music wind 

音楽を通してたくさんの人との出会いや心のふれあいをかいてます。

自分の輝いていた時の歌

2007-09-28 21:23:20 | 今日の音楽セッション
ある60代後半の男性は現役時代にはバリバリ働いていらっしゃった。

何年か前に病気になって思うように自分の体が動かなくなってしまい、今の状態をまだ完全に受け入れることが出来ずにいる。

その中で、少しずつではあるがスタッフやリハビリなどで硬い心がほぐれて、皆との会話や集まりの中でも発言したり、笑顔も見せてくださるようになった。

その男性がリクエストした曲を歌った。
集まりの中ではまだお若い年代なので、知らない方達も多かった。

そういう中、その男性は懐かしそうに歌っておられた。
歌い終わった後、「この曲はカラオケなんかで歌っていらっしゃいましたか?」と尋ねると、ちょっとニヤッとしながら頷かれた。

歌いながら、その当時の自分のことや色んなことを思い出していたのかなあ、と嬉しそうに歌っている姿を見て思った。

自分が輝いて充実していた頃の曲と言うのは振り返った時にパワーを与えてくれるのかもしれない。

私にとっての曲は何かなあ~。

楽器を使う意味を考える

2007-09-27 16:07:42 | 今日の音楽セッション
特養でのセッションの日。

今日もメンバー全員揃っての参加。入室時の表情もとっても良く、皆さんいい笑顔   

前回から取り入れたタマゴの形をしたマラカスを鳴らしながら、体操的なものを今日も行った。
楽器を使ったり道具を使っての体操的なことを取り入れるのは久しぶり。メンバーの身体的な低下が見られてきたので、ここんところ何も使わないで行っていた。

でも久しぶりに、楽器を使うことで刺激や意識の入り方が違ってくると思ってわらべうたを歌いながらやってみた。

予測は的中して、いつもは何げに体の部位を触るかそのあたりに近づけていた手がマラカスを使うことで頭まで手が伸びて頭で鳴らしているではないか。
「私は手が上まで挙がらんのんよ(ほんとは挙げることは出来るけどあえて自分でセーブしている)」といつもは肩の高さまでしか挙げていなかったばあちゃまも、両手をしっかり頭部にまで持っていき、「ええ音がするねえ」と言いながら嬉しそうに頭で鳴らしておられた(笑)。

タオルやてぬぐいを使った時も同様に感じたことだが、具体物を使うことでそこに意識をして、意識を持って動かそうとする。具体物は目に見えるものでそれを確認出来るから。そして何より楽器の良いところは、見えるだけではなく”音がする”と言うこと。音がすることで自分自身で確認出来る。

普段、何となく曖昧になっていた動きも今日は歯切れよく、動かしていた。

たくさんある楽器を目標、状況に合わせて上手く使い分けることが大事なのであります。

冷や汁

2007-09-24 21:12:26 | ステキなお店とおいしいもの大集合
せっかく苦労?して作った冷や汁なので、ご紹介を。

①アジの開きを焼いてほぐしておく。
 魚は飛び魚とか、いりこなどでもよいらしい。

②ごまをいってからすり鉢の中で擦る。
③その中に焼いた味噌を入れて一緒に混ぜる。

 ほんとは擦ったごまに味噌をすり鉢に貼り付けてすり鉢をコンロに逆さに置いて炙るのですが、めんどくさいので母に教わったトースターで味噌を焼いたものをごまの中に混ぜました。

④ほぐしたアジを入れてだし汁で溶く。

⑤その中にキュウリ、水切りした豆腐、みょうが、大葉、ネギを入れて、冷蔵庫で冷やす。
⑥あつあつの麦ご飯(私は玄米)にかけていただきま~す。

夏の食欲のないときには栄養もあり、食が進みます。
残暑が厳しいので、まだいけます。

お試しあれ。

タコスパーティー

2007-09-24 20:57:00 | いろんな話
お世話になった人たちを呼んでタコスパーティーをしました。

久しぶりに厚さ9ミリのオリジナル鉄板を使ってのトルティーヤを焼くので、ワクワクしていたのですが、トルティーヤの粉に油を入れて混ぜるのを忘れていたのでいざ、生地を伸ばすとすぐに亀裂が入ってしまい、上手く広がらないではないか・・・    

そう言いながらも、皆の協力で何とか形にして焼き上げました  

あとは好きな具材をふんだんに挟んでパクッと口の中へ。


今回はタコスがメインのつもりだったのですが、宮崎の郷土料理”冷や汁”が食べたいとリクエストされたので、タコスと合わないよなあ~、と思いながらも作りました。それともう一つ宮崎の発祥地の食べ物”チキン南蛮”も作っちゃいました。


2つの料理も初めて食べる味だったようで、新鮮な感じで食べてもらいました。

最後はグロンゾムのケーキで締めました。
ハロウインも近いのでカボチャのケーキがかわいかったです。

味もgood   

自分の意思とは違う選択をしなければならない辛さ

2007-09-22 20:54:46 | いろんな話
あるばあちゃまが、ちょっと冴えない表情をしていたのでさりげなく尋ねてみた。

「もう、1人で住むのがちょっと難しくなったからショートステイに行かなきゃならんのんよ・・・」
そう話すと目線を下に落として大きなため息をつかれた。

「そうなんですかあ。1人で生活していくのが難しくなってきたんですねえ。」とそのばあちゃまの気持ちをそのまま受け止めた。

ばあちゃまは90歳を過ぎてもバリバリ1人でこなしていたが、少し前に具合が悪くなり、1人での生活が困難になってきた。
子供さんがしばらく一緒に生活して何とか体力も戻って来られたが、遠くにいらっしゃる子供さんも帰らなくてはならないので、その間、ショートステイを利用することになったのだった。

自分の体のことも1人での生活は不安になってきたことは重々理解して納得しているつもりなのに、そうは言っても知らない場所での共同生活、不安や色んな気持ちが交錯して、大きなため息となって出たんだと感じた。

有り難いことに「ショートステイに行ったら、あなたにも会えないしねえ・・・」
と残念そうに言っていた。


それぞれに色んな事情がある。最後の時まで自分の思うままに過ごせたら素晴らしい!が心はそう願っていても、自分の体や取り巻く環境など、なかなか自分の願うようにはならない。なる人もいるけど(そうありたい)。

色んなお年寄りたちを見ていると本当に考えさせられる。

自分の親のことやこれからの自分の生き方を。