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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

「サンデーソングブック」と「村上RADIO」をつなぐ。

2020年05月03日 | 音楽

 日常がいつもの日常通りといかない昨今、在宅時間が増えていることもあって、ラジコというアプリケーションで聞き逃した先週日曜日のFMラジオ番組を立て続けに聴く。スマホ画面で番組リストを確認していたら、ふたつのお気に入り番組が同日午後にオンエアされていたことに気がついたからだ。
 ミュージシャンにとってラジオは媒体としての親和性が高いようで、放送時間帯は異なるが桑田佳祐や松任谷由美も自身のレギュラー番組を持っていることを知り、なるほどなあと納得、休みの日はラジオを聴くのがいいなと思った次第。
 
 まずは、この文章を書きながらいま本日の放送分を聴いている「山下達郎 サンデーソングブック」、三十年近く続く名物番組だ。この四月からの各地ライブハウスでの演奏会が延期、または中止になってしまったこともあるのだろうか、先月末からの放送は特別バージョンとして、ご自身のライブソースの中からのリクエスト曲を年代別に選曲されたものを流している。
 80年から90年代によく聞いていたLP、CDからの選曲もさることながら、実際に演奏された会場と日程が付随しているので、その当時の時代と重ねてあれこれ想像が広がってくる。東京会場のホールライブからは、中野サンプラザのソースが流されることが多く、最近はすっかりご無沙汰しているが、ずいぶんと前80年代中の二度、中野まで公演を聴きに行ったこともあっていっそう親しみがわく。
 あの会場内の一体感はなかなかのもので、ひとりア・カペラをはじめて(しかもいきなり生で)聴いて完成度の高いマジックのようにびっくり!「レッツ・ダンス・ベイビー」の間奏のときに、一斉に客席からクラッカーが打ち鳴らされたときなどは、フリークたちの統制の取れた間合いのよさに少なからず感動もした。

 個人的に最も気に入っているマニアックなアルバムは、1980年に第一集がLP版でリリースされたア・カペラ集「オン・ザ・ストリートコーナー」シリーズとその延長であるフルオーケストラの豪華バージョン「シーズンズ・グリーティングス」(1993年)である。LP盤第二集ジャケットには、中野サンプラザでも見たとおぼしきブルックリン橋の夜景と街角の舞台セットが使われている。そこには自身の立ち姿とグランドピアノが映っていて、サンプラザライブ当日のときにご本人が「ポップスのライブ演奏で生ピアノを使うのは、矢野顕子と自分くらい」と自慢げに話していたのを思い出した。
 きょうの番組では、“おうちアカペラ”と称して、リクエストを受けて「オン・ザ・ストリートコーナー2・3」に収録されていたナンバーからそれぞれ一曲づつ、ここが達郎さんの良心的かつスゴイところなのだが!そのまま流すのではなく、新たに自宅スタジオで歌唱し作られたソースが流されていた。
 放送で流れた曲順が前後してしまうがどうしても記録しておきたい。三曲目は、なんとその矢野顕子のピアノ伴奏で「オン・ア・クリア・デー」、会場が公園通り途中の山手教会地下にあった小劇場、渋谷Jean Jeanでのゲスト出演ライブ音源(1985.9.17)というのがすごい!
 ご本人によると、客席でカセット録音したものと話していたから、確かにそんな時代もあったんだなあ。

 この番組のあとに引き続き聴いたのは、村上春樹が自ら進行役をつとめる「村上RADIO」。ゼネラルプロデューサーは延江浩、ムラカミの冠をつけるくらいだから彼の相当な思い入れもはいっているのだろう。若いイメージのムラカミ氏はすでに古稀をすぎているが、音楽番組の選曲と進行を務めるのは若いころからの夢に違いなく、嬉々としておしゃべりを愉しんでいるようだ。誤解を恐れずに言うなら、これはムラカミ氏一流の“お遊び”、数ある引き出しの中のほんのひとつにすぎないだろう。
    当初は意外に聞こえたやや朴訥としたときに衒いを感じさせる話し方もようやく耳に馴染んできた。最初のころは、相手方坂本美雨にリードされながら、正直おっかなびっくりという印象もしたけれど、最近は回を重ねてきた分慣れて自信がついたのか、DJとして独り立ち?か。
 
 この日は、「言語交換ソングス」と題して日本語曲の洋楽カバーとその逆パターンを交互に流す特集で、なかなか選りすぐった?名盤珍盤のオンパレードとなっていて、それなり面白かった。
 「僕はそのむかし好きな音楽を日がな流している飲食店を七年ほどやっていたのだけれど、これから流す曲はなかなか面白いから聴いてよ!」っていう感じ、作家村上春樹の遊び心が満載で、こんなふうに自由にできるのも小説家として成功した長いキャリアと読者からの支持の賜物なんだろうな。番組HPによると収録は三月中旬とある。シビアな時期になってきた分、すこし能天気になって張り詰めた気持ちをほぐしてみよう、といったスタンスなのだろうか。

 その冒頭のこと、桑田佳祐と山下達郎オリジナル曲の洋楽カバーが出てきたのにはちょっと意表を突かれた思いがした。両方ストレートにオリジナルの選曲はまあ、おそらくないであろうから、これはつかみとしてはちょっとひねった選曲だ。
 曲が流れる途中、ムラカミ氏のMCが入ってきたと思ったら、英語バージョンの「踊ろよ、フィッシュ」(アルバム「僕の中の少年」1988年リリースに収録)があとから山下達郎の曲だと知って驚いたと、正直に告白している。本来ならちゃんと曲を聴かせるのが筋だと思うのだけれど、言わずにはおられなかったという感じ。
 1987年「ノルウェイの森」を発表し、ベストセラーとなって誰もが知る有名作家に躍り出たムラカミ氏はそのあといろいろとあって、当時はヨーロッパに滞在していたようだから、山下達郎をリアルタイムで聴いていなかったのだろうか。その前の1884年リリース「ビッグ・ウェイブ」に収録されていたビーチボーイズのカバー曲を聴いているかどうかはわからないが、そのカバーについてどのような感想なのか、この機会に誰かインタビューしてくれないだろうか。じつは、隠れ斜めファンだったしてね。

 あのサウンドトラック盤のタイトル映像を新宿コマ劇場地下にあった映画館で見たときに、えらくカッコいいサウンドと本家に引けを取らないひとり多重コーラスの見事さにノックアウトされてしまった。映画タイトル曲から始まるオリジナル、後半のカバー曲のバランス、格好良さといったら、並外れていたと思う。「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」から「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」と続くあたりは、夏の夕暮れに聴くと胸がいっぱいになり、当時の情景が懐かしくも浮かんでくる。
 この世界は、映画とはまったく関係なく、村上春樹「風の歌を聴け」にもつながるように感じられるのだ。

 そしてつぎは、ムラカミスタンスとしては当然といおうか、すまし顔の照れ隠しなのか。別の日本人によるビーチボーイズメドレーが選曲される。その名前は知っていたものの、ほぼ初めて聴く「王様」の歌唱だ。日本語直訳された詩がじつにたわいなくて、洋楽有名曲がこんな意味を歌っていたのかと妙におかしい。つぎは、坂本九の歌う有名曲「上を向いて歩こう」と「明日があるさ」(作曲はともに中村八大)の洋楽カバー。こちらはオリジナル、とくに坂本九歌唱の素晴らしさのほうが勝るように思う。彼のお墓は、都内根津美術館裏手の長谷寺境内にある。
 坂本龍一による沖縄民謡プラスレゲエ風アレンジの洋楽の後、この日の極めつけはビートルズ「恋を抱きしめよう」のカバー。さまざまな犬猫の鳴き声をダビングして作った、まさに珍品ともいえるインストメンタル曲?だ。「これ、流したかったんだよね」っていう、少年のようなムラカミ氏の表情が浮かぶ。ラストは、カメラータ・チェンバー・グループによるサティの「ジムノペティ」でこころ静かに終える。

 最後に恒例のムラカミ氏のコトバがちょっとおもしろくて、生年が同じB.スプリングスティーンの歌う姿勢の発言をひいて、自身の作家としての矜持ともいうべきものと共通する点を述べたあとである。
 「ついでに言うと菅官房長官も同い歳です。しかしブルースと菅ちゃんと同い歳というのは混乱するというか、なんか戸惑いますよね。自分の立ち位置がよくわからなくなるというか……まあ、どうでもいいんですけど。」ととぼけてみせるのだ。どうして、ここで菅官房長官なのだろう?
 ムラカミ氏と官房長官、ふたりは育ちが同郷でもなく(兵庫と秋田)、大学が同窓でもない(早稲田と法政)のに、会見でのやりとりはともかくとして、令和のおじさんだからではあるし、まんざらきらいな人ではないのだろう。プライベートでは、菅さん、きっといい人なんだろうと想像するけれど。


追記:年齢に関連して。
 最近亡くなった俳優の志賀廣太郎さんも71歳、昨年脳梗塞で倒れて療養中の誤嚥性肺炎だった。
 二十数年ほど前だろうか、仕事上ある機会があってほんのすこし話したことがある。小田急線の大和駅上りホームにおいて、急行がやってきてそこで別れたのを覚えている。印象に残る低く落ち着いた渋い声、長身、やせ型、眼鏡をかけた一学者か勤勉実直な課長か、場合によっては冷酷な管理職役が似合う個性派俳優。生え抜きでもなさそうなのに、どうして平田オリザ主宰する青年団に所属していたんだろう。最近は携帯電話のテレビCMにおいて、大真面目にコミカルな役どころででていて、おやって思っていた。
 まあ志賀さん、菅長官と似ていなくもないがムラカミ氏と同じ年だったなんて、なんか戸惑いますよね。もう、病気で亡くなってしまうこともある、そんな年齢なんです。

 行き先の見えない新型コロナウイルス騒動のさ中、まずは自身のからだと家族、それから愛おしい存在を大事に思いやって。やっぱり日々こころのバランスと健康第一です。
(2020.04.3書き出し、04.04稿了)

 自宅マンション敷地内の自然林、一重咲ヤマブキとタチツボスミレ群生
 (撮影:2020.04.07)


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