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マイラブ~神様の両手~ 空白の4日間(4)

2005-09-15 23:12:29 | 『ダイビング事故からの生還』体験物語
 空白の四日間の話を聞いたのはそれからしばらく経ってからだ。
それは私を救出するためにたくさんの人たちが命がけで繰り広げた壮絶なドラマだった。

 私の記憶が最後にあったのは大体海中30m地点で、私より先に潜行したバディの青年は周りの様子を見てくるために私にサインを送った後その場を離れた。私は覚えていなかったがその時はまだ何とか意識があった。でも力の限界まで来ていた私は青年がいない間にずるずるとアンカーロープの先端まで落ちてしまい碇の上にひっかかるように座っていた。
碇の先端は海中42メートル

それでもロープだけはしっかり握ったままで…。

 しばらくして青年が戻り私がいないことに気づいた。辺りを見回すと暗い下方にぐったりとした私が見えたので青年はアンカーロープの先の私が気づくようにロープを揺すった。私はそれに気づいたのか、揺さぶられたことで体が反応したのか青年の方に顔を挙げた。青年は私に浮上してくるようにサインを送った。
が、しばらく待っても全然浮上して来ないので不審に思い、私の所まで潜行した。

そして私を見た青年は驚愕した。

レギュレーター(呼吸装置)が口から外れ、ぐったりした私を目の当たりにしたからだ。

すぐ青年は自分の補助のレギュレーターを私の口に加えさせたがすでに私には加える力も酸素を吸う余力も残っていなかった。それまで何とか握りしめていたロープも手から離れ、ゆっくりと暗中の海底へと私の体が落ち始めた。青年はすぐさま私の手をつかんだ。「あと一秒でも遅かったら間に合わなかったです。」
と後に青年から聞かされた時には体中震えが止まらなかったのを覚えている。
私の手をつかんだ青年は必死で海上へとアンカーロープをつたいながら浮上していった。どんなに大変だったのだろう。そして一番潮の強い12、3メートルの海域まで来た。
いつしか私の顔からマスクも外れ、片方のフィンも流され私の顔はむごい顔になっていた。青年もすでに限界に達していたところへ中年男性の三人のダイバー達がちょうど潜行してきた。尋常ではない状態に気づいた三人の男性はすぐさま青年とバトンタッチしてくれた。一人の男性が私を抱えて海上へ浮上しようとがむしゃらに頑張った。しかしものすごい潮の流れに浮上するどころか私を抱えておくことさえも困難な状態だった。
「手がちぎれそうじゃったよ。でもこの手を離したらわしは一生後悔すると思って離さんかったんじゃ。」
と元気になってお礼の電話口で明るく言って下さった時には涙が止まらなかった。結局、船上からロープを垂らしロープを私の体に巻き付けて引き揚げ、ようやく船体へと横たわった時には相当の時間が経過していた。
 
引き揚げられたとき私は死んでいた

瞳孔が開き呼吸、心臓とも停止していた。大量の水を飲んでいたため肺やお腹が盛り上がり膨らんでいた。ショップのオーナーが勢いよく背中を叩き一気に水を吐かせるとすぐさま人工呼吸が始まった。賢明に行われる心臓マッサージと人口呼吸。

心臓マッサージをして下さったダイバーの一人に病院のICU勤務の二十代の女性看護師がいた。海中で私のむごい姿を見て、潜るのを止め、すぐに浮上してくれたのだ。彼女は船上へ上がると自分のフィンも外さずに私の所へ近寄り、心臓マッサージを行った。
人工呼吸を開始して五分。

変化なし。     また開始。

しばらく経過しても私は息を吹き返さなかった。それでも皆は必死で繰り返し繰り返し続けた。

でも反応なし。      「……」                   「……」



「だめだ…。」



誰かが諦めの言葉を発し空気が硬直した。

「まだ、やって下さい!!!」

渇をいれたのは看護師さんだった。
その言葉に引き寄せられ、人工呼吸が再開した。どのくらい時間が経過していたのだろう。それからしばらくして私は「ふっ」と息を吹き返した。
すでに心臓、呼吸停止から約二十分以上経過していた。

 それから救急車の待つ宇和島の港へ向かって船は走り始めた。息を吹き返したもののその後の私はバスタオルにくるまれたままぐったりとしていた。岸に着くまでショップのスタッフやツアー客のメンバー達が私の名前をひたすら呼び続けていてくれた。その声が届いたのか突然私は目をギョッと見開いて「ウ~ッ」と低いうなり声をあげながら体を起こした。「その瞬間『やった!』って拍手と歓声沸き上がったんよ。」
と入院中、お見舞いに来てくれた友達が教えてくれた。それから救急車に乗せられた私はすぐに八幡浜市民病院へ運ばれたが、土曜の午後で先生も不在だったこともあり、その後一時間救急車に乗って愛媛大学付属病院へと運ばれた。救急車の中でも「ウ~ッ」と声を上げてもがき苦しんでいた。
病院到着後、私はすぐ高圧酸素室という特殊なカプセルの中へ入れられた。水深42メートルという気圧の高いところに長時間いて急に通常の気圧のところに出たため、血中に溶け込んでいた窒素が気泡となって細い血管を塞ぐ潜函病の恐れがあったためだ。肺までの人工呼吸器を取り付けられると意識のないまま八時間その中に入っていた。
その後、CT等の検査の後ICUに移された。余談を許さない意識不明の重体が四日間続いた。

 私のニュースはその日のうちにTV、ラジオで流され、次の日の中国新聞の朝刊の三面記事には『ダイビング中おぼれて重体』という見出しで載った。ちょうどマザーテレサが亡くなった一面記事と隣り合わせの三面記事だった。家族、職場、私を知る人たちは錯綜する様々な情報に翻弄されて大パニックになっていた。
そんなこととは何も知らずに私は三途の川を行ったり来たりしていたのだ。

第4話へとつづく

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