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竹内まりやの語る「人生の贈りもの」

2014年09月13日 | 音楽
 9月に入ってすぐの朝日新聞夕刊の連載欄「人生の贈りもの」に五回連続で、竹内まりやのインタビュー記事が掲載された。10日に新アルバム「TRAD」発売と11月からの全国ツアーを控えたこれ以上はないくらいの絶好のタイミングで、スマイルカンパニー(所属事務所)スタッフの用意周到さを感じさせるけれど、そのことはさておいて、そのインタビュー記事内容は、これまで知らなかったひとりの人間としての側面、少し上の世代の人生の先達?としていろいろと興味深く思うところが多かった。

 竹内まりやは、1955年(昭和30)島根県出雲の生まれで、実家は古くからの旅館、父親は地元の名士らしい。連載二回目には、五歳のころ防音壁の部屋でピアノに向かう本人提供写真が掲載されていて、よくステレオの前で父母や兄姉の影響?もあり、早くから欧米ポップスを聴いて育ったと語っている。そこから伺えるのは、地方の裕福で円満な家庭育ちの様子だ。
 小学生四・五年のころTVコマーシャルで、ビートルズ「ア・ハード・デイズ・ナイト」の一節を耳にして、たちまちそのとりこになったそうだ。いささか早熟な感もあるけれど育ちの環境もあるのだろう、本人によるとその出会いはまさしく衝撃的で、その後の彼女の人生観・生き方を変革した、といっていいものだったようだ。この出会いの感受性、気負いのない素直さにちょっと驚かされる。そんな人生を変えるような出会いの衝撃って、自分の人生にはあったかしら?と同じ日本海側地方育ちとしては、実にうらやましい限りで、運命の定めのようなものすら感じてしまう。まあ、それぞれの人生、比較すること自体おかしいのはわかっているんだけれどね。

 高校時代のアメリカ・イリノイ州へ留学、パーティーでロバータ・フラックの「やさしく歌って」(以外!)を披露したと語っている。帰国後の慶應大学入学とそこでのバンド活動、やがてそれが1978年のアルバムデビューへとつながり、まさしくトントン拍子にサクセスストーリーを駆け上がっていく。どうも彼女には、自然と回りを味方に引き込んでしまう天性のオープンな人柄と才能があるようだ。
 順調すぎる中での突き当たった大きな壁は、芸能界における代理アイドル的役回りへの周囲の期待感だったそうで、あくまでも音楽に対する自然体の姿勢を望む本人には相容れない“違和感”だったようだ。そこは聡明な彼女、並みのアイドル化現象に陥ることなくしっかりとテレビをはじめとするメディアへの適切な距離感を学び取っている。その頃に現れたのが、現在の夫君であるところの山下達郎氏で、1982年4月の結婚(挙式は六本木の東京出雲大社)やいくつかのエピソードを交えてこの二人のおしどり音楽夫婦ぶりはすでに知られた通り。

 連載最終の5回目は、長女出産後の29歳のときに発表した「VARIETY」(1984年)からの先を省いて、最新作アルバム「TRAD」に飛躍する。まあ。活動再開後の活躍の様子はみなさんご存じのとおりです、ということなのかな。個人的には、ビートルズと出会う前のこどもの時代に触れた彼女の音楽体験の揺り籠ともいえる1950~60年代前半の欧米音楽を全曲カバーしたアルバム「ロングタイム・フェイバリッツ」(2003年)についても取り上げて、その中での大瀧詠一氏との唯一のデュエットとなってしまったF.シナトラ「恋のひとこと」のいきさつなど話してほいしかったのだけれど。このアルバムは、おそらく唯一の本人名義のプロデュースとなっていて、彼女のビートルズとの出会い以前の時代の音楽体験の原点が聴ける実にユニークなものでゆったりとした気分に浸れる(ただし、ジャケット写真が黒のスリムな上下姿でドラムセットにギターのバンドスタイルがややミスマッチ!)。

 「TRAD」に関しては取り上げた楽曲の窓口の広さが特徴となり、その中で7月に先行発売された「静かな伝説」(TV番組「ワンダフルライフ」のエンディング曲)の生まれたいきさつを語っていて、吉田拓郎のラジオ番組に出演したときがきっかけで、間奏のハーモニカは彼女自身が演奏している。拓郎といったら、かつてはシンシア=南沙織ファンで知られたこともあって、新たに知った意外な結びつきがおもしろかった。ちなみにシンシアとまりやお二人の音域はともにアルト域で歌い方や耳へのなじみ方もとて近いものがあると感じている。
 お二人の直接の結びつきはないようだが、今回アルバムの中には「YUOR EYES」という一曲、これは夫君達郎氏が1982年のアルバム「FOR YOU」で発表し、ジャズ歌手のナンシー・ウイルソンもカバーした英語歌詞の超有名曲なのだけれど、この作詞が昨年5月に亡くなってしまったアメリカのシンガーソングライター、アラン・オデイという人で、南沙織1975年のLP「シンシア・ストリート」内密かに!3曲を提供していた。当時としては画期的だったと密かに思っているこのアルバムのクレジットをいま改めて確かめたら、協力になんと小杉理宇造氏の名前があり、氏は達郎・まりあが所属するスマイルカンパニーの代表であるのだから、シンシア(南)-まりやのつながりもここにようやく見出せる!というわけ。 

 このアルバム制作は、前回の「DENIM」に引き続いて、達郎&まりやの共同プロデュース名義となっている。タイトルロゴは、5月15日の新聞広告一面に掲載されたときには、赤のタータンテェックでデザインされていたけれど、群青色の地に白抜き文字と変更されている。ジャケット表紙には、実家の旅館階段に腰かけたヘリンボーン仕立てのチョッキとズボン、ネクタイ姿のトラッドな装いの本人が映っている。曲そのものについてはまずは聴いてみるのが一番だし、あれこれ感想を記すにはもうすこし聴きこんでみてからではないとね。
 
 ブックレット最終ページにはいつものように、関係者や親族への感謝の辞が記されているんだけれど、スペシャルサンクスの最後には昨年他界してしまった長年にわたる音楽仲間、大瀧詠一、青山純(ドラマー)、アラン・オデイの三人の名前が特別に記されている。                 
(2014.9.7書出し、9.13初校・改定)


附記:『ささやかな幸せ』について
    無料ブログページには、冒頭文のあとに必ずPR欄が自動的につく。
    「TRAD」発売の10日、何気なくこのブログを開いてみたら、
    その日はなんと「TRAO」発売中の告知だった!
    そんな広告なら歓迎、うれしくなった。しばらくして別の広告に変わってしまったが、
    本日13日にも再び見かけたけど、これからもまたあるといいなあ。


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