一生

人生観と死生観

知識を生かすために

2009-06-05 15:07:41 | 哲学
6月5日 曇り
 知識は人の求めるところだが、深く突きつめればあまりにも専門化して一般人には分からなくなる。自然科学の発展は驚異的で、ノーベル賞が20世紀に始まって以来ますます多くの人の関心を集めている。しかし難しくなって専門家集団の議論の中には、少しはなれた領域の科学者でさえ立ち入ることは困難である。こういった状況を少しでも改善するために、科学ジャーナリズムが登場し、一般人と専門家との間に入り、解説を試みる。このような動きは竹内均の始めた写真と図表を豊富に用いたニュートンと言う科学雑誌に見られる。定年退職した科学者には本人にその能力があれば適当な職場であろう。また新聞社の科学部の記者たちは職業柄そのような方向で頑張っている人たちがいる。この人たちは科学者がうとい社会問題と科学との接点を求め、独特の領域を作ろうともする。
 最近私が心配するのは専門家集団の中であぐらをかいてしまい、他の領域にまったく目の向かない不勉強な人。これでは抜本的な進歩をその領域にもたらすことが出来ないだろう。