本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

今や政・官共に狐狸同然である。

2007-06-24 19:01:38 | 社会
『証拠がない』『記録がない』これが安倍ポンご指名の御用学者どもの常套句であり、安倍ポンの言う「学術的」の意味の総量である。そう言い続けていればいずれ沖縄戦の『生き証人』たちは他界してくれるものだと高を括っているのである。敗戦直後戦争責任を多少なりとも感じた旧帝国軍隊指導者たちの多くは何も言わずに「我に利あらず。最早これまで」と自決して行ったが、それとは逆に戦争犯罪の罪を問われることをひたすら恐れ、自らの保身のみを画策した悪虐非道で往生際の悪い指導部は恥も外聞もなく「証拠隠滅」にひた走ったのである。 *戦後の占領軍による『極東軍事法廷』を云々する以前に、我々には自らの手で自らの犯した戦争犯罪を徹底して解明し裁断する責任も必要も、勿論その機会もふんだんにあったが、それを国を挙げてどこかへ放り投げ、サボタージュした結果、林房雄『大東亜戦争肯定論』を尖兵として現・安倍ポンらにまで連なる『靖国派(=ファッショ勢力)』の台頭をいとも容易く許してしまっているわけである。あれだけナチスの戦争犯罪を自分達の手で追及して来たドイツ人たちにあってさえ尚『ネオ・ナチ』の復興を制止し得ないのであることを思えば、センチメンタルな厭戦機運を発揚する以外、基本的には何もして来なかったこの国のこの国民にあっては、旧体制の復活を望んでいるとしか思われない復古勢力が易々と力を蓄え、安倍ポンのような戦後総体を否定し去るかの如き総理大臣までをも出現せしめてしまったのもまた頷けるところなのである。 . . . 本文を読む