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やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

急速に発達した低気圧vs爆弾低気圧

2012-04-03 | 環境
きっつい暴風雨だったね。早めに帰宅したから
電車もそんなに遅れてなかったけど、中央線も
後で止まったみたい。

雨もだったけどなんせ風がすごい。傘なんか
さしてられへんかったね。38地点で観測史上
最高速度を記録したらしい。そのひとつ羽田空港で
秒速35mの記録、ってことは時速に直すと126km。
早っ。

低気圧とか台風並みとか爆弾低気圧とか
マスコミ各社もいろんな呼び方してた
みたいだけど、見た目には大型台風そのもの。

気象庁に揃えて「急速に発達している低気圧」と
表現しているところが多数、たしかに急に大型化
して驚いた。

気象庁で検討したけど正式採用には至っていない
「爆弾低気圧」って言葉を使ったところも。
英語の「bomb cyclone」を直訳したらしい。
いままでも使われたことあるらしいけど、初耳。

なんか凄さはあるけど、爆弾って感じはないなぁ。
「爆弾低気圧28号」とか言うのが流行るのか。



天気図を見ると高気圧に囲まれて、日本列島が
すっぽり低気圧に覆われている。



衛星写真をみても、台風のような渦巻きはない。
気圧差によって暴風雨が引き起こされている。

山下達郎TFM『追悼と復興祈念プログラム』

2012-03-11 | 環境
311から1年。どこにもでかけないでラジオを
聴いて過ごす。FMラジオをステレオから聴く
のは久しぶり。どこも震災特集だ。

震災の復興にむけてさまざまな動きをしている
人達が登場して、明日への希望もしくは信頼を
語る。被災地から勇気をもらった話も多い。
偉いなぁ、我が身を振り返るとほとんど何にも
してない。



そんな中で山下達郎さんのTOKYOFM『サンデー・
ソングブック』は心に残る。1000回を越える
長寿番組らしいけど、聴くのは初めて。

被災した方からの投稿を山下さんがコメントを
挟まず、ひたすら読んでいく。それはもう痛切な
便りの連続、ひとことでは言えない。曲紹介もなく彼が
インスパイヤされた曲、311以降作った曲がかかる。

「さてまもなく、午後2時46分となります。」

あぁ、そんな時間なんだと思う。この一年が
ふっとよぎる。(こちらより引用)

「今日は政府主催の追悼行事を始め、全国の津々浦々で
追悼の催しが開かれている事と思います。あれから一年、
あの大震災で失われた多くの命を悼み、多くの財産、家、
畑、工場、鉄道、車、船、家畜、それらの失われたものの
大きさに思いを馳せ、この先決して容易ではありませんが、
それでも未来へ向かって引き続き様々な形での復興に向けた
努力が一日も早く実を結ぶことを祈りつつ。

そのために、この国に生きる全ての人々が、助け合い、
心を一つに出来ることを願いながら、只今から1分間の
黙祷を捧げたいと思います。

皆様、ご準備ください。
それでは皆様、黙祷致しましょう。」  
  
黙祷を始めたら、お寺の鐘の音が続いた。
祈ることはできる、そして祈ってる自分も意識できる。
散らかっている家の掃除をすることにした。

傑作、山口晃展

2012-02-28 | 環境
銀座、エルメス8Fのギャラリーで山口晃展が
始まる。2/11~5/13。銀座三越で開催されたのは
規模も大きかったけど、立体もあったし
堪能したのが、ちょうど一年前なんだね。
もっと昔に感じる。



今回は規模は小さいけど傑作ぞろい。
まずはエスカレータを降りたら広がる
のが「忘れじの電柱/2012」



日本の電柱の美しさは彼のモチーフだし、
銀座三越でも模型があったけど、今度は
高さがある。

ここからはちょっとネタバレに近いものが
あるかもしれないけど、なにが驚いたって、
この電柱。

もともとこのギャラリーにある柱を利用したん
だって。この柱の存在を覚えていない、っていうか、
いかに見てないか、やね。

これまた一年前やけどここに曽根裕さんの「雪」
見に来ている。



ほら、柱も利用して雪の結晶が展示してある。
う~ん、確かに見ているハズなんだよね、柱。
よく言えば、作品しか見ていないって言える?

逆に、山口晃さんはこのギャラリーに来たときに、
どなたかの作品があったとしても、この柱に目が
行ったんだろうなぁって想像する。

彼には電柱に見えていたに違いない。
等間隔で数本あって、太さといい長さといい
電柱だぁってw

もうひとつの傑作はまた明日にでも。
写真はこちらこちらから。

NHK 「“震災失業”12万人の危機」

2012-02-10 | 環境
深夜番組で1/719:30~の再放送をやっていた。
震災で直面する失業を丁寧な聞き取り調査を
行って状況を把握しながら、各ケースの方々の
生活に密着する労作だった。

箇条書きでうまくまとめてあるサイトはここ

石巻の場合、200社あった水産加工業が9割
操業再開できていない。工場の地盤が崩れた
ままで、それを私企業では負担が大きくて
進んでいない。全国3位の水揚げ量だった
石巻のコア産業が眠ったままでは雇用が痛む。

企業からの申請によって国が地盤を直す仕組みは
できたそうだが、手間が掛かってほとんど機能
していない・・これがNHKの批判の軸をなす。

仕組みは徐々に整備されていくけれど、それが
生活者によって使いこなせない、生活者本位に
なっていないのは、お役所仕事にありがちな話。



失業は雇用労働者と自営業者にわけてレポート。
そろそろ失業保険が切れる時期。復興の土木の
臨時雇用といった仕事、少なくてしかも低賃金
くらいしか無いのが実態。水産加工の仕事も
少しずつ増えているそうだが、単純作業しかない。

水産加工の仕事を続けたいなら、他県で探すしか
手がない。石巻では8千人が他県へ離れた。
「血縁・地縁・社縁」の崩壊がまだまだ進んでいる。



被災した自営業者はもっと厳しい。雇用保険が
ない上に、借金を抱えているケースも多い。事業を
していれば借金があるほうが普通。

美容室のオーナーが紹介されていたが、新築した
店の借金1500万円、再開に必要な改築備品に
1000万円かかる、いわゆる二重ローンの問題。



これも機構が買い上げる制度はできたが、1000件
申請して認められたのが1件という。

いっぽう、行政の支援とは違う復興ファンドの試みが、
紹介されていた。これには朝日新聞の記事「広がる
復興ファンド」
がある(2010 9/5)。まだ少ないが、
被災事業者への支援の動きもある。



復興庁も動き始めたことだし、復興の動きが本格化
することを祈っている。

放射能汚染土壌の行方

2012-02-01 | 環境
今回の除染に関して環境省から法律法令、
工程表、ガイドライン等々がたてつづきに
発表されている。

財政的な裏付けも補正予算そして本予算が
承認されれば、4月から本格的に除染活動が
始まるやろう。



除染しながら原子力汚染に立ち向かうこと、
移住して安全な居住環境を確保すること、
さまざまな希求がフクシマから聞こえてくる。

企業としてかかわっているのはソフトバンク位
とも聞く。財団を通じて移住促進の支援事業等
行っている。



中間処理施設とよばれる保管所も発表されている。
仮置き場に3年置く間にその建設を進め、30年間
汚染土壌を保管しておくものだ。

放射能による土壌汚染はやっかいだ。ボクが
経験したのは、千葉県での再開発で元クリー
ニング屋さんの排水による土壌汚染がわかり、
その除去費用が3億円くらいだった。広いったって
100メートル平方の土地なのに結構費用がかかる
と思った。

東京都の築地市場移転もどうなってるんだろう?
移転先の東京ガスの所有地の土壌汚染の対応ないし
処理費用がネックになっている。まして放射能だから、
その扱いが難しい。



汚染水の処理は水の方が容易だと想像できる。汚染水を
吸着材に通すことで、放射能物質を低減したり、水を蒸発
させることで容積を減らすことが可能だからだ。

土の場合、そんなに圧縮できないだろうし、放射能物資を
どうやって取り出すのだろう?放射能汚染土壌の受入先も
見つからないから、とりあえず集めて地下に保管と。
30年間でちょっとは放射性物質も減るだろうけど、
どうやって処理するのだろう?

処理の方法があれば、工程表に書かれているはずだし、
いまから処理を進めればいいわけだからね。
よくわかっていないから、もっと考えなくっちゃ。

『河北新報のいちばん長い日』

2012-01-17 | 環境
仙台に本社をおく東北の地方新聞
河北新報が震災にどう対応したかの
ドキュメントを書いた『河北新報の
いちばん長い日
』(文藝春秋)を読む。

それは被災した新聞社がどう被災者と
地震&津波と向き合ったかの物語。


311当日の号外は新潟日報の助けを得たもの

取材をすること、その原稿をデスクに
送り込む困難さは全国メディアと変わらないが、
(それも他紙より大変だったんだけど)
それを編集→印刷→配送→配達→集金
することがどんなに大変かそしてそれを
どう切り抜けて、休刊をせず継続できたか。
販売店では24人以上の犠牲者も出たそうだ。

備えもあるがいろんな人達の熱意、協力の
総結集につきる。1日2回約50万部を発刊
するのだから。

電力、通信がとまると、テレビ、ラジオ、電話が
繋がらない被災者からどれほど新聞が必要とされたか。
新聞を渡してごくろうさま、と言われたことはあったけど
ありがとうって言われたのは初めてだったそうだ。



記者の宿命だが、被災している人を助けるのか
報道をするのか・・に悩む・・例えば取材をする
ヘリコプターに救助を求めて手を振る人々の
建物に着陸できない。

他紙が載せる悲惨な写真をあえて載せないことで
被災者と共に、の立場を鮮明にしていく。

支援物資や手紙、投稿が全国から寄せられる
ことも、絆を文字通り感じるものがたくさん
感じられる一方で、被災地の盗難やフクシマへ
取材できない悩みから記者を辞める話まで進行物語。

一連の報道で河北新報は去年の新聞協会賞を
受賞している。



すべて実名入り。文章を読むことで彼等の
状況、悩み、そして解決していく様子が
想像できるのが不思議だとも思う。想像を
こえたできごとだから。

でも、「今も、私たちの東北は大震災の
ただ中にある」との言葉は東京にいる
ボクはどこまで理解できるのだろうか。

床の間のグロリオサ

2012-01-02 | 環境
元旦はぼくの両親、今日は嫁さんの両親に会う。
仙台で作られたおせち料理をつついたり、
東京の絞りたてのお酒をいただいたり、
のんびりした正月だ。

いろんなことを話題にする。健康、仕事、親戚、
社会、政治・・そして震災。

料理研究家って2世が活躍しやすい話。土井勝→善晴、
辰巳浜子→芳子、小林カツ代→ケンタロウ、
栗原はるみ→心平などなど。 故土井勝さんの
レシピで作った黒豆を頂きながら。。

パティシエって人気の職業で、このフランス語を
小学1年生でも知ってるそうだ。なのに
pastry chef(英語)やケーキを意味するガトー
(仏語)があまり使われないのは変だって話を
ケーキをつつきながら。。

新作のアプリをiPadでみたり、パソコンの操作を
教えてあげたりもした。



母が床の間に活けていたグロリオサが美しかった。
掛け軸の墨絵に合う。


雄しべの感じがユリによく似てると思う。
調べるとユリ科グロリオサ属だ。

なんでも球根が強い毒性をもってるので、
食べると死ぬそうだ。それが山芋に似ているから
誤ることがあるらしい。高知市がサイト
よびかけている。国内では7割以上を栽培してる
のが高知市なのね。


上がヤマイモ、下がグロリオサ。確かに似てる。
美しいものには毒が隠れているのかも。

石巻+フクシマのボランティア活動

2011-12-22 | 環境
震災復興へのボランティア活動を
しているOn The Roadの事務局長
伊知地さんに話しを聞く機会がある。

ボランティアの受入拠点を作り、
方針を決め、ボランティアを組織化
していく諸活動には集まったボラン
ティアの同様頭が下がる。

石巻では多い日は300名近い人達が
集まり、登録ボランティア数が1万
6千人をこえる。

瓦礫の撤去に始まり、個人宅の清掃、
加工工場の清掃などの活動が「日本一
の泥出し部隊」と賞賛されている。



自立支援を行ない、災害復興のモデルと
しての普遍性までも確立しようとの志が高く、
清掃から産業・コミニティ復興に軸足が
移って
いるそうだ。

個人商店の立ち上げ、イベント開催、
物産展の開催と平行しながら、年明け
700坪の2階建てを着工するそうだ。
物販、飲食、イベントに宿泊までの
機能をもたせる。



石巻での奮闘ぶりがフクシマに伝わり、
彼等はフクシマにも支所をもつようになる。

それだけに(それだから)フクシマのむづかしさに
直面しているそうだ。想像以上にやることが
見えにくいそうだ。

除線ひとつとっても、土を数センチ削りとる
作業を実施したところ数週間以内に、数値が
もとに戻るらしい。

山や森にたまった放射能が降りてくるそうだ。

「しぜんびと」の見立て

2011-12-03 | 環境
庭のシャラが変調かと心配になる。樹の皮が
次々裸にむける。


佐伯造園さんに連絡すると、看てみなくて
はわからないということで来訪。すると、
皮向けは普通にあることで、幹が大きくなると
脱皮を何度か経て大きくなるそうだ。

最後の脱皮でサルスベリの様につるつる
した木肌になるって教わる。それより
心配なのはシャラはこの気温上昇で
枯れていくトコロが多いと。



うちのシャラは良くも悪くもないと。
家の北側に植えたから、高温化の弊害を
まぬがれているかもしれないと。



せっかくなのでヤマボウシもみてもらう。
移植して8年。年々枝振りは大きくなるけど、
一度も花が咲かない。

佐伯さん曰く、4~5輪の花は最低咲くんだけど、
といいながら樹のあちこちを触る。



「まぁまぁ元気なんだけど、春になったら
土を掘ってちょっと根を切ってみようかね、
刺激を与えると咲くときあるから」

樹木ドクターやなぁ、佐伯さんというか
植木屋の人って。



日本の大学で教えている マイケル プロンコ
連載しているNewsweekで植木屋さんのことを
東京を住みよい街にする「しぜんびと」の力
と賞賛している。

植木屋さんの仕事を見て、私は妬ましくなった。
彼らは松を救い、アジサイを元気にし、キンモクセイを
整え、不要なものを庭からすべて取り去った。
明確な目的意識と理解の深さを見ているうちに、
私も草木の仕事をしたくなった。

東京が巨大で、有機的につながった都市だと
感じられるのは、建築家や都市計画家ではなく、
「しぜんびと」の力だ。彼らがいるから、東京は
仕事の場だけでなく、生活する場所になる。


しぜんびととしぜんの力がなくっちゃね。
ご苦労さんでした、佐伯造園さん。また
来春よろしくです。

南三陸の畑の実り

2011-11-30 | 環境
5月連休に手伝いにいった南三陸町の夫婦から
収穫物が届いた。これが2回目。1回目は定植
させてもらったレタスを始め、春菊、ネギ、
玉ねぎなどたくさん送ってもらった。

今回はお米、小麦、白菜、大根、赤蕪、里芋、
唐辛子などなど、農家顔負けというか、もう
立派な農家やね。東京から移住して4年目位。



お米は放射能をきちっと測ってもらったそうだ。
山水だけで栽培してたから心配していたけど、
放射性セシウムで5だったそうで、一安心。

フクシマ発電所から160キロ圏。文部科学省が
8月に発表した数値通りなのかもしれない。


出所はこちら

フクシマ県下のお米は放射能でさぞ大変やろう。
規制値がどれだけ意味があるのかも疑問だけど、
消費者はわざわざ買わないだろう。

スーパーに行くと福島産の野菜がとても安く
売られているのを目にして、ちょっと心が痛む。
なのに買わないときもあるなぁ。。



南三陸町のご夫婦とは時折情報を交換したり、
嫁さんが服を送ったり、ささやかなことを
してるだけだ。

今回感謝されたのが、腰痛肩こり対策の本を
送ったこと。暮らしの手帖社刊『マジック体操』。
何人にあげたり教えたかわからない。本ブログ
でもどこか書いたと思うけどわかんなくなった。

とてもよくなったそうで、地元の人にたくさん
教えたり配ってるそうだ。効いてよかった。

食料、衣料、土砂まで運ぶことが増えてる分、
みなさんへの影響が普段より大きく、腰肩が
そろそろ音を上げているのかもしれない。