よねが理系を選んだのは、父親を見ていたからです。
父親は、家庭の事情から、高卒で地元の銀行支店に
就職しました。そこから、最終的には、支店長にまでなった
自慢の父親です。
しかしながら、時は昭和。
子どもが起きている時間に帰ってきたことがありません。
休日も、仕事や接待ゴルフで、家にいませんでした。
いろいろな部署を回される父親を見て、文系はダメなんだ、
と思いました。自分の専門外のことをやらされますからね。
よねが受験したのは、1988年と1989年です。
当時はバブルでしたから、証券がもてはやされたものです。
1989年に大学生になったよねが、4年生大学であったなら、
就職は1993年。就職氷河期の入口でした。
よねが医者になったのは、専門職になりたかったからです。
バブル期に高校生であったのに、流されずに済んで幸運だった、
と気づいたのは、1992年、医学部4年のときです。
株価がバブル期超えとなったことで、
ふとそんなことを考えました。
父親は、家庭の事情から、高卒で地元の銀行支店に
就職しました。そこから、最終的には、支店長にまでなった
自慢の父親です。
しかしながら、時は昭和。
子どもが起きている時間に帰ってきたことがありません。
休日も、仕事や接待ゴルフで、家にいませんでした。
いろいろな部署を回される父親を見て、文系はダメなんだ、
と思いました。自分の専門外のことをやらされますからね。
よねが受験したのは、1988年と1989年です。
当時はバブルでしたから、証券がもてはやされたものです。
1989年に大学生になったよねが、4年生大学であったなら、
就職は1993年。就職氷河期の入口でした。
よねが医者になったのは、専門職になりたかったからです。
バブル期に高校生であったのに、流されずに済んで幸運だった、
と気づいたのは、1992年、医学部4年のときです。
株価がバブル期超えとなったことで、
ふとそんなことを考えました。
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