一生

人生観と死生観

古事記の登場人物の使った言葉

2009-06-11 15:02:13 | 哲学
6月11日 雨のち曇り
 奇妙に思うかもしれないが古代史神代のころを想像してみる。いわゆる天下りした人たちは地元の人と話すのに何語を使っていたかと言う疑問が湧いてきた。神話だから何語でも自由自在と思いきや、何だか言葉がさっぱり通じないのではないかという気配が見て取れる。ニニギの命は恐らく朝鮮語のようなものを使い、地元九州の猿田彦(出雲語のようなもの?を使う人たちの一員か)は目をギラギラさせてことあれば迎え撃つ姿勢だったに違いない。そこに登場するのがウズメの命。女性の神がストリップ・ショウまがいの格好であらわれ、猿田彦を色仕掛けで誘惑した。ここでは言葉などあまり必要でない。猿田彦はウズメと夫婦になり、のちに伊勢神宮の一角に祭られる。こんな日本神話は遠い昔のかすかな記憶を残しているかもしれないが、信憑性があるかといえば、まずない。古代史はあまりカリカリと真偽を論じても仕方がないのだ。想像を楽しむという程度から大きく逸脱しても仕様もない気がする。