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日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

まほろばにて、七夕の日々

2019年07月22日 | 旅行
 奈良からもどってきて二週間、あれこれとあったのだけれど、その割になんとなく気持ちの納まりのつかないまま、余韻を持て余すようにして過ぎている。
 それは二十数年ぶりの奈良行きが待ち遠しくて、訪れてみたら過ごす時間のありがたさ、もったいなさに気持ちが静かにふるえていたらしいこと、記憶の彼方からフラッシュバックしてきたかのような既視感におそわれたこと、そしていいしれぬ五感の深まりにあるのだろうか。

 奈良に滞在中、夏の兆しを感じることがあった。到着の日の午後、奈良公園をぬけながら鷺池にある浮御堂のベンチに腰かけて眺めたおだやかな風景と風にふかれて咲き始めていた百日紅。二日目はよく晴れて、県庁横のバスターミナル屋上から三百六十度の視界に広がる奈良盆地の山々のみどりがまぶしくて鮮やかだった。その近く依水園の池には真っ白なハスがいくつも咲いていて、瓦のむくり屋根の寧楽美術館をみてまわったあとに、鰻とろろ御飯をいただいた茅葺屋根の家で、床の間にかかる巻物が吹き抜ける風に揺られてカタコトと壁をたたく。南大門を望む庭園にあるネムノ木は咲きだすまではあとすこし。気がつけば水面上をトンボが飛んでいた。
 宿のすぐそばの石仏像が幾面も埋め込まれた不思議な頭塔のたたずまい、夜の土塀の続く横町の薄明かり、夕暮れ天神社の頂からのならまちの眺め。昔ながらの商店街をさまよって汗ばんだところで、小さな民家カフェでひと休みして、宿にもどったあとのいくえにも深くてたおやかな夜の時間。
 深夜から明け方にかけてふった雨が、早朝にはあがって晴れてきて、馬酔木茂るささやきの道から迷い込んだ春日大社境内。大仏殿から参道をにけて鹿のたわむれる公園散策のあとに、高台の奈良ホテルでしずかに向き合ったアフタヌーンティーの時間、窓の外に鹿の姿がみえた。
 滞在最後の九日朝早くにひとり散歩した旧大乗院庭園では、大池水面が鏡のように静かで松の木と赤い欄干の太鼓橋と曇り空を反転して映し込んでいた。随分と前のこと、いまは夢の跡形無きこの地内のJR保養所に泊まって静かな朝を迎えたことがまぼろしみたいだ。
 
 

誰もいない旧大乗院東大池に映る、梅雨の明けきらないあおによしならのなつそら(2019.07.09)
 

 史跡頭塔(土塔)、奈良時代の僧玄昉の頭が埋められた墓?半分が復元されて、半分は露出のまま。
インドネシアジャワ島ボロブドール遺跡を連想する。瓦屋根の下には浮彫石仏、塔頂には五輪塔。

 いったん宿に戻って茶粥の朝食をいただき、帰り支度をすませて高畑町のしずかな住宅街を奈良市写真美術館まで歩く。新薬師寺はそのすぐ隣り合わせというか、美術館を含むあたり一帯がかつての新薬師寺境内だった。境内左手には会津八一の歌碑があり、国宝本堂に入ってのご本尊、十二神将とひさしぶりのご対面、こちらの宿坊に泊めて頂いたのは十一月の冷え込む時期で、はじめての五右衛門風呂で温まった。

 しめくくりは、ならまちを巡っての元興寺極楽坊、しぶいな。本堂正面には、極楽曼荼羅にちなんだかのようなハスの鉢の数々。境内に集められた石塔まわりの紫キキョウ、ハギの長い枝がのびてぐるり本堂を囲んで裏手に回ると日焼けしたオレンジ色天平瓦の大屋根がみえた。1994年、壮大な一大絵巻!として東大寺で開かれた世界遺産記念音楽祭「OANIYOSHI LIVE」のときに、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディラン、ライ・クーダー、喜納昌吉、レナード衛藤、ボン・ジョヴィを聴き、ここの門前旅館に泊まった早朝、境内を散歩してみあげた大屋根瓦だ。




 境内の奈良時代礎石と紫キキョウ、ハギの茜紫はあとすこし。