一生

人生観と死生観

稲の道と東北

2009-06-19 10:52:25 | 哲学
6月20日 曇り・薄日
 私は農学者ではないが、かって東北青森県津軽地方に弥生時代に水田稲作が行われていたとの驚くべきニュースを聞いて、東北の先進性に目を見張った。東北大学の伊東信雄教授の快挙だった。彼は田舎館村垂柳遺跡で水田跡を発見し、私の記憶が正しければ、水田に残された縄文人の足跡も見つけたのである。
 東北は気候が南に比べて寒冷だから稲は早稲の品種を捲き、早く収穫するのが成功の道であったと思われる。この高度な農業技術は西日本から徐々に伝わったのではなく朝鮮半島北部あるいは沿海州から直接伝わったものと推定される。
 東日流外三郡誌にはこれに対応する記事があって、到底和田喜八郎の頭ででっちあげたものと考えることはできない。流行作家が気楽に想像でものを書くのとは違った科学的意味がある事実が含まれているのである。
 佐々木広堂氏の「東北弥生稲作は朝鮮半島北部・ロシア沿海州から伝わった」(『古代に真実を求めて』明石書店、2006)にも詳細な検討が行われている。東北大学考古学教室には東北と沿海州との交流を示す多くの証拠品があるという。
これからしても東日流外三郡誌はでっちあげの偽作とすることは完全な行き過ぎであろう。物事は思慮深く慎重に考える必要があるのだ。