さあて、平成30年度が終わります。
明日からは新年度、平成31年度(一か月の命ですが)ですね。
オババの職場でも、この3月、別れがありました。
職員はみんな泣きました。
なんだかね、泣きを演出しているかのようなプログラムで、
そこまでやらなくたって、ただでさえ泣けてくるというのに、と思いました。
泣かないのは子どもですね。
だって、子どもは何にも分からないもの。
次にどんなところに行くのかよくわからないから、
楽しそうだと思うから元気に大声で「ありがとう!」などと言う。
それで、職員たちは、ここでうまく行ったからこれまでの事は忘れてとにもかくにもよかったね、で締めくくる。
つじつまを合わせてしまいました。
さて、卒業のように、目で見えるさよならはとても分かりやすいですね。
今はさよならだけど、来月は、こんにちは、だもんね。
ところが、目に見えないさよならもこの時期はあるんです。
それは、心の中でのさよなら。
口ではさよなら、とか卒業、とかは言いません。
でも、なんとなくそんな気配を察したり、
相手がそういう事を考えているということが分かってしまったり、
分からないまでも、きっとそうじゃないかな?とピンと来たり。
そんな時は、わたしも、何も言いません。
いつものように、またね、と言います。
相手が見えなくなるまで手を振ります。
もしかしたら次はないかもしれないから、
ずっと余韻を味わいます。
木々が春の到来を知り、花を咲かせるように、
人は、別れの気配を知り、ひっそりと離れて行きます。
無理に終わらせなくても、自然とそうなるものなのだ、
と、人は知るのです。
しかしまあ、ここで問題が。
形があり、はじめと終わりがはっきりしている場合は、つじつま合わせが出来るんですけど、
形がなくはじめと終わりがはっきりしていないときは、つじつま合わせが出来ません。
うーん、「こころがわり」と言うのは大昔からの決まり文句ですね。
そればっかりは、誰にも止められませんから。