6月のとても暑い一日だった。友人と川崎から町田市に入り、小田急の鶴川駅に降りる。以前から、白州次郎に興味を持ち続け念願かない記念館にたどり着いた。
かやぶき屋根の重厚なたたずまいに、まずはその人なりを感じた。平日なのに来観する人が耐えない様子だった。鶴川駅からバスで10分ぐらいで、今は住宅地になっている。少し坂道を登ると、門構えが見えてくる。入場料1000円を払う、入り口の左側が売店と2階はHNKで流した「その時歴史が変わる」のビデオが見れる。
かやぶき屋根の庭を通ると、鈴鹿峠の石碑があり裏庭の小高い庭に出る。旧白洲邸は次郎と正子が住んでいた当時のまま保存されており、書斎の本などもそのままの状態だった。正子のライフワークの陶器の展示など見所はずいぶんとあった。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と称された、戦後の交渉になくてはならない人物だった。晩年は軽井沢カントリーの理事長を務め、80歳を越えてもポルシェを乗り回していた。こんな人物に私はあこがれる。





かやぶき屋根の重厚なたたずまいに、まずはその人なりを感じた。平日なのに来観する人が耐えない様子だった。鶴川駅からバスで10分ぐらいで、今は住宅地になっている。少し坂道を登ると、門構えが見えてくる。入場料1000円を払う、入り口の左側が売店と2階はHNKで流した「その時歴史が変わる」のビデオが見れる。
かやぶき屋根の庭を通ると、鈴鹿峠の石碑があり裏庭の小高い庭に出る。旧白洲邸は次郎と正子が住んでいた当時のまま保存されており、書斎の本などもそのままの状態だった。正子のライフワークの陶器の展示など見所はずいぶんとあった。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と称された、戦後の交渉になくてはならない人物だった。晩年は軽井沢カントリーの理事長を務め、80歳を越えてもポルシェを乗り回していた。こんな人物に私はあこがれる。






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