花と山歩き

 身近な草花や山と自然の移ろい、見たまま感じたままの今をつづる。

東京オリンピックの金メダル第1号 三宅義信

2013-03-23 13:22:45 | 宮城の歴史遺産

 1964年東京オリンピックは

三宅義信選手の金メダルから

始まった フェザー級で自衛隊体育学校

地元村田町ではいまだに人気あり

ロンドンでは姪が銅メダル

 2020年の東京招致が今年の秋に決まる 是非とも見てみたい

 当時の佐藤栄作首相と

 

 三宅親子 弟の義行は銅メダル

兄の義信はローマ・東京・メキシコと

オリンピック3連覇

 村田の城山跡に道の駅も併設

銅像には根性とあり、当時の流行語になっていた

 のんびり地元の野菜など買いながら

見てるるのもいいですよ

 ひな人形展も開催


古民家で篠笛演奏とカイコ様の飼育

2012-06-21 18:51:51 | 宮城の歴史遺産

 かいこ様とよぶぐらい貴重な現金収入だった。

 亘理の農家や福島県の桑折など養蚕が盛んに

行なわれていた。生糸は日本の代表的輸出品だった。

 マユになるまで5回の脱皮を繰り返す。

 カイコだなには室温を保つため炭で暖をとっていた

 絹の機織り マユをお湯に入れて糸を取っていく

 篠笛の演奏が古民家で行なわれていた

3人の方がとてもいい音をかもし出していた

仙台市の山口流の3人だった

    

 シャクヤク

   

 

 

 

 

 


スケートの思い出 青葉城三の丸跡・五色沼

2010-02-16 18:29:13 | 宮城の歴史遺産
 バンクーバーオリンピックで日本人が
メダル取るのニュースが届いた。
昭和38年私が小学校6年の時
初めてスケート靴を買ってもらい
滑ったのがこの五色沼だった。
今の道路側に小屋があり、管理人に
たしか50円を払い滑った。
朝早く起き学校が始まる
前にひと滑りした記憶がある。
今よりがんがんに冷え氷も厚かった。
ここと向山に行くところにも沼があり
そこでも滑っていた。今は公園になっている。
天然の池で滑った最後の世代かも知れない。
近くのお兄ちゃんに連れられてはじめて
行った。その後ここがフィギアスケート
発祥の地だと、亡くなった祖父から教えられた。


この日も氷ははっていた。が昔ほどではない。

思い出がよみがえった。

今はこんなモニュメントが建っている


『スケートの渡来は明治以降日本各地へあったがここ五色沼では,
明治23年頃から外国人達が滑り始め30年頃には米国人デブィソン
が子供達にフィギュアスケートを教え,42年頃には二高生が
ドイツ語教師ウィルヘルにフィギュアスケートの基本を習い,
後輩への普及に努め,その後,遠く諏訪湖にまで行って
フィギュアスケートの基本を伝えた。後に彼等は日本スケート界
の功労者といわれた。昭和6年には,ここで第2回全日本選手権大会
フィギュア競技が開かれている。』

歴史の秘話を白石和紙が伝える

2009-12-23 15:57:53 | 宮城の歴史遺産

400年の伝統を今に伝える
白石和紙のただ一人の伝承者
遠藤まし子さん
とても気さくに話をしてくれる。

 第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)
宮内省に重要記録用紙用として納入した紙が、
2年後に日本が降伏したとき、
戦艦ミズーリ (戦艦)での降伏文書に使われた
 重光外相とマッカサー元帥の会話で
「この紙は1000年持つそうですが、
この調印もそのぐらい持つといいですね」
とダグラス・マッカサーが言った。



 衰退期の1931年(昭和6年)に、
当時18才の遠藤忠雄が地元の伝統の復興を
志して紙工房をはじめた。
遠藤は過去の技術の研究や自らの創意によって
高品質の紙を作り出し、やがて白石和紙を
文字通り一人で漉き出すようになった。


1975年からは、東大寺に修二会用の衣にする
紙を納めるようになった。
二月堂の「お水取り」の時に着る紙子で
練行衆が14日の行の間着用するもので、
白石和紙の耐久性が評価されたのである。


遠藤さんの母屋は築300年に
なろうとする古民家で大黒柱が
黒光りする堂々としたものだ。


 縁あって白石和紙を使って
白石女子高の創立九十九年の
記念品を作らせてもらった。




姫神山おそい秋

2008-11-08 14:05:04 | 宮城の歴史遺産

 仙台から北上して盛岡市に入るころ、右手に左右対称の独立峰が見える。
なんとも女性的な山容なのだ。
 その名も姫神山なんと美しい響きなんだろう。初めて聞いたときから気になっていた。この地には何回も足を運んでいるが、不思議と登らなかった。
今回はおそい秋を探しに足を踏み入れた。

 
 午前は風と雨が激しく山頂は霧でなにも見えなかった。本来は岩手山や早池峰山が見える、最高のポイントなのだが残念だった。下山してから晴れて悔しい思いをした。


 登山口はキャンプもできる広々とした草地だった。




杉林の登山道はしっかりした根が歩きやすいように張っていた。


 このコースの由来にもなっている、一本杉で周りの杉とは幹周りの太さがぜんぜん違っていた。300年から400年ぐらいのものかもしれない。



山全体が花崗岩で覆われている。侵食から取り残された、古い地層なのです。

 


 




山ノ神 月山 の麓

2006-05-25 18:46:22 | 宮城の歴史遺産

 

 「旅マタギ」も入った肘折の渓流。雪解けの水は手がしびれるくらい冷たい。

   缶ビールを沢に入れて5分もたたないで冷えてしまう。(すぐ飲めて嬉しいのだ)

 野鳥のさえずりと渓流の音が「もえぎ色」の山麓にゆうゆうと響きわたる。

  この大自然の空間「あーあ人間は小さいなー・せまいなー」とともにほんとに共生できるのか21世紀の大問題。


遠野の雲海と紅葉

2005-11-08 19:24:26 | 宮城の歴史遺産

 秋になると盆地特有の雲海が見れる。遠野の雲海も有名らしい。

朝の盆地内は深い霧で回りは何も見えなかった。車で歩くのも危ないくらいだった。

しばらく走り笛吹峠の中腹あたりで見事な雲海が見渡せた。

盆地の霧を抜けると、天気はすこぶるよくこの気温の変化が霧となって現れるのだろう。

素晴らしい紅葉とのコントラストが見事だった。


花の百名山 秋田駒ヶ岳

2005-07-09 19:51:47 | 宮城の歴史遺産

 7月7日花の百名山秋田駒に登る。前日は国民休暇村・乳頭温泉郷に宿泊する。

やはり、登山客が半数以上で中高年がほとんど。

田沢湖高原温泉駐車場に車を置く。6月から10月までマイカー規制期間。

羽後交通のバスで、8合目登山口まで上がる。出発8時15分のバスで約30分の行程。登山口には山小屋があり、ここで最後の準備をした。

 写真の登山口では雨が上がりラッキーかと思ったがその後は終始雨の中の登山になった。 9時15分に歩き出し、阿弥陀池に着いたのは10時30分過ぎていた。

結局、非難小屋でコーヒーを飲んだり、ラーメンを食べたりと、12時まで待ったが天候は回復しなかった。諦めて下山する。帰りは、水沢温泉で汗を流した。ここの温泉も乳白色でやはり露天がとてもよかった。深さがありとても広い露天が二つありとてもゆったりしていた。 かんじんの高山植物だが、雨の中いろいろカメラに収めた。 また挑戦をしなくてはと思い帰途に着く。


初夏の蔵王

2005-04-20 13:57:04 | 宮城の歴史遺産
2004年の6月初旬宮城蔵王・賽の河原から旧かもしか温泉跡地まで初夏の花畑を散策。
  まだところどころ雪渓が残り、名号峰までは登れず、春せみの声やウグイスの声、渓谷のせせらぎなど素晴らしい景観を堪能した。
  イワカガミがところどころに咲き、名前のわからない花がずいぶんと咲いていた。 以前、温泉の噴気孔まで登り、自力で温泉を掘り、1人分の浴槽を確保して入ったが。
   今回はパスした。噴気孔の白煙のすさまじい音、巨岩が頭上に迫り来る。
   野趣満天の世界。自然の息使いが目の前で感じる。 まあ、今年も天気の日を見て登ろうかな。