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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

水戸芸術館へのロジョウでフジモリケンチクと出会う

2017年05月12日 | 建築
 日曜日早朝、新宿から中央線神へ乗り換えて上野駅に到着した。その友人と訪れるのは一年ぶり、あの時は不忍池湖畔から無縁坂を緩く曲がって旧岩崎庭園へと歩いて行った。そのときを思い出すと照れ臭いような懐かしいような不思議な気持ちが巡る。これぞターミナル駅、といった面影を残す駅構内で車中食を買い込んで、午前9時ちょうど発車の「特急ひたち5号」に乗り込むと、もうこの先の旅への期待でワクワク。
 常磐線で千葉から茨木へと約一時間余り、車窓をゆっくり眺める暇もなく、こちらからの近況報告を話しつづけて隣席の相方には申し訳ないことをした。辛抱して聴いてもらっているうちに、気がつけば偕楽園をぬけて右手には千波湖、いよいよ水戸への到着だ。

 水戸を訪れるのは、本当に久しぶりである。思い起こせば、1990年水戸芸術館が日本中の文化行政関係者衆目の中、華々しく開館してしばらくたってからのこと。1991年秋に開催されたクリスト&J.クロード夫妻による太平洋を挟んでの日米同時アンブレラ(傘)プロジェクトを見物しに出かけて以来だから、約26年ぶりになる。まずは、この事実にあらためてびっくりした。
 茨木県北方面を訪れる機会なら、数年前五浦海岸へと岡倉天心ゆかりの六角堂と美術館を訪ねたり、日立市での市民オペラ研究会に参加するためなど、水戸駅を“通過”したことはあるが、降り立ったのは今回が二度目である。その駅前の印象はさほど変わらず街中に歩き出してみる。老舗商店の構えにさすが水戸藩のご威光がいまに引き継がれているのかと感心していたのもつかの間、すぐにいささか錆びれ気味の部分が目につきだす。
 ここも地方都市の典型にもれず、旧市中心街の衰退化がすすむ現実を前にして、新たな活性化に迫られている様子だ。そのための試みは少しづつ始まっているようには思える。今回の水戸芸術館現代美術ギャラリー企画展「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」と一連の関連事業もその試みに連なるものだろう。

 バスで数駅乗りこしてしまったので大通りを戻りながら、街中に忽然と天空に突き抜ける百メートルの高さがあるというジュラルミン色の展望塔、アートタワーを目標に歩き出す。
 しばらくしてケヤキの街路樹のむこうに、御影石とコンクリート打ち放しの外壁が見えてきた。忽然という感じの水戸芸術館との再会である。こじんまりとした中世の城郭都市といった印象だ。中央にひろがる青々とした芝生広場、その正面の突き当りの池には、現代アートといった感じの数本の鉄筋で串刺しされた空中の巨大な御影石の塊に左右から噴水が注がれ、大量の水が流れ落ちている。なかなかの迫力でいったいだれの作品だろうか、確かめ損ねた。
 左手から時計回りに劇場、コンサートホール、ギャラリー、展望塔と箱庭のように文化施設が配置されている。正面左手隅の方向がエントランスになる。吹き抜けの回廊正面には、国産のパイプオルガンが設置されていて、これがなんと町田にある工房の制作だときく。当初から定期的にオルガン無料コンサートが行われていて、27年間継続されていることに感心する。

 建築展はその名もずばり、「藤森照信展」とあり、これはご本人のスゴイ自信のあらわれか。副題に「自然を生かした建築と路上観察」とあって、ようやく「藤森照信展」とはなんぞやの説明になっている。でも「自然を生かした建築」ってどういうことだろう。屋根に草木をはやしたり、木や漆喰など自然素材で表情を出した意匠のこと? あるいは周りの環境に溶け込むような建築?
 たしかにフジモリ建築は、都市部よりも地方というか周辺に生息している。近代が忘れ去ってしまった日本古民家を原型とする伝統を現代建築に応用して新しく蘇らせたことがフジモリ建築の本質であり、そこが見た人に独特の懐かしさや郷愁を呼び起こすのであろうと思う。そうだとしたら「自然環境になじんで、自然素材に生かされた建築」というほうがより正確だろう。

 「路上観察」の復活については、水戸だからこそ実現したのだろうと思う。だって、首謀者赤瀬川原平老子様は、すでにこの世とサヨナラをして二年あまりになるのだから、追悼企画ともいえようか。でも、当時からを知る者としては回顧的になり、ひたすら懐かしく青春の思い出だ。みなさん、若かったんだなあ。

 一連の展示で興味をひいたのは、「5 未来の都市」コーナー」。遠くない未来、建築は自然に浸食されて廃墟と果てる姿を暗示している。ふと箱根樹木園に放置された、村野藤吾設計の朽ちかけた円形の貴賓室を思い出す。朽ちた室内天井からつるされた照明モビールの姿が時の流れの無常を象徴していた。
 楽しくてまた行ってみたくなったのは、なんといっても次の「6 たねやの美とラ・コリーナ近江八幡」コーナー。じつは今回の訪問でもっとも見てみたかった展示だった。ここ一連の建物は、フジモリ建築ワールドのユートピア、実際に水苔や杉苔を使ったオブジェ、パネル写真とともにうまく空間構成がなされていて感心した。不定形の無垢木のテーブルと椅子のコーナーでゆっくりとくつろげるのもいい。
 フジモリ建築の大集成とW.M.ヴォーリズの建築が残る琵琶湖畔の水郷近江八幡の地には、ぜひまた、ゆっくりと訪れてみたいという思いがいよいよ強く高まってきた。
 
 ラコリーナ近江八幡(伊語で“丘”)。手前は本物の水苔を敷き詰め、後方が全景パネル。後方の山並みと重なっていい感じ。



 隣のカフェでたねやの甘味で友人とひと休みしていたら、横浜美術館の逢坂館長にお声掛けいただいて、これにはびっくりした。このあとの藤森×磯崎新の対談を聴きにこられたのだという。さらに友人はビデオのコーナーで、豊田市美術館の旧知の学芸員に会って挨拶を交わしており、磁場が集まる場所にはそれなりの出逢いが生じると思い知らされた次第。
 
 水戸納豆蕎麦の昼食のあとに、展望塔=アート・タワー・MITOに登楼することに。市制百周年で高さ百メートルとわかりやすい。外壁はジュラルミン製の輝き、エレベータ内部から見る構造体は、かなりごつい印象で、比較はなんだが江の島の展望台のほうがよほどスマート、建築時代の違いかな?

 その午後三時からの巨匠対談、コンサートホールで行われたのであるが、前半退屈、しかし後半になって俄然おもしろくなった。藤森さんはさすが、その本質をズバリ見極める頭脳力には恐れ入る。その対談内容はとてもここにまとめることはできないが、この両巨匠がお互いをリスペクトしている姿が意外だった。作品作風はポストモダンとポスト縄文?と対照的なのに、文明や茶室への関心などの指向性は確かに重なる。
 磯崎さんはエッジがとれて枯れた感じ。自らの絶頂期に設計した水戸芸術館コンサートホールで思うところがいろいろとあっただろうなと想像する。このダイヤモンド形のホール、金色のゴージャス感がなかなかのもので、舞台後方中央と客席後方の三本の円柱がユニークなのだ。客席六百人あまりとコンパクト、室内楽には最適で、舞台との臨場感がほどよい。周囲環境を含む建物全体について、屋外広場の芝生のひろがりと噴水の調和、中世の楼閣にあるような、しかし素材は金属正三角形面を合わせて折れ伸ばしたポストモダンな展望塔、広場開口部からの覗く大きく育った欅並木の新緑、この三点が素晴らしい。

 対談終了は午後四時半すぎ、もうそろそろ帰りの時間が気になりだした。後ろ髪をひかれる思いで芸術館を後に徒歩で駅に向かう。途中の道からのタワー、建物の間から突き抜けるこの唐突感が好きだ。ほんとうは、ゆっくりと泊りの予定で街中探索をしたかったのだけれど。


 帰りは、午後六時すぎ発「ひたち24号」のキャンセル指定がうまく二枚取れてほっとする。構内カフェで話し込んでいるうちにいよいよ発車時間となり、車両に乗りこんで並んで座り、買い込んだ食材を分け合っての車中食。久しぶりの再会がほんとうに嬉しかったのに、愉しい時間は流れてやがて哀しき、、、ではないにしても、なんだか満たされない想いがするのはどうしてだろう。

 しばらくすると窓に横殴りの大雨、三十分ほどで止んであたりは暗闇、そしてまちの明りにネオン灯が流れ、列車は一路上野をすぎて、静かに東京駅まで滑り込む。

 

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