質問3:スウェーデンにおける国家ビジョンに関する合意について、利害の対立はなかったのか。日本や米国では明らかに対立すると考えられる学識者と財界の利害対立をどのように乗り越えたのか。
私たちの社会は利害の異なる国民の共存で成り立っていますが、国民すべての生存に共通する環境問題の解決のためには、国民(行政、企業、消費者など)の間に、まず「環境問題への共通認識」が確立され、つぎに整合性のとれた行動の前提となる「合意形成」がなされなければなりません。
1972年6月の第一回国連人間環境会議でホスト国をつとめたスウェーデンでは、福祉国家を維持する過程で、「環境問題に対する基本認識」が、すでに中央政府・地方自治体、学者、財界、企業、労働組合、住民、一般市民の間で共有され、立法・行政・司法を通して、生活意識のネットワークに幅広く組み込まれていました。スウェーデンは、他の先進工業国よりも「緑の福祉国家」の実現をめざすために必要な社会制度が整っていたというわけです。
重要なので繰り返しますが、スウェーデンの環境問題への迅速な対応が可能なのは、すでに国民の間に「健全な環境は基本的人権である」という認識、「環境問題が人類の生存を脅かしかねない、全人類共通の問題だという認識」がすでにできあがっているからです。ですから、具体的な政策や対策を立てるにあたっても、かならずしも一枚岩ではないさまざまな立場の国民の間に、他国に比べて容易に合意形成ができるのです。
先進工業国、途上国を問わず、ほとんどの国で政府とNGOは共通の問題に対してしばしば意見が異なり、対立することが多いのですが、成熟した民主主義を求めて早くから合意形成で試行錯誤を続けてきたスウェーデンでは、政府とNGOの関係は協調的で良好です。これは政府、自治体、企業、市民の間ですでに環境に対するコンセンサスが国内に広く定着しているからです。
「合意形成」を、以下のように分類して定義すれば、環境問題において「予防志向」がなぜ有効なのか、よりよく理解していただけると思います。
①「予防的」合意形成(予防志向の国の発想)
これは科学的知見がかならずしも完全ではなくても、これまでに得られた「科学的知見」や私たちが生まれながらに持っている「知恵」と、これまでに獲得した「経験則」や「自然法則」などをよりどころに、「予防的な発想」で早めに論理的に合意をめざすものです。
当然のことながら、合意形成には議論の余地がありますので複数の方向性が示され、選択の余地が生まれます。ですから、誤りに気づけば方向転換の可能性が残されています。
スウェーデンはこの傾向が強い国です。
②「治療的」合意形成(治療志向の国の発想)
これは事態が悪化し、なんらかの対症療法を施さざるを得ない状況に追い込まれてから、「治療的発想」で合意をめざすものです。形のうえでは合意形成とはいうものの、実態は「先送り」の結果にすぎません。問題の兆候が見えはじめてから合意形成の形となるまでに時間がかかり、その間に事態は悪化します。しかも、合意形成に達したときには待ったなしの状況に追い込まれているため、議論の余地はなく一つの方向にまとまりやすいのですが、間違っていると気がついたときには、方向転換の余地はほとんどないといってよいでしょう。日本はこの傾向が強い国です。
大多数の国民に共通であるはずの環境問題の議論も、多くの場合、不毛の議論を繰り返し、不統一に終わるのは、私たちが、何が環境問題の基本的な問題(本質)で、何が周辺的な問題であるかを見極める能力に乏しいからです。ですから、当面の基本的な問題を簡潔に、しかも明確に設定することが私たちの決定を容易にすることができます。たとえば、現在、決定が難しい場合でも、本質が見えていれば継続的研究や調査の方向性をはっきりさせることができます。
日本は国際的に見ても、国民の合意形成を図るための基盤が最も整っている国だと思われます。例えば、
(1)言葉(日本語のみで十分)
(2)教育の達成度(識字率や通学年数)
(3)情報の伝達手段(ハードな面)
(4)均一性
などです。それなのに、なぜダメなのでしょうか?
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