだ。
現場にたつと、瓦礫の山というボリュームある存在が、
僕の全感覚を包む、いや皮膚を通りぬけて刺さる痛さ。

基礎だけを残して根こそぎ建物がもっていかれている。
仙石線という鉄道は盛土をわずかに残して、
レールがない。山に開いたトンネルの入口と
盛土の跡が鉄道だったことの痕跡。

3階建てのコンクリート建物が2つ、屹立している。
合同庁舎と病院だそうだ。窓が無くなって躯体の
枠だけが残る。屋上に逃げてもまだダメで鉄塔に
よじ登って助かったところ。眼下を人が流されて
いくのを鉄塔に捕まりながら見なければ
ならなかった状況。

3年前に来た時とはなにもかも違う。
アスファルトとコンクリートに覆われていた
中心街が土がむき出しになっている。

材木を燃やしているが塩をかぶっているから
ダイオキシンの発生になるから止めたいと。
生きることへの希求をダイレクトに感じる。

地獄という表現

2011-04-28 | 環境
昨日もちょっとふれたけど、
明日から震災のひどかった
南三陸町へ行ってくる。

一足先に三陸高田へ行かれた
善光寺住職の若麻績さんの
ことは以前書いたけど
「地獄をみた思いです」と、
言ってはった。

 「地獄ですよ。とにかく地獄だ。
あれは見た者じゃなきゃわからない。」
(仙台若林区で救出された)男性は、
疲れ切った表情でそうつぶやいた。
朝日新聞3/12



たすけあいジャパンを主宰している
さとなおの今日のブログには
週刊文春に掲載された報道カメラマン、
不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹の文章を紹介している;

「世界中の紛争・災害を見てきたつもりである。
しかし、そのどこよりも、東北の地獄より
ひどい現場はなかったと断言できる。」
その上で
「歴戦の強者ですらこんな断言をする現場である。
特に沿岸部の被災地に行かれる方はよっぽどの覚悟と
装備が必要だと思う。」と警鐘を鳴らしている。

地獄という表現が使われるのは、どの災害・戦争
なんだろう。覚悟をいれて、しっかりと手伝って
こようと思う。

ロボットが福島原発に調査侵入

2011-04-18 | 環境
東京電力が福島原発事故修復の工程表を発表したが、
専門家はかなり疑問視している。

「努力目標という印象。原子炉などがまだ完全に
制御されていない状況のため、実現はかなり厳しい
のではないか」吉川栄和・京都大名誉教授(原子炉工学)

工程表に関しても、努力とか希望観測だけとは
心もとない。最悪のケースをだすべきやと思う。

工程表には予算の裏付けが必要だとすると
これ以上の悪化には耐えられないのだろうかって
疑ってしまう。



1号機3号機の原子炉建屋の内部状況を、
遠隔操作ロボットで調査した放射能量が
報じられた


高い数値だから作業員が立ち入って工事を
するのは難しいことが改めて確認。ロボットが
撮影した3号機の建屋内部(未公開)には
多量のがれきが映り、ロボットの前進も
困難だったという。

現場で事故原発に挑んでいる人達には
言葉がない。高放射能のなかで、損傷箇所を
特定するのだって難事業。まして直すとなれば・・


原子炉建屋にロボットが入った時。アームでドアを開けている。

内部を調べるのは水素爆発以降初めてらしいが、
そのロボットのメーカーがなんと
3月から自宅で活躍を始めた掃除ロボット
「ルンバ」の会社iRobot社だそうだ



この3月から家の掃除に威力を発揮しているけど、
そんなロボットも作っているとは驚いた。
日本政府などの依頼ではなく、無償提供らしい。

米国NASDAQに上場している唯一のロボット開発会社。
昨秋のCEO記者会見の様子はこちら

311から1ヶ月

2011-04-11 | 環境
311からちょうど1ヶ月。
各地で黙祷が行われた。


気仙沼 鮭孵化場

いつもどこでかで祈ってても
みんなで一緒に祈ることには
意味があろう。

天気も呼応したのか雨となる。
ずっと晴れていたのに。
昭和天皇の国葬(大喪の礼)の日も
雨だったことを思い起こす。


東京タワー(太陽光発電)

夕方には大きめの余震が来る。
福島で震度6弱。その後5弱が続く。
余震がまた増えている。 怖い。
机の下に頭を突っ込むのも
慣れっこになってきた。

原発の事故も収まらない。
数ヶ月から数年はこの状態が 続くと、
原子力安全委員会の 松浦祥次郎元委員長が
NHKで話していて驚く。

余震も原発事故も打ち止め感がない。
地震が続くこと、原発事故も原発も
続くことを内包するような対応を
求められるのだろうか。

終わりのない危険・・内戦で
暮らす人々のような智恵が必要なのだろうか。


ベトナムの小学生
海外からの応援メッセージから、外務省まとめ)

野川公園、春。

2011-04-10 | 環境
都知事選に投票に行ってから、
野川公園に遊びにいく。

野川公園は1980年(昭和55年)
基督教大学(ICU)のゴルフ場を
東京都が買収して公園となる。

大学でゴルフ場って何してたんだろう?
今でも芝生が多く残っているから
あちこちで寝転がりたくなる。

その名も野川が公園を走っている。
子ども達が川遊び。源流は国分寺の
日立中央研究。2年前に水源を見ている。


花見は自粛で人は少なかったかなぁ。
染井吉野、枝垂れ桜より山桜が
いい感じに思えた。


満開時に葉がついているので
色合いが美しいって感じたのね。

いろんな花が咲いていたけど、
名前がわからないのがちょいと悔しい。



ススキの穂がとんだ痕


ナナホシテントウ虫

南三陸町。311と今。

2011-04-09 | 環境
消息が無事とわかった南三陸町の
夫婦とやっと電話が通じた。

娘さんがdocomoの携帯電話を
手渡すことで回復した。
携帯電話はdocomoに軍配。

被災の状況がわかる。
当日は奥さんが海岸の知り合い宅で地震に遭遇。

車でゆっくり走ったことあるけど
海岸線からの平地が狭いので、家は
わりと密集して建っていた記憶がある。




彼女の知り合いが、津波が来るって叫んだ後、
サイレンが津波警報を何度も告知。

すぐさま二人で自動車に乗って山の方へ避難
し始める。もう何カ所か信号は消えてた
そうで、交差点や道で渋滞が始まる。

なんとか自宅にたどり着くのだが、
あと10分遅かったら、車ごと津波に
のみ込まれていたって後からわかる。

逃げだす前にいた知り合い宅は
流されて、すべてを失う。



夫婦の家は山の方なので無傷。
インフラがずたずたで、
電気は4/20頃復帰予定。
ガス、上下水道は半年かかる。

幸い薪ストーブが主たる暖房なので、
薪でお米も焚いている。井戸水もあるから
他の家よりかなり恵まれている。

家を失った家族を3組受け入れてたそうで
大したもの。

避難センターからは、ミネラルウォーターと
即席ラーメンの支給があるけど、飽きたと。



それなら食料を送ろうと思う、それと衣類。

段ボールにつめて郵便局に行くと、
南三陸町は届かないので
宮城県の3つの郵便局に局留めと。

しかもサイズがトータル100cm以下っていうから、
荷作りした箱3つは大きくて送れない。。



息子さんが何度も送ってるて言ってたのは
宅急便なんだとわかり、集荷に来てもらう。

日数は4日かかる可能性もあります、と
いいながら簡単に受付てくれる。

荷物輸送では、クロネコヤマトに軍配。
多くの社員が東北地方のロジスティック復旧に
応援に行ってるとのこと。

(追記、翌4/10午前中に到着、はやっ。
クロネコさん、ご苦労さまでした)