秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

竜宮の江ノ島駅が五輪替え

2019-01-21 00:08:21 | 日記
「90年間、ありがとう」 
片瀬江ノ島駅駅舎 1月に解体開始
1/20(日) カナロコ



小田急線片瀬江ノ島駅の駅舎解体を前にした「神事式」には、
駅長や地元住民らが参列した=藤沢市片瀬海岸

竜宮城をイメージしたデザインで知られる小田急線片瀬江ノ島
駅(神奈川県藤沢市片瀬海岸)の駅舎解体を前に、「お別れ式」
が19日、駅前広場で開かれた。江の島の玄関口として90
年間、親しまれてきた木造駅舎に、地元住民や観光客らは感
謝の言葉を口にした。

駅舎は1929年、小田急江ノ島線の開業と同時に誕生。江の
島の竜宮信仰を反映したデザインで、国土交通省の「関東の
駅百選」に選ばれた。

江の島が東京五輪のセーリング競技会場に選ばれたことなど
から、市は駅前の都市計画道路を拡幅することを決断。小田
急電鉄もそれに合わせ、老朽化する駅舎を建て替えることに
した。




式では、島民によるヨット音頭や大道芸が披露されたほか、
開業当時の駅舎などのパネルを展示。地元団体のメンバー
や駅長らが参列した神事式も執り行われた。

江の島振興連絡協議会の湯浅裕一会長は「なくなってしまう
のは寂しいが、90年間、地元住民が慣れ親しんできた駅舎
に『お疲れさま』『ありがとう』と伝えたい」と語った。

同社によると、今月から本体を解体し始め、五輪前の2020年
5月の完成を目指す。

あの竜宮城イメージを

踏襲した方がいい

もう20年も前

善光寺を模した長野駅駅舎も

解体されて、新しいどこにでもある駅に

なってしまったな。

二代目新駅舎も竜宮城イメージなものらしい

あらら?解体なの

子供のころ、よく江ノ島に海水浴にいった

今までありがとうございました

新しい駅舎は現在のイメージを

踏襲したものになるようである

江ノ島の駅舎は90年も

経っていたんだね。

歴史を感じる。

認知症、支える街に 
秦野市で市民らが屋外で声掛け訓練
1/20(日) カナロコ



認知症の住民役の職員(右から2人目)に声掛けの
訓練を行う住民=秦野市曲松1丁目

認知症になっても安心して暮らせる社会をつくろうと、神奈
川県秦野市民と市が協力して当事者への応じ方を学ぶ取り組
みを始めた。17日は同市曲松(まがりまつ)で、自治会な
どが屋外を舞台にした声掛け訓練を初開催。地域住民ら参加
者約50人は認知症役の職員らに話し掛け、住所を聞き取る
ことなどを実践しながら、相手の気持ちを考えた対応を確か
めた。

市の昨年12月末現在の高齢化率は29・1%で増加傾向に
ある。認知症の正しい知識の習得と当事者や家族への支援の
ため、市は「認知症サポーター」の養成講座を開いており、
昨年8月に受講者が累計1万人を超えた。しかし、市民から
「講座は受けたが(当事者に)声を掛ける自信がない」との
声が寄せられたため、学びの場を設けることを決めたという。

渋沢地域高齢者支援センターと曲松自治会連合会による訓練は、
6人ずつの8グループに分かれて実施。同センター職員と認知
症サポーター養成講座の講師役を務めるボランティアの計4人
が認知症の住民役に扮(ふん)した。




現実に近づけるため、住民役4人にはそれぞれ「夫は亡くなっ
たが仕事から帰ってこないと思い、夫のかばんを持っている」
「名前は言えるが自宅は『そこ』と指さすのみ」などと症状の
進行具合や生活状況を細かく設定。近くの公園で座ったり、
歩いたりしてもらうようにした。

参加者は住民役の職員らを見つけると、「散歩中ですか」
「ちょっと座りましょうか」などと声を掛けて案内し、自宅
近くの目印などを質問。やりとりに試行錯誤しながらも自宅
や交番への案内に努めた。

参加した民生委員の井上博之さん(68)は「1人でやろう
としても難しいので、周囲に声掛けをし、複数人で情報を得
られたら良い」と振り返る。訓練後は各グループで「男女で
話し掛けることも手ではないか」「本人を安心させることが
大事」といった意見が出た。

訓練を企画した同市曲松第2自治会会長の齋藤鎭雄さん(71)
は「話を聴き、見守る立場になることが重要。地域の中で意識
が高まり、声を掛けることにつながる」と指摘。今後も訓練を
続ける考えという。

市高齢介護課の担当者は「他の地域でも開催できるよう呼び掛
けたい。訓練を機に地域のつながりが広がり、認知症になって
も安心して暮らせる街になってほしい」と語った。

ものづくり大会挑戦へ 
平塚の中学3年生、簡易トイレ製作
1/20(日) カナロコ



佐藤さん=平塚市役所

独創的なアイデアと技術を競う「全国中学生創造ものづくり
教育フェア」のコンテストの2部門に、神奈川県平塚市立
春日野中学校3年の佐藤諒弥さん(15)が出場する。佐藤
さんは「日頃の練習の成果を出したい」と初めての大舞台に
意気込んでいる。

コンテストは中学生のものづくりの力を育むのが狙いで、19回
目となる今回は26、27日に東京都内の会場で行われる。
6部門のうち佐藤さんは「木工チャレンジ」「生徒作品」の
2部門で出場する。

木工部門では生活や社会の問題を解決できる作品をあらかじ
め設計し、当日は木板2枚から4時間以内で製作する。佐藤
さんが今回作るのは独自に考えついた「災害避難キューブ」。

いつもはごみ箱に使えるが、側面を外して座面に付け替える
ことで防災時には椅子にも簡易式のトイレにも変身。「災害
時には水が使えなくなる。トイレは市販の防災グッズも少な
い」と考えつき、大人でも座れる頑丈な作りが自慢だ。




あらかじめ製作した作品を審査する生徒作品部門では、くぎを
1本も使わずに木を組み合わせたペン立てなどを提出した。
緻密な作業が必要で「1ミリでもずれたら組み上がらない」
(佐藤さん)という。

小学4年生の頃から電子工作を始め、ものづくりの魅力に目覚
めた佐藤さん。「自分で工夫して、正確に作れた時の達成感が
好き」と話す。いずれはロボット工学の道を目指し「新しいこ
とに挑戦したい。人の行けない深海や宇宙空間などで活躍でき
るロボットを開発したい」と目を輝かせていた。

三浦の「観潮荘」開業60周年 
同じ誕生日の60歳無料
1/19(土) カナロコ



田中副支配人が幼少期に家族で訪れた1973年当時の
観潮荘。母親の横の男の子(左から2人目)が当時5歳
の田中副支配人(本人提供)

三浦半島・小網代湾を望む「ホテル京急油壺 観潮荘」(三浦
市三崎町小網代)が23日、開業60周年を迎える。当日は
宿泊客向けに記念のキャンペーンを行う。

観潮荘は1959年、「京急油壺レストハウス」としてオー
プン。地上2階、地下1階に客室31部屋(定員150人)と
大浴場、レストラン、宴会場を備える。開業当時は8室だった
が、高度経済成長期に三浦半島への観光客増に伴って増築を重
ねてきた。

荒井浜や横堀、胴網海岸を訪れる海水浴客らに親しまれてきた
ほか、海を望む大浴場を愛用する日帰り客も多い。2014年
には貴重な生態系が保たれている「小網代の森」の散策路が整
備され、ハイキング客も増えた。

今はもてなす側の田中孝治副支配人(50)も幼い頃、家族で
利用した一人。「城ケ島と油壺を結んでいた観光船やマリン
パークでよく遊んだ。いとこや祖父母ら大人数で泊まり、楽
しい思い出が多い」と振り返る。

観潮荘はキャンペーンで宿泊料金を▽23日に60歳の誕生日
を迎える人は無料▽16~22日と、24~30日に60歳
の誕生日を迎える人は半額-などにする。直田正範支配人は
「都心からのアクセスが良く、気軽に利用していただける宿泊
施設として今後も努めたい」と話している。




なかなか良い宿だった

ビーチやマリンパークも近くて

楽しめたけど最寄り駅から遠いのが難点。

良かったけど、やはり箱根や伊豆半島の方が楽

結局ここは一度きりになってしまった。

またいつか行きたいが。

三浦半島によく遊びに行くものとして、

自然と食を前面に出した観光地と

しての潜在能力があると思う。

人口減は致し方ないが、

そういった観点でもっと盛り上がると思う。

京浜急行電鉄は120周年で、京急油壺マリン

パークは50周年。こちら観潮荘は60周年。

何かと京急さんは節目のとしになりますね。

20年以上前にあったマリンパークの

回転ブランコやイルカの回転遊具とか

復活して欲しいな。

40年近く前、修学旅行で観潮荘行ったぁ!

枕投げして、枕破裂させて怒られた。

朝、地引き網したり、懐かしいなぁ。

行ったことはないが何だかないい話だな・・・

こんな記事を見ると是非行ってみたくなる

世界文化遺産登録を目指す 
浦賀港の歴史を学ぶ 2月に横須賀で講演
1/20(日) カナロコ



「浦賀が国際貿易港だった歴史を知ってほしい」と、講演会
をPRする鈴木さん=横須賀市内

横須賀市在住の歴史研究家が国際貿易港として栄えたとする
浦賀港の歴史を紹介する講演会が2月9日、ヨコスカ・ベイ
サイド・ポケット(同市本町)で開かれる。世界文化遺産登録
を目指す大航海時代の貿易ルートのリストに、同港を加えて
もらうための取り組みを始めた地元住民が、その運動を盛り
上げようと企画した。 

講演会を主催するのは、地元住民でつくる市民団体「浦賀湊を
世界文化遺産にする会」。スペイン、メキシコ、フィリピンの
3カ国が登録を目指す「マニラ・ガレオン船の太平洋航路」
のリストに、その中継地として栄えたとされる同港も入れて
もらおうと昨年に発足し、活動している。

太平洋航路は、スペインが大型帆船「ガレオン船」を使い、
植民地だったフィリピン・マニラ-メキシコ・アカプルコ間
で行った貿易ルートで、中国の絹織物やメキシコの銀などが
運ばれた。

講演会では、歴史研究家で団体の代表にも就いた鈴木かほる
さん=同市桜が丘=が講師を務める。鈴木さんによると、同
港は太平洋航路の中継地で、1604(慶長9)年から貿易
が長崎、平戸の2港に限定された16(元和2)年までスペ
インの船が出入りしていたという。




当日は、浦賀港を開いた徳川家康がスペインとの外交を望ん
だ理由や、家康の外交顧問として活躍した英国人ウィリアム・
アダムズ(日本名・三浦按針)の果たした役割など、長年の
研究結果について解説する。

浦賀は幕末にペリー提督が来航した「開国の地」として知られ
ているが、鈴木さんは「港を閉じた歴史と、港を開いた歴史。
浦賀には貿易史で重要な二つのキーワードがある。地元でも
あまり知られていない歴史に注目してほしい」と来場を呼び
掛けている。

講演会は午後2時からで定員は約300人。入場無料。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする