来年の秋に二胡の演奏会を企画していて、その所用で港北ニュータウンを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンラインに初めて乗った。JR横浜線山中駅で下車して乗り換え、日吉行きの車両に乗り込む。都内大江戸線と同じで建設コストが低額で済むように、通常の地下鉄よりもひとまわり小ぶりの車両だ。
五つ目の北山田駅で下車して、その日午後の演奏会が行われる地区センターを目指す。ここでのロビーコンサートに出演するのが、横浜をベースに活動してる二胡奏者のシェンリンさん、10月に町田でその演奏を初めて聴いたときになかなか素晴らしくて、出演依頼できる機会を持ちたいと思っていた。今回は地域の無料コンサートなので、ディズニー曲など親子連れを想定したプログラムだったけれど、最後の曲が意表をついておもしろかった。なんと、ジャズ原曲の「バードランド」。オリジナルはジョー・ザビヌルの率いたグループ、ウェザーリポートで、一般的にはボーカルコーラスグループのマンハッタントランスファーの大ヒットで知られる。アップテンポの明るい曲調で会場内に違和感なく溶け込んでいた。
ふたたび地下鉄に乗り、終点の日吉まで出る。駅ビル改札を通って外に出ると慶應大学日吉キャンパス入口が正面だ。ちょうど黄色に染まった銀杏並木が両側に奥までずうと伸びている。すこし周辺を歩いてみたくなって、綱島街道を下り住宅街に入って奥まった階段を上り、キャンパスの裏手の高校グランドの脇に出た。丘の上から横浜都心のビルが住宅越しの望める風景だ。グランドでは高校生たちがバッティング練習を行っている。たしかこの奥には、谷口吉郎が戦前に設計したモダニズム寄宿舎があるはず。グランドの縁には新幹線のトンネルが通っていて、その路線は新横浜駅からその先の名古屋方面にもつながっていく。丘の縁の住宅の前には、冬空に伸びた皇帝ダリアの薄ピンク色のシンプルな花がいくつか、寒くはないのかいと声を掛けたくなってくる風情の中、咲いている。
と、グランドの端に赤いトタン屋根の古い建物が目にはいってきた。最初は野球部室かと思ったけれど、よくみると小さな尖塔のうえに十字架がある。教会?でもミッション系でもないところにどうしてと不思議に思いながらも通り過ぎようとしたが、やっぱり気になって戻り、思いきってキャンパス内へと歩みいる。その建物はどことなくかわいげな感じ、どうぞと招き入れられるような気がして、建物前にまで歩み寄ってみた。すると入口に説明版があって慶應大学YMCA会館とあり、さらに読むとなんと戦前の1937年に竣工したW.M.ヴォ―リーズ(1880-1964)設計の教会堂だった!まさかこんなところで出会うなんて本当にうれしくもあり驚いた。なにしろ横浜でのヴォ―リーズ建築といえば、山手の横浜共立学園くらいだと思っていたので意外だった。キリスト教系の学園以外で敷地内にチャペルがあるのは、国内ではほかに例がないとか。中に入れていただくと、高天上はシンプルな木組みで、正面奥にはきちんと祭壇があり、並べられた椅子は坂倉建築事務所のデザイン、天童木工製で、東京六本木の国際文化会館から譲り受けてきたものなのだそう。う~ん、インテリアまでスゴイぞ。それにしても、戦前から戦後しばらくのヴォーリーズ建築の影響って、キリスト教をバックにして全国津々浦々まで拡がっていることの一端を、ここ日吉で実感する。
帰りには、戦前1934年竣工の白亜の古典洋式を加味したモダニズム建築、慶應義塾日吉校舎(曽根中条建築事務所)の前を通り、キャンパス中央の見事に黄色く色づいた銀杏並木が続くゆるやかな坂を下っていく。この軸は駅ビルの正面吹き抜け空間を抜けて、反対側の日吉中央通まで一直線に伸びて、キャンパスと住宅地が結ばれている日本離れした象徴的なビスタ=眺望軸を形成している。
わずか一時間あまりだったけれど、思わぬ発見の日吉さんぽを満喫させてもらったひとときでした。

慶應義塾大学基督教青年会館の赤い尖塔と銀杏

冬空の寒そうな空気のもと咲く、わらかいピンクがなんだか、けなげでいじらしい皇帝ダリア
五つ目の北山田駅で下車して、その日午後の演奏会が行われる地区センターを目指す。ここでのロビーコンサートに出演するのが、横浜をベースに活動してる二胡奏者のシェンリンさん、10月に町田でその演奏を初めて聴いたときになかなか素晴らしくて、出演依頼できる機会を持ちたいと思っていた。今回は地域の無料コンサートなので、ディズニー曲など親子連れを想定したプログラムだったけれど、最後の曲が意表をついておもしろかった。なんと、ジャズ原曲の「バードランド」。オリジナルはジョー・ザビヌルの率いたグループ、ウェザーリポートで、一般的にはボーカルコーラスグループのマンハッタントランスファーの大ヒットで知られる。アップテンポの明るい曲調で会場内に違和感なく溶け込んでいた。
ふたたび地下鉄に乗り、終点の日吉まで出る。駅ビル改札を通って外に出ると慶應大学日吉キャンパス入口が正面だ。ちょうど黄色に染まった銀杏並木が両側に奥までずうと伸びている。すこし周辺を歩いてみたくなって、綱島街道を下り住宅街に入って奥まった階段を上り、キャンパスの裏手の高校グランドの脇に出た。丘の上から横浜都心のビルが住宅越しの望める風景だ。グランドでは高校生たちがバッティング練習を行っている。たしかこの奥には、谷口吉郎が戦前に設計したモダニズム寄宿舎があるはず。グランドの縁には新幹線のトンネルが通っていて、その路線は新横浜駅からその先の名古屋方面にもつながっていく。丘の縁の住宅の前には、冬空に伸びた皇帝ダリアの薄ピンク色のシンプルな花がいくつか、寒くはないのかいと声を掛けたくなってくる風情の中、咲いている。
と、グランドの端に赤いトタン屋根の古い建物が目にはいってきた。最初は野球部室かと思ったけれど、よくみると小さな尖塔のうえに十字架がある。教会?でもミッション系でもないところにどうしてと不思議に思いながらも通り過ぎようとしたが、やっぱり気になって戻り、思いきってキャンパス内へと歩みいる。その建物はどことなくかわいげな感じ、どうぞと招き入れられるような気がして、建物前にまで歩み寄ってみた。すると入口に説明版があって慶應大学YMCA会館とあり、さらに読むとなんと戦前の1937年に竣工したW.M.ヴォ―リーズ(1880-1964)設計の教会堂だった!まさかこんなところで出会うなんて本当にうれしくもあり驚いた。なにしろ横浜でのヴォ―リーズ建築といえば、山手の横浜共立学園くらいだと思っていたので意外だった。キリスト教系の学園以外で敷地内にチャペルがあるのは、国内ではほかに例がないとか。中に入れていただくと、高天上はシンプルな木組みで、正面奥にはきちんと祭壇があり、並べられた椅子は坂倉建築事務所のデザイン、天童木工製で、東京六本木の国際文化会館から譲り受けてきたものなのだそう。う~ん、インテリアまでスゴイぞ。それにしても、戦前から戦後しばらくのヴォーリーズ建築の影響って、キリスト教をバックにして全国津々浦々まで拡がっていることの一端を、ここ日吉で実感する。
帰りには、戦前1934年竣工の白亜の古典洋式を加味したモダニズム建築、慶應義塾日吉校舎(曽根中条建築事務所)の前を通り、キャンパス中央の見事に黄色く色づいた銀杏並木が続くゆるやかな坂を下っていく。この軸は駅ビルの正面吹き抜け空間を抜けて、反対側の日吉中央通まで一直線に伸びて、キャンパスと住宅地が結ばれている日本離れした象徴的なビスタ=眺望軸を形成している。
わずか一時間あまりだったけれど、思わぬ発見の日吉さんぽを満喫させてもらったひとときでした。

慶應義塾大学基督教青年会館の赤い尖塔と銀杏

冬空の寒そうな空気のもと咲く、わらかいピンクがなんだか、けなげでいじらしい皇帝ダリア