









「指差確認」と大きく駅の構内に書いてある。鉄道ファンなら知っていることだと思うが、誰か教えてほしい。
無人駅のルールの1つなのかな。JR奥羽本線峠駅は山形新幹線も通過するマニアの間では知られている。スノーシェッドの大きな屋根はかつてのスイッチバックで水や燃料を補給した証かもしれない。
JR奥羽本線峠駅この駅舎の歴史を物語る看板が構内に置いてあった。
吾妻連峰案内図とありここが登山の入り口であることがわかる。
ただここ峠駅から西吾妻や東吾妻そして一切経山に登るにはアプローチ的に大変だ。昔はこのようなところから歩いたのかもしれない。峠駅から滑川大滝を経て薬師森そして姥湯と長いコースもある。
奥羽本線峠駅鉄道マニアでは「秘境の駅」とも言われている。
姥湯・滑川温泉などの秘境の温泉の玄関口。
ここに参勤交代にも献上した「力餅」を代々引き継いでいるお店がある。奥羽本線開業時から駅の販売も続けている。たまたま駅に販売に行くところに出会った。ハンテンに力餅と染め抜かれていた。
こんな山奥の駅で感動の光景に出会った。商いの原点を見た気がする。
「邂逅の森」熊谷達也を読みながら、肘折温泉の情景がいつも頭から離れなかった。
今年もまたもえぎ色の月山麓に入った。雪解け水がごおごおと力強く銅川の渓流に注ぎ込んでいる。
この写真は肘折温泉の入り口の高台からの1枚ではるか月山も見える。
この日は元河原湯旅館に投宿した。
2006年のブログは宮城県の離れ小島気仙沼市から始まった。
1月13日相変わらずの寒い朝で気仙沼市マイナス7度。唐桑YH泊の翌日小鯖漁港に出てみた。
だいぶ前、漁港劇場とかで早稲田大建築学の教授石山氏が村興ししたところだ。70年代のフォークソングの教祖的存在の「岡林信康」も参加したので覚えていた。エンヤードットでダンシングなど民謡を題材に新境地を歌っていた。
この日は冬晴れが尚一層ひなびた漁港を透明に映していた。「あんなこともあったなー」と港も言ったとか。
「えー!ソウヤ?」まさか、私は味噌汁を飲む一瞬あの最北端の地を思い出した。私も学生時代に稚内から礼文島に行こうとした。ただ台風で断念したが。その最北端から「徒歩で歩いてきたの」と満足そうに笑った。「えーどうしてー」と私は持ち前の旅好きに拍車がかかった。はなしを聞いてみると、4月20日に宗谷岬を出発して、今日5月31日に盛岡まできた。そして目的は日本縦断で最終目的地はあの沖縄の波照間まで行く計画とのこと。
「会社を辞めて、親を説得して自分のやりたいことを達成したい」とのこと。マラソン・テニスとなかなかのスポーツウーマンなようだ。あの冒険家植村直巳さんも日本縦断徒歩の旅をしたのを本で読んだことがある。1日30kmぐらいをペースに歩いているとのこと。
うらやましくもあり、こんな若くてもたくましく、夢を持っている女性が今でもいることが、とても嬉しかった。
頑張れ日本縦断の旅。