本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

昭和天皇の心の問題はどうしてくれる?

2006-07-21 08:46:20 | 
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀 2006年 7月20日 (木) 12:41(朝日新聞)

 昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。

 メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。

 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。

 メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。

 昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。

 昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。

 靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。

    ◇

 《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。

 個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。

    ◇

 靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。

 大きな国際問題になったのは、戦後40年目の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。

 昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。

 首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。

 自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。

 ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。

    ◇

《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》

【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)

東条英機(陸軍大将、首相)

板垣征四郎(陸軍大将)

土肥原賢二(陸軍大将)

松井石根(陸軍大将)

木村兵太郎(陸軍大将)

武藤章(陸軍中将)

広田弘毅(首相、外相)

【終身刑、獄死】

平沼騏一郎(首相)

小磯国昭(陸軍大将、首相)

白鳥敏夫(駐イタリア大使)

梅津美治郎(陸軍大将)

【禁固20年、獄死】

東郷茂徳(外相)

【判決前に病死】

松岡洋右(外相)

永野修身(海軍大将)

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 以上、引用終わり。
 今の天皇は無論のこと、戦後の昭和天皇もまた徹底した平和主義者だった。
 ポチは「靖国参拝は(ポチ個人の)心の問題」と言い張って来たが、では今回公表された「昭和天皇の心の問題」はどうするつもりだろう?

 無視して構わないということだろうか。

 安倍は今のところだんまりを決め込んでいるというか、判断停止状態と言っていい。ろうばいしていると言ってもいい。
 彼はつい先日までは「次期総裁(←自分のことかよ?)にも是非靖国参拝はして欲しい」と言っていたくせに、このメモ以降は「小泉首相御自身が判断されることだ」などと明らかに及び腰である。

 言ってしまえばポチの心の問題など実はどうでもいい話で、誰もポチが思慮深い人格者だなどとは思ってはいないが、これが昭和天皇の心の問題となると、これはおいそれとは「どうでもいい」とはならない筈だ。 

「行くも行かぬも自由だ」などとポチは尚言う。
 しかしこれは違う。これはポチ得意のペテンである。

 靖国参拝へ行かないのなら、これは自由と言っていい。

 しかし卑しくも公人が行くからには:

1.自分の靖国理解。即ち靖国が戦前果していた役割をどう考えているか。そして現在の靖国の主張をどう考えるか。等々。
2.自分と靖国との関係はどうか。
3.連合軍の戦後処理と東京裁判をどう考えているか。(1.と重複するが)それに対する靖国側の主張をどう理解しているのか。

 と、せめてこれくらいは明らかにしないで行くのは無責任で傲慢な独裁者の態度と言うべきである。
 「落ち目の三度笠」たるポチには最早そこまでは到底許されてはいないのだから。

 常識的にはこれでもうポチも安倍も、この夏乃至は秋に靖国参拝を強行する足場は失ったと見るべきだろうが、彼らがこういった世間一般の良識を備えているか否かはまた別問題であって、私には何とも言えない。w



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6 コメント

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TBありがとうございました (o_sole_mio)
2006-07-23 00:21:35
靖国神社に公人として参拝するための条件とした上げられた点、まさに仰るとおりだと思います。



自民党が、靖国問題が総裁選や国政選挙の争点になることをひたすら避けようとしているのは遺族会や靖国神社を支持する保守層の票も欲しいが、余り態度をあからさまにして中間層の票を失いたくないという考えがありありとしているように思えます。
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ありがとうございます。 (goodmiwatya)
2006-07-23 00:53:02
私の別ブログに「王様の耳」のおじさんからTBがあったので行ってみてびっくり。なんとTBが41もあるではありませんか。(その大半はTB返しみたいですが、それにしても凄い!)

あなたのページもそこで知りました。いいページですね。

私が驚きかつ敬服したのは正統派たるある方の寛容さで、例えば「やりやがったな!」みたいなTBが仮に私のところにもしあったとしたら、右であろうと左であろうと、偏屈な私は「即削除」なので、最近ポチポチ派は私のところへのTBは断念しているようです。w

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きれいにまとめて (ましま)
2006-07-23 07:37:37
はじめて伺います。TBありがとうございました。

 しっかりきれいにまとめられましたね。保存版です。当方のブログの性格上、戦前、戦中、戦後についてものの本はずいぶんあさりました。今度のメモにも意外性はありませんでした。

今日日曜はTVがにぎわうでしょう。
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TVがなくて残念! (goodmiwatya)
2006-07-23 10:51:01
今日のサンプロなんかは見たかったなぁ!

(NHKはどうでもいいけどラジオは聞きました。w)

意外性はない、とあなたがおっしゃるのはその通りで、むしろ遅きに失した感もあります。

誰かが何らかの事情で箍(たが=制約)を外したということも当然推測されます。

原則情報公開というのは、いずれにせよ、民主主義の基本と思われます。
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私が変なお爺さんです (浜の偏屈爺)
2006-07-24 17:18:58
goodmiwatya 様 今日は 私が「王様の耳はロバの耳」を書いている浜の偏屈爺です ご指摘のように昨年ブログを始めた頃はTBのやり方さえ判りませんでした 近頃はテーマが世間の関心に合えば2-40はTBが集まります 爺は反対意見を退けませんから反対意見も骨太の良い物が集まります それが又自分の意見の足りぬ所を刺激するという訳でボケ防止には安くて簡便です 運動不足には気をつけていますが 又寄らせて貰います

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コメント御礼。 (goodmiwatya)
2006-07-24 17:44:01
反対意見はうざったい、そんなものは間に合っているから自分のところでやれば?などと思っている私はもうボケが始まっているのかも知れません。w

どうぞまたお越し下さい。
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