皐月最後の日曜日、午後の遅い時間、掛川城天守閣に上りながらこう考えた。静岡には芹沢介記念館がある。浜松には藤森設計、赤瀬川さん推奨の秋野不矩美術館があるが天竜浜松線でいくには日帰りは少し遠い、それなら何の導きで東海道宿の掛川まで足を延ばしたんだろう?
近頃はエコロジーへの関心の高まりから“里山暮らし”がもてはやされているけれど、いまから十二年前の2003年5月31日、新潟県旧安塚町(現上越市安塚区)で、スローライフ月間「音楽とスローフードの集い」という催しが開かれた。その情報を新聞掲載の小さな欄で目にしてすぐ、この機会に合わせて故郷へ帰省しようと思いたった。キューピットバレイ(冬はスキー場)レストハウスを会場にしてシンポジウムが開かれた様子の一部を記録した冊子「風土が料理人」(2004年2月発行、梨の木舎)を見返すと、まるでほんの数年前のことのような気がして時の流れの速さに改めて驚かされる。
当日の基調講演は女優の浜美枝さん、シンポジウム登壇者は司会が北沢正和、ゲストに檀太郎、coba、武満真樹(武満徹の愛娘)と異色のメンバーだった。そのあとの地元の食材を用いた創作料理が並べられた交流会には、谷川俊太郎氏も駆けつけていた。当初、筑紫哲也氏も参加する予定だったのだけれど、冒頭ビデオでご本人のメッセージ映像が流され、TV番組「ニュース23」のフランスサミット取材を優先し、そのため急遽講演者が変わったと知らされ、がっかりした記憶がある。ついでに述べると前日の三十日だったか、ほくほく線まつだい駅ホームで待ち合わせ中、谷川俊太郎氏に遭遇した。どうしてこんなところでと驚いたけれど思い切って近づき、どちらに行かれるのかお伺いしたところ、「筑紫さんから誘われて、安塚町での講演会と交流会に参加する予定」と話されたのでさらにびっくり!その筑紫さん、会場で姿をお見かけできることなく、残念なことに2008年に亡くなられてしまっている。
さて、ここで話題はいきなり静岡県掛川市のことに飛ぶ。掛川というと新幹線ひかりの通過駅、木造で再建された掛川城の天守閣とヤマハリゾートつま恋のあるところといったくらいの認識しかなかった。そこが最近ずうと気になっていたのは、現代美術と建築めぐりに関心がある友人から資生堂アートハウスの存在を聴かされてからのこと。この美術館の曲面ミラーガラスに新幹線の姿が映り込み、S字型の平面構成が特徴的な建物の設計は、高宮真介と谷口吉生両氏によるもので、1978年に竣工している。谷口氏は、ここを手始めに国内外の美術館・博物館の設計を次々と手掛けてゆき、次第に名声を博していく。その出発点となった最初の建築にあたるので、機会があればいつか訪れたいと思っていた。
そんなわけで、藤沢からJR東海道線に乗り込み、三時間をかけて列車が掛川駅ホームにすべりこうもとする直前のこと、駅前広場の一角に特徴ある銅像が建っているのを発見、薪を背負って読書するあの二宮金次郎少年である。掛川市は二宮尊徳思想の総本山大日本報徳社の所在地で、敷地内に珍しい大人の尊徳像と、すぐ近くの市立図書館の前には金次郎少年像が建っていて思わず笑ってしまった。小田原に生まれた二宮尊徳の思想がひろく北関東から東海地方まで広がり、この掛川の地にも根付いていたことはなんとなく知ってはいた。でも「やらまいか」精神と報徳思想の関係は、最近の朝日新聞夕刊の連載記事を読むまではわからなかった。そこには、大日本報徳社の石柱正門(明治時代建立)と重要文化財の講堂を映した写真もあって、次のように書かれている。
「大日本報徳社の正門には、右に道徳門、左に経済門の石柱がたつ。モラルなき経済では持続的に成長しないという教えである。今ならベンチャー企業といえた創業時のトヨタが大きく育ったのも、尊徳の教え(道徳と経済の両面性)と無関係ではあるまい。」 ほう、そうだったのか!
ここでふと気になって、筑紫哲也さんの晩年の著作「スローライフ 緩急自在のすすめ」(2006年、岩波新書)を開いてみる。すると冒頭に報徳社と尊徳思想のことに言及して、掛川市が全国で最初に「スローライフ・シティ」を宣言した街として紹介されているのだ。スローライフとは、都市生活者による都会と田舎のよいとこどりの臭いもするが、緩急自在の複眼的往復あるいは共存ライフスタイルのこと。
そういえば冒頭の安塚のシンポジウムでも、「掛川に続いて・・・」の言葉があったことをようやく思い出す。ここにおいてスローライフと尊徳思想が、楕円形の軌跡を描くふたつの焦点のようにそれぞれ両義性の概念を内在させながら意外にも近いものであり、同時に地理的に結びつくことのなかった相州小田原と駿河掛川、越後上越(安塚)の地が、個人的記憶や思い出体験としてグルグル回って相互関連してきたことに不思議な気持ちがしてくる。そして、さらには経済界の代表企業トヨタ(名古屋)に、芸術空間としての資生堂アートハウスときて、これって昨年からのさまざまな出来事の延長線上にある運命的な結びつきのはてのごく自然な掛川行だったのかな、とようやく思い至ったのだ。
ちょっと心残りだったことは、お昼に御蕎麦とウナギのセットを食べたけれども、もしランチタイムに間に合ったらならやっぱり、地元の鰻屋さんの蒲焼を是非とも食してみたかったな、甚八とか、大和田、うな専あたり。
(2015.06.11初校、06.12改定、追記)
近頃はエコロジーへの関心の高まりから“里山暮らし”がもてはやされているけれど、いまから十二年前の2003年5月31日、新潟県旧安塚町(現上越市安塚区)で、スローライフ月間「音楽とスローフードの集い」という催しが開かれた。その情報を新聞掲載の小さな欄で目にしてすぐ、この機会に合わせて故郷へ帰省しようと思いたった。キューピットバレイ(冬はスキー場)レストハウスを会場にしてシンポジウムが開かれた様子の一部を記録した冊子「風土が料理人」(2004年2月発行、梨の木舎)を見返すと、まるでほんの数年前のことのような気がして時の流れの速さに改めて驚かされる。
当日の基調講演は女優の浜美枝さん、シンポジウム登壇者は司会が北沢正和、ゲストに檀太郎、coba、武満真樹(武満徹の愛娘)と異色のメンバーだった。そのあとの地元の食材を用いた創作料理が並べられた交流会には、谷川俊太郎氏も駆けつけていた。当初、筑紫哲也氏も参加する予定だったのだけれど、冒頭ビデオでご本人のメッセージ映像が流され、TV番組「ニュース23」のフランスサミット取材を優先し、そのため急遽講演者が変わったと知らされ、がっかりした記憶がある。ついでに述べると前日の三十日だったか、ほくほく線まつだい駅ホームで待ち合わせ中、谷川俊太郎氏に遭遇した。どうしてこんなところでと驚いたけれど思い切って近づき、どちらに行かれるのかお伺いしたところ、「筑紫さんから誘われて、安塚町での講演会と交流会に参加する予定」と話されたのでさらにびっくり!その筑紫さん、会場で姿をお見かけできることなく、残念なことに2008年に亡くなられてしまっている。
さて、ここで話題はいきなり静岡県掛川市のことに飛ぶ。掛川というと新幹線ひかりの通過駅、木造で再建された掛川城の天守閣とヤマハリゾートつま恋のあるところといったくらいの認識しかなかった。そこが最近ずうと気になっていたのは、現代美術と建築めぐりに関心がある友人から資生堂アートハウスの存在を聴かされてからのこと。この美術館の曲面ミラーガラスに新幹線の姿が映り込み、S字型の平面構成が特徴的な建物の設計は、高宮真介と谷口吉生両氏によるもので、1978年に竣工している。谷口氏は、ここを手始めに国内外の美術館・博物館の設計を次々と手掛けてゆき、次第に名声を博していく。その出発点となった最初の建築にあたるので、機会があればいつか訪れたいと思っていた。
そんなわけで、藤沢からJR東海道線に乗り込み、三時間をかけて列車が掛川駅ホームにすべりこうもとする直前のこと、駅前広場の一角に特徴ある銅像が建っているのを発見、薪を背負って読書するあの二宮金次郎少年である。掛川市は二宮尊徳思想の総本山大日本報徳社の所在地で、敷地内に珍しい大人の尊徳像と、すぐ近くの市立図書館の前には金次郎少年像が建っていて思わず笑ってしまった。小田原に生まれた二宮尊徳の思想がひろく北関東から東海地方まで広がり、この掛川の地にも根付いていたことはなんとなく知ってはいた。でも「やらまいか」精神と報徳思想の関係は、最近の朝日新聞夕刊の連載記事を読むまではわからなかった。そこには、大日本報徳社の石柱正門(明治時代建立)と重要文化財の講堂を映した写真もあって、次のように書かれている。
「大日本報徳社の正門には、右に道徳門、左に経済門の石柱がたつ。モラルなき経済では持続的に成長しないという教えである。今ならベンチャー企業といえた創業時のトヨタが大きく育ったのも、尊徳の教え(道徳と経済の両面性)と無関係ではあるまい。」 ほう、そうだったのか!
ここでふと気になって、筑紫哲也さんの晩年の著作「スローライフ 緩急自在のすすめ」(2006年、岩波新書)を開いてみる。すると冒頭に報徳社と尊徳思想のことに言及して、掛川市が全国で最初に「スローライフ・シティ」を宣言した街として紹介されているのだ。スローライフとは、都市生活者による都会と田舎のよいとこどりの臭いもするが、緩急自在の複眼的往復あるいは共存ライフスタイルのこと。
そういえば冒頭の安塚のシンポジウムでも、「掛川に続いて・・・」の言葉があったことをようやく思い出す。ここにおいてスローライフと尊徳思想が、楕円形の軌跡を描くふたつの焦点のようにそれぞれ両義性の概念を内在させながら意外にも近いものであり、同時に地理的に結びつくことのなかった相州小田原と駿河掛川、越後上越(安塚)の地が、個人的記憶や思い出体験としてグルグル回って相互関連してきたことに不思議な気持ちがしてくる。そして、さらには経済界の代表企業トヨタ(名古屋)に、芸術空間としての資生堂アートハウスときて、これって昨年からのさまざまな出来事の延長線上にある運命的な結びつきのはてのごく自然な掛川行だったのかな、とようやく思い至ったのだ。
ちょっと心残りだったことは、お昼に御蕎麦とウナギのセットを食べたけれども、もしランチタイムに間に合ったらならやっぱり、地元の鰻屋さんの蒲焼を是非とも食してみたかったな、甚八とか、大和田、うな専あたり。
(2015.06.11初校、06.12改定、追記)