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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

明治村、旧帝国ホテルとの対面

2014年09月09日 | 建築
長年の想いを果たすべく、とうとうというか、ついにというか、愛知県犬山市にある明治村を訪れることがかなって、先の八月二十七日お昼前、旧帝国ホテル(新館中央玄関部分)と初めて対面してきました。

 その時、この建物の印象として率直に感じたのは年代を重ねたこともあるけれど、じつに爬虫類のような彫の深い表情をしていて、東京豊島区南池袋にある自由学園明日館と規模や建築素材は異なれど、そのおおまかな外観と配置レイアウトはよく似ている、ということ。当り前といえばその通りで、両者ともフランク・ロイド・ライト設計により、旧帝国ホテル新館は1923年(大正12年関東大震災の年!)竣工、明日館のほうは1921年の竣工と年代も近く、ともに弟子の日本人建築家、遠藤新が献身的にかかわっていた。明治村の開園は1965年3月だから、旧帝国ホテルは1967年取り壊し後の余生?というには現役時代以上に長い40数年の年月をこの地で静かに送っていることになる。村内バス運転手さんによると、宇治平等院を模した造りとの解説があったけれど明日館はともかく、こちらのほうはおそらくライト自身にはそのような意図はなくて、日本人から見た印象が通説となった気がする。

 夏の暑い日差しが残る明治村の奥まった場所に移築された旧帝国ホテルの正面に立つと、建物本体と同じくスクラッチタイルの壁面と大谷石に縁どられた四角い人工池があって、その後方が正面玄関となっている。明日館の場合は、この池が芝生広場に置き換わったと考えれば同じだ。もともとのホテル建物全体は、人工池を含んだ正面玄関部分をコの字型で取り囲む両翼のように300室ほどの客室棟が伸びていたようだ。
 池を回り込んで、正面玄関から低い庇をくぐりぬけてホールにでると、ぱあぁと視界が広がり高い吹き抜け天上となる劇的な空間。さらにその奥には、大食堂が続いていたらしい。ホールの二階には回廊がめぐらされ、柱まわりには大谷石のゴシック風の彫刻が取りつき、正面玄関の真上部分の二階部分は現在喫茶ルームとなっていて、そこからテラス越に人工池を隔てて遠方の緑の風景が眺められるようになっている。明治村の中のじつは大正時代の空間にたたずんでいることが幸せな気分にさせてくれる。ひとりじゃないのに、いま目の前に向きあっているのに、想う期間が長すぎたのか、出会ってみるとなんだか呆気ない気もして、戸惑いともどかしさが混じったような不思議な気持ち。

 目線の見下ろした先の人工池にはモネの油絵のように睡蓮が浮かんで清楚な花を咲かせているはずだったが、残念ながらその姿はなくて、だた水面が夏の陽光を反射してきらめいているだけだった。もう少し言葉にしてみたいのに、言葉にならない・・・。


 さよなら、F.L.ライトさん
 信じられません、あなたの歌がこんなに早く消えちゃうなんて
 まだメロディもろくに覚えていないのに
 こんなに早く こんなに早く

  “フランク・ロイド・ライトに捧げる歌“より/サイモン&ガーファンクル


補足:最近出たばかりのイラストレーター安西水丸さんの遺作「地球の細道」(2014.8.25発行 A.D.A.エディター)に、旧帝国ホテルがイラスト付きで思い出が書かれているのを読んだ。スノードームの話題からNYグッゲンハイム美術館ミュージアムショップ、そしてライトへと飛躍するのが面白い。ライトが来日しての宇都宮、大谷石との出会いのこともあって、へえと思わせる。

 

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