一生

人生観と死生観

太宰と三郡誌ー津軽人よ萎縮するな

2009-06-17 10:07:05 | 哲学
6月17日 曇り
 太宰治(本名津島修治)の生誕100年を迎えるに先立って、朝日新聞に関連記事が出た。なんと日本で夏目漱石についで読まれるのはこの人の小説だという。若い頃私も「走れメロス」その他愛読した。彼は塚本虎二の聖書講義に出席したこともあるキリスト教シンパである。弱い人間性をさらけ出した痛ましくも正直な人であった。
 『東日流(ツガルと読む)外三郡誌』は偽書とされて執拗な攻撃を受け、津軽の人さえもそれを信じている人が多いといわれる。偽書とする人は筆跡鑑定からおかしい、記事内容に現代人の科学用語が含まれている、福沢諭吉の言葉の盗用があるなどと言い立てる。真書派の人も負けていない。原本に帰れと。原本はある。原本は古い時代に作られていた。それは日本国際文化研究センターの笠谷教授によってほとんど確実に確かめられたと。
 それを偽書とするのは和田(金に困り、古代資料をタネに怪しげなことをやったとされる)という人物に強くこだわっているのだが、和田が自分の頭であの膨大な記録を全部作り出せるわけはない。筆跡など変わりうる。100%信頼できるとはいえない。私はアメリカ留学中、自分のサインが十分定まらないのでアメリカ人に疑われたこともある。私の知っている夫妻は何時の間にか奥さんの筆跡がご主人に似てきた。現代人の科学用語は変だが書き写しの間違い(または思い込み)ということもありうる。諭吉の言葉は彼自身別のところから引用したと見られる。
 偽書とする人たちの頭の中には無意識的にせよ東北人に対する差別意識がありはしないか。東奥日報記者が「偽書『東日流外三郡誌』事件」という本を書いたが、正義感に駆られた部分はあるにしても、基本的に学者の論争に対し新聞記者の守るべき不偏不党の精神から少し逸脱していないか。私はこの斎藤氏の本を鵜呑みにしてはいけないと思う。
 東日流外三郡誌は原本においては多分本物であろう。その中味は、古代に関する部分は、日本書紀や古事記と同様に単なる伝承を含むかもしれないが、読むものが判断すればよいことである。偽書、偽書といって騒ぐのは大人気ないことである。
 津軽の人はこのような書を持っていることを誇ってもよいはず、萎縮する必要はないと私は思う。