・朝晩がかなり冷えるようになった.庁舎の周りの木々も,一気に紅葉が進んだようである.入り口のところにあるサトウカエデ(カナダの国旗のやつ)はいい感じで色づいている.うわさによれば雪虫も飛んでいたらしく,雪が舞い始めるのもまもなくだ.

・午前中,Tさんと焼松峠論文の改訂についての打ち合わせ.細かい表現について適切なコメントを頂く.引用文献についても,さらに削れそう.しかし,最も大きい指摘は,地形による実生の発生定着に関する比較考察が,改訂原稿では”浮いている”ということである.実は自分でも,この部分の「取ってつけた感」が否めなかったわけだ.こうして改めて指摘されると,思い切って削除することができた.これで随分ダイエットできたし,お互いに満足(?).ということで,後は細部を手直しして再投稿することに決定.
・その後,仙台の埋土種子論文の打ち合わせ.この論文の歴史は,なんと15年も前にさかのぼる.何を隠そう(別に隠していないけど・・・),当方が4年生の卒論研究である.卒論時にはそれが論文に値するのかどうか,などというのは全く分からず提出したきり放っておいたものだが,Tさんが後処理の追加調査などをやってくださり,こうしてデビューする可能性が生まれているわけである.
・これが分子生態の仕事なんかだと,「5年も前のデータでは,古すぎて論文にならんよ」とか言われそうだが,そこは「埋土種子の研究」ならではの地道な世界では,種類の同定に5年以上かかるなんてのは”ざら”だそうで,研究として古びることはない.もちろん論文にするまでに時間がすごくかかるので,当世の業績至上主義の中では流行らない研究分野となってしまっているわけだ.
・最近の分子生態の論文は無数にあるが,その大部分はきっと5年後には誰も引用しなくなるんだろうな,きっと.その点,地道な仕事(例えば,植生や埋土種子集団の記載など)は,きっちりとなされていれば,50年とか100年経っても引用される可能性がある.実際,焼松峠論文でも,1952年の植生の記載論文を引用しているのである.
・そうして考えると,とにかく流行に乗っかって,研究費が取れそうなテーマばかりをやりたがる最近の風潮に疑問を感じたりする.しかし,先立つものがないと研究ができないというのもまた事実であり,また流行に身を任せてみたいというミーハーな部分も捨て切れなかったりして・・・.申請書を書きなぐりつつ,ふと思索にふける秋,なのであった.

・午前中,Tさんと焼松峠論文の改訂についての打ち合わせ.細かい表現について適切なコメントを頂く.引用文献についても,さらに削れそう.しかし,最も大きい指摘は,地形による実生の発生定着に関する比較考察が,改訂原稿では”浮いている”ということである.実は自分でも,この部分の「取ってつけた感」が否めなかったわけだ.こうして改めて指摘されると,思い切って削除することができた.これで随分ダイエットできたし,お互いに満足(?).ということで,後は細部を手直しして再投稿することに決定.
・その後,仙台の埋土種子論文の打ち合わせ.この論文の歴史は,なんと15年も前にさかのぼる.何を隠そう(別に隠していないけど・・・),当方が4年生の卒論研究である.卒論時にはそれが論文に値するのかどうか,などというのは全く分からず提出したきり放っておいたものだが,Tさんが後処理の追加調査などをやってくださり,こうしてデビューする可能性が生まれているわけである.
・これが分子生態の仕事なんかだと,「5年も前のデータでは,古すぎて論文にならんよ」とか言われそうだが,そこは「埋土種子の研究」ならではの地道な世界では,種類の同定に5年以上かかるなんてのは”ざら”だそうで,研究として古びることはない.もちろん論文にするまでに時間がすごくかかるので,当世の業績至上主義の中では流行らない研究分野となってしまっているわけだ.
・最近の分子生態の論文は無数にあるが,その大部分はきっと5年後には誰も引用しなくなるんだろうな,きっと.その点,地道な仕事(例えば,植生や埋土種子集団の記載など)は,きっちりとなされていれば,50年とか100年経っても引用される可能性がある.実際,焼松峠論文でも,1952年の植生の記載論文を引用しているのである.
・そうして考えると,とにかく流行に乗っかって,研究費が取れそうなテーマばかりをやりたがる最近の風潮に疑問を感じたりする.しかし,先立つものがないと研究ができないというのもまた事実であり,また流行に身を任せてみたいというミーハーな部分も捨て切れなかったりして・・・.申請書を書きなぐりつつ,ふと思索にふける秋,なのであった.