2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(1)

2012-06-24 12:28:55 | Weblog

 2012年5月28日午後に行われた《国会事故調(国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)》菅前首相参考人証言の全文書き起こし。

 途中までブログに書き記したが、改めて全文を記載。ブログに既に記載した箇所までは赤色の水平線を入れて区別しておきました。

 前以て簡単に結論づけておくと、菅前首相は原子力災害対策本部を立ち上げ、その本部長を務めたものの、対策本部を体系だった統一的な組織として構築する能力を欠いていたために、そのトップとして組織を構成する各成員・各成分に緊密な相互関連性を持たせて全体を有機的に統率し、機能させる能力をも欠くことになっていた。

 だから、満足に情報を上げることができなかった。情報が上がってこなかったではない。上がってこなかったなら、上げるのがトップの能力と責任のはずである。

 官邸内に20前後もの会議やチームを立ちあげて、却って指揮・命令系統の混乱や情報停滞を招き、後に整理することになったことも立ち上げた組織を当たり前の組織として統率・機能させることができなかったから、次の組織、次の組織と次々に立ち上げる必要に迫られたはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力に優れていたなら、少ない組織で済んだはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力の欠如が原発事故対応だけではなく、地震・津波後の対応でも様々な停滞や混乱を生んだ。

 そして両能力の欠如はすべての能力の基本となる合理的判断能力欠如からきているのは断るまでもない。何事も満足な判断ができないということである。

 そういった場面は証言の至るところで見ることができる。

 証言からではないが、ブログに何度も書いてきている象徴的な例を挙げると、2007年参院選で民主党第1党、野党が多数派を形勢して自公政権を散々に苦しめ、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と次々と立ちゆかなくさせて政権交代へと道を開いていった経緯を忘れて、2010年参院選で民主党敗北、野党と立場を逆転させたことは次は自分たちの内閣が立ち行かなくなることだとは考えることができずに「天の配剤」だと表現した。

 この程度の判断能力しか持っていなかった。

 字数の関係から、何ページかに分ける。

 国会事故調の委員メンバー

 黒川清委員長(元日本学術会議会長)

 石橋克彦(神戸大名誉教授)
 大島賢三(元国連大使)
 崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 桜井正史(元名古屋高検検事長)
 田中耕一(島津製作所フェロー)
 田中三彦(科学ジャーナリスト)
 野村修也(中央大法科大学院教授)
 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会長)
 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 黒川委員長「それでは国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通称、国会事故調でありますが、第16回の委員会を開催いたします。

 それでは今日のご案内にありますように参考人に対する質疑を開始いたします。本日は衆議院議員、また前内閣総理大臣であられました菅直人さんにいらしていただきました。

 (菅、軽く二度頭を下げる)

 お忙しいところありがとうございます。ご承知のように菅さんは010年6月から総理大臣を務められ、福島原発事故当時も内閣総理大臣として事故対応に当っておられました。本日は事故当時のことを中心に質疑をさせて頂きます。

 それでは菅総理の方から、ご挨拶をしていただければと思います」

 菅仮免(マイクを手に持ち、立ち上がって)「先ず昨年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島原発事故に於いて亡くなられたみなさん、被災されたみなさん、そして全国のみなさんに対して心からお悔やみと御見舞を申し上げたいと思います。

 特に原発事故は国策として続けられてきた原発よって引き起こされたものであり、そういった意味では最大の責任は国にある、そのように考えております。

 この事故が発生したときの国の責任者でありました私として、この事故を停められなかったこと、そのことについては改めてお詫びを申し上げたいと思います。

 今日はこうした事故が二度と起きないように、起こさないためにどうするか、そういうことに役立つならと思って、私が知り得る限りのこと、あるいは当時を含めて私が考えたことについてみなさんから忌憚のないご質問をいただければ、できる限り率直にお話ししたい、そういう意味で出席をいたしましたので、どうか国会事故調のみなさんに於かれましても、よろしくお願い申し上げます」

 丁寧に一礼して座る。

 黒川委員長「ありがとうございます。それでは私からと思いますが、現在のようなテレビ、インターネットで世界中に情報が広がっている中で、今回のような東日本大震災、地震と津波、さらに福島原子力というのは世界中に日本の発言、対応、すべてが見られ、毎日のように日本の記者会見もですね、日本語で喋っているとはいえ、同時に訳されて世界の共有するところとなりました。

 今の参考人である菅さんには私共は福島の事故に限って調べておりますが、大変な時だったと思います。内閣総理大臣という職にあり、行政府のトップという責任ある者として事故に対応に当っておられました。今日は貴重なお時間をいただけるということについて御礼を申し上げます。
 
 さて、ご承知だと思いますが、この委員会は英語の同時通訳もありまして、ネットでも見れるようになっておりますし、のちのちホームページからも見られるようになっておりまして、また菅総理も、その後色んな機会にインタビューを受けられ、あるいは海外のインタビューにも受けておられることは十分承知をしております。

 その意味で今日は大変時間が限られておりますので、質問についてはできるだけ簡潔に。正面から誠実にお答えいただくことを希望しております。

 ということで、まずは桜井委員の方から幾つかの質問をさせて頂きます。よろしくお願いいたします」

 桜井正史(元名古屋高検検事長)

 桜井委員「委員の桜井でございます。よろしくおねがいします。先ず事故前のことについて若干お伺いしますが、菅総理と呼ばせていただきますので、当時の総理のことをお伺いしますので、そのような言葉を使わせて頂きますが、(菅の方から訂正したのだろう)じゃあ、菅さんにさせて頂きますが、菅さんには原子力発電所の事故というものについて、総理になる前、どのような見解、認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私もスリーマイル島の事件、そしてその後のチェルノブイリの事件、事故、それぞれ関心を強く持っておりました。チェルノブイリの事件については、事故については、その当時ですけども、その原因というものを私なりに調べたことがあります。

 また、原子炉ではありませんが、JOCの事故のとき、まだ私は野党の議員でありましたけども、なぜ臨界事故と言ったものが起きたのか当初理解ができなかったものですから、色々と関係する人に当たりまして、その原因を私なりに調査し、私なりに理解をした、そういうことがあります」

 桜井委員「菅さんは原子力災害の可能性、その発生について、総理になる前で結構ですが、そのように認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私も議員になる前も色々な形の市民運動をやっておりまして、当時の広い意味の仲間の中にはかなり原発に対して疑念を持っておられた方も数多くおられました。

 当時、私が議員になるかならないかの頃にも、地元のある方が浜岡原発について活断層の存在があるからということで、是非それを停めるべきではないかということを言ってこられた方もありました。

 また私もできるだけ、この原発、原子力エネルギーというのは当初私が属した社民連などは過渡的なエネルギーという位置づけをしていまして、ある段階にまで来たなら、それからの脱却ということも、当時私が属していた政党などでは主張していた時期もあります。

 そいう中で私自身、その後民主党という政党に結成から参加し、政策を固める中で、安全性をしっかりと確認すると、そういう前提の中で原子力を活用すると、そういうことはあってもいいのではないかと、そういうふうに私自身の考え方を、一番古くから比べれば、やや柔軟といいいましょうか、やや許容の方に変わったところであります。

 そしてこれは仕事の話になると思いますが、やはり3・11を経験いたしまして、そうした私自身が考え方を緩めたというか、あるいは緩和したということが結果として正しいことではなかったと、このように現在は思っています」

 桜井委員「それでは次に総理になられてからのことをお聞きします。

 総理の権限と責務はたくさんあると思いますが、その中の一つとして緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合は、そのトップとして、災害の対応に当たらなければならないことは改めて私が申し上げるまでもないことでありますが、総理は就任されてからこのような場合、どのような責務と権限があるかということを事前に何らか等の説明を受けておられたでしょうか」

 菅仮免「内閣総理大臣としてどういう権限・権能があるかということは一般的には従来から色々議論もしてきましたし、私の中でも一定の考え方を持っております。言うまでもないことですが、憲法にも内閣法にも規定されております。

 原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」

 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅仮免「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」

 桜井委員「のちに振り返ってみてですね、事前によく説明を受けて知っておいた方がよかったとお考えにはなりませんでしたか」

 菅仮免「(一つ笑みをこぼして)勿論、この事故に遭遇して、もっと早くからしっかりとした説明を受けておればよかったと、このように思いました」

 桜井委員「それでは15条通報がなされた後のことについてお伺いしますが、海江田経産大臣の方から緊急事態宣言について総理としての決済を求められたことがございますね。

 その際に結果的には19時を過ぎてから、緊急事態宣言がなされているということで、時間がかかっており、その間に野党との党首会談が入っておりますが、詳しいことは結構なんですが、党首会談前に速やかに緊急事態宣言を発するということはできなかったのでしょうか」

 菅仮免「東電から経産大臣の方に15条通報の報告があったのは15時42分と承知をしております。経産大臣の方から、失礼いたしました、今のは10条でしたね。

 15条の方は16時15分と認識しております。経産大臣から私の方にその件について説明及び上申があったのは17時42分であります。確かに野党のみなさんとの党首会談が既にセットされておりましたので、その説明(緊急事態宣言について説明)の途中、確か5分程度でありますけれども、党首会談に、まあ、顔を出して、中座をして戻ってきて、そしてその後の説明を受けて、宣言をしたということで至っております。

 結果として19時3分に緊急事態宣言をいたしました。それ以前に既に地震・津波については緊急災害対策本部が立ち上がり、また原発についても既に官邸に対策室が立ち上がって、実質的な動きは始めておりました。

 そういった点で、もっと早ければよかったというご指摘はご指摘として是非皆さんの方でご検証していただきたいと思いますが、それによって何か支障があったかと問われれば、私が認識している限り、支障がなかったと認識しております」

 桜井委員「私が伺っているのは現実の支障があったかなかったということではなくてですね、ある意味、当時官邸におられた方で、原子力災害ということに一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったかというような評価もされていますが、そいう中で15条通報がなされて、緊急事態宣言が経産大臣の方から求められるという意味というのは、一番分かっておられたのではないかと思います。

 そのことをなぜ時間をかけてしまったのかというところをお伺いしたいと思います」

 菅仮免「率直に申し上げまして、何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めたという気持ちは全くありません。その意味で、17時52分に報告が上がってきて、そして上申が上がってきた中で、私としてはたしかに野党の党首のみなさんでありますので、やはりその方々に対してもお約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで、中座をして5分間行って帰ってくると。

 確かに1時間21分かかっておりますけども、もっと早ければよかったと言えばそのとおりだと思いますが、何か意図的に引き伸ばした、何か理由があって伸ばしたということでは全くありません」

 桜井委員「次に避難区域の設定、避難指示ということについてお伺いします。3キロという、避難を当初政府は決められておりますが、これはどういう根拠、どういう経緯で決定されたのでしょうか」

 菅仮免「避難につきましては、本来なら、、後程議論になるかもしれませんが、オフサイトセンターなどからですね、現地の状況を踏まえて何らかの指針が出されて、それが本部長に対して承認を求めると、そういう形になるのが本来のルールであると思いますが、残念ながら、オフサイトセンターはその時点を含めて機能をいたしておりませんでした。

 そこで原子力・保安院、そして原子力安全委員会委員長、あるいは東電の関係者に集まって貰って、状況把握をしておりました。特にこの避難については必ず原子力安全委員会、当時は班目安全委員会委員長が一緒にしていただいている時間が長かったと思いますが、そのご意見を聞きながら、最終的にその意見に添って決めたところであります。

 21時23分にF1(福島第1原発)から半径3キロ圏内から避難を決定したのは、つまりは15条という状態に至っていると、今後そのことがどういう厳しい状況に至るのか、まだ分かりませんでしたが、予防的な措置として先ず3キロ圏内を決めたと、このように認識をいたしております」

 桜井委員「続いて避難区域のことを纏めてお伺いしますが、次に10キロの避難区域というか、避難指示の決定を、時間的に5時44分ということですが、それはどのような情勢判断、どなたの判断によって決められたのでしょうか」

 菅仮免「3月12日の午前、5時44分、F1から半径10キロ圏内を決めました。その根拠は1号機の圧力が見られるというそういう指摘を、報告を東電から派遣された方から話を聞き、それを踏まえて、先程申し上げました原子力安全・保安院、原子力安全、特に委員会の意見をお聞きしまして、この圧力上昇というのは最悪の場合は、格納容器を破壊する危険性もあるので、そういう危険性を考えて、10キロ圏という範囲に拡大をいたしました」

 桜井委員「この10キロ圏の決定とベントとは関係あるんでしょうか」

 菅仮免「ベントについては(少し考えてから)、11日の段階から、本格的には12日の未明に経産大臣の方から、指示が出るわけでありますけれども、(10キロ圏内避難指示の)12日の午後5時44分というのはベントの指示が出るよりも、後でありますので、そういったことも関係者の皆さんの中には判断の一つの材料になっていたと思います。

 私としては先程申し上げましたように専門家のみなさんの助言を聞いて、国際的な色々なこれまでの、何と言いましょうか、経験を踏まえたご意見を聞いて決めさせていただきました」

 桜井委員「続きまして20キロの指示は同じようにどういう状況判断とどなたのご意見によって決定されたのでしょうか」

 菅仮免「基本的には同じでありますけれども、この時点は3月12日の18時25分でありますけれども、既にこの時点では15時36分に1号機の水素爆発が起きております。

 そういった点で、さらに2号機、3号機がそういった事態を迎える危険性もありましたので、そういう専門家の皆様のご意見を聞いて、20キロ圏に拡大をいたしました」

 桜井委員「その際に30キロという検討をされましたか」


 菅仮免(ほんの少し考える)「色んな議論があったと認識をしております。と同時に避難区域を拡大するということは避難をする先を含めて、避難ができる、迅速にできるということも併せて準備をしなければなりません。

 そういった議論もあったと認識をしております。その時点では1号機の水素爆発のあとでありましたので、2号機、3号機がもしそうしたことになって、放射性物質がその時点で外に広く出た場合には、場合によっては屋内にいた方が、ある時期屋内にいた方が安全ではないかと、そういった議論も含めて、最終的には専門家のみなさんの、少なくとも私のところに周りにおられた皆さんは、最終的に20キロでよしと。

 そののち、20キロから30キロを屋内退避にしたわけです」

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。

 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました。

 例えばあったのは、東電から先ず電源車を送る、そのために協力して欲しい。そういうことについて色々遣りました。後にベントの話もありました。しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

 特にベントに関しては既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにもかかわらず、何時間経っても、それが行われない。

 私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。わからないと言われるのは本当に困りました。

 技術的な理由なのか、何か他に理由があるのかですね、分かれば、またそれに対して判断できますから、そういった状況がありましたので、私としては福島のF1、第1サイトにその責任者と話をすることによって、状況を把握できるんじゃないかと、そう考えまして、地震・津波の視察を併せて福島第1サイトの視察に行くことを決めたわけです」

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「免震重要棟に入りまして、2階の部屋に入りました。そこで吉田所長と、確か武藤副社長がその同席をされて、こちらに何人かが同席をされていました。

 その中で炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟におりましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました。

 私としてはその後、色々な判断をする上で、特に東電の撤退問題、後程話題になるかもしれませんが、そういったことは判断する上で、必ずしも私は何回もお話ししたわけではありませんが、現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るという上では極めて大きなことであったと。そこで顔と名前が一致したということは極めて大きなことであったと、このように考えております」

 桜井委員「撤退問題については後程またお伺いしますが、原災法の建付けでは、こういった事態が起こったときに現地の、俗にオフサイトセンターと言われているんですが、そちらに本部の権限を委譲することができることになっておりまして、ところが委譲されていないようですが、当時の本部長としてはどのような経緯から、これが委譲されていなかったのか把握されていいるのでしょうか」

 菅仮免「当時私は原子力安全・保安院から、そうした説明があったという記憶はありません。ですので、法律の在り方についてはその後詳細に調べましたけれども、その時点ではそういう説明もなかったし、またオフサイトセンターそのものがですね、確か副大臣が到着したのも12日の未明だったと思っておりますので、その上でも関係者が集まらなかったと聞いておりますので、実際にはそういった機能が果たせる状態ではなかったので、保安院が伝えなかったのか、あるいは他の理由で伝えなかったのか、そこは分かりませんが、私はその時点できちんと説明を受けておりません」

 桜井委員「第2回の災害対策本部の会議というのが後に作成されていまして、この拝見しますと、第2回については菅さんが欠席ということになっているんですが、それによりますと、権限委譲についての案というものが配布資料の中に入っておりまして、ところが、その案についてどう扱ったかということが議論の結果とか概要にも書いてないのですが、その事情はご存じなかったでしょうか」

 菅仮免「存じ上げません」

 桜井委員「その点はそう伺っておきまして、ベントの話が先ほどちょっとございましたので、その関係で海水注入についてお伺いしたいと思います。

 海水注入の問題というのは菅さん、ところでお話があったのはどういう経緯だったでしょうか」


 菅仮免「この海水注入については大変私にとってもですね、色々とご批判を頂いた件でもありますので、少し整理をして説明をした方がいいのではないかと思います。

 先ず海水注入について、真水がなくなった場合には冷却のためには海水注入が必要であるという点では私と海江田大臣を初め、そうした専門家の皆さん、関係者の皆さんは一致をいたしておりました。

 そういう認識のもと、3月12日18時頃から20分程度、私、海江田大臣、原子力安全委員長、保安院責任者、東電の派遣された方が話をされまして、その時点では東電から来られた技術担当の武黒フェローが準備に1時間から、失礼、1時間半から2時間かかると、こういう説明がありました。

 そこでその時間を使って、海水注入だけに限らず、いくつかの点で議論をしておこうと。というのはこの日の15時ですが、1号機が水素爆発を起こしておりますけども、この水素爆発についても、前からそういうことが起きることはないか、私も聞いておりましたが、その時点では格納容器内に窒素が充填されているので起きないというご返事でしたけれども、現実には起きたわけでありまして、そういったことを含めてですね、いくつかの事象につてい聞いておった方がいいと、時間があるなら聞いておいたほうがいいと、こういう認識のもとで幾つかのことが議題となりました。

 一つは勿論塩水ですから、塩分による影響であります。それから問題となりました再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません。これは私もよく分かっておりました。

 つまり、私も技術的なことは専門家でありませんので、詳しくは申し上げませんが、再臨界が起きる可能性というのは制御棒が抜け落ちたとか、あるいはメルトダウンした後の、その燃料より大きな塊になったとか(手を大きく動かしてゼスチャーたっぷりに話す)、そういう場合に起きる危険性があるわけでありまして、班目委員長の方からは『可能性がゼロではない』というお返事がありました。

 まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい。つまりはホウ酸を入れれば再臨界の危険性を抑えることができるということは、その関係者はみんな知っておりますので、そのことも含めて検討して欲しいと、このように申し上げたところであります。

 その後のことを申し上げますか」

 手で遮られる。

 桜井委員「国会でもこのことについて何回も聞かれておりまして、総理は質問と答をどう取られるか、非常に難しい問題もあろうかと思われますが、海水注入の関係で聞かれてくるときに、『いわゆる再臨界という課題も私にはありましたし、そのことの検討』――、ちょっと要約させて頂きますと、『これを皆さんにお願いする』と。

 こういうような答弁をされておりますが、今のご説明との関連ではどういうことでしょうか」

 菅仮免「今申し上げたとおりですけども、何か矛盾はあるでしょうか。私が申し上げたのは、例えば海水注入が再臨界に関係ないというような表現で、何か報道されたものもありますが、これは全く間違っています。淡水を海水に代えたからといって、再臨界の可能性が増えるわけではないと、こういうことを言ったんですが(ふっと笑い)、その前の部分が省略されていると全く意味が違います。

 そういった意味で再臨界のことを申し上げたのは、こののち海水の中にもホウ酸を入れるわけですけども、原子炉にはホウ酸が置いてあるわけですから、それを念のために入れるということを含めて、検討をして欲しいという趣旨で申し上げたので、国会の答弁と矛盾はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(2)》に続く

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(2)

2012-06-24 12:21:39 | Weblog

 桜井委員「既に総理もご承知だっと思いますが、現実には東電の方の本店からは始めていたなら、それを停めるという指示が出されてた。吉田所長の方はその指示に反して、海水注入を続けたという事実は既にご承知かと思いますが、少なくとも東電の方では総理の、当時の総理のお言葉を重く受け止めて、そのような行動に出たと思いますが、その点については総理の方はご感想を、どのような見方をされているのでしょうか」

 菅仮免「東電の会長の、この委員会での発言も私は聞いておりました。しかし東電会長はこの問題について本当に技術的なことをですね、関係者から聞かれて言っておられたとは思えないわけであります。

 先ず事実関係を正確に申し上げますと、先程申し上げましたように具体的名を上げて恐縮ですが、直前まで副社長をやっておられた現職の武黒フェローがですね、6時から6時20分の会合では、後1時間30分から2時間はあると準備に、という話を前提で話を始めたわけであります。で、それを20分程度で切り上げて、じゃあ、後、その結果を含めて報告をして下さいと。

 で、私のところに来たのは確か、19時の40分で、準備ができたということで、じゃあやって下さい。

 で、その後始まったと。

 その時点ではそういうふうに理解をしておりました。そしたら、その後色々なことが分かってきますと、武黒フェローはその20分の間の会合の後に直接でしょうか、吉田所長に電話をされて、そこで既に海水が入っているということを聞かれたわけです。

 そのことは私には連絡はありません。

 私は二重の意味で大きな問題と思います。先ず第一は、既に入っているなら、私は当然入れ続ければいいと思っています。もし再臨界の危険性があるなら、ホウ酸を後で追加すればいいわけですから。現実にそうしています、そののちに。

 それを武黒フェローが判断をして吉田所長に停めろと言った。

 よくですね、官邸の意向ということが他の場面によく出ますが、官邸の意向には私自身の意向、あるいは私自身を含む政府の意向と、当時官邸に詰めていた東電関係者の発言とか混在しております。

 少なくともですね、東電関係者の発言は官邸の意向というふうに表現されるということは私は間違っていると思います。これはメディアの関係者の皆さんにもはっきりと申し上げておきたいと思います。

 そこで今申し上げたことが一つです。もう一つは武黒さんというのは確か原子力部長を務められたプロ中のプロです。ですから、水を入れること、海水を入れること、如何に重要であるか。そしてそのことは再臨界とは、淡水を海水に代えたことは再臨界とは関係ないということは、プロであればよく分かっていることであります。

 その人がなぜですね、そういう技術的なことがよく分かっている人が吉田所長に停めろと言ったのか、私には率直に言って全く理解できません。

 そして吉田所長はそれに対して、私はあとで聞いた話ですけれども、私の意向だというふうに理解したと。そこで東電本店に聞いたら、総理の、時の総理の意向なら、仕方がないじゃないかと言って説得されたけれども、それではと言って、まあ、一芝居と言いましょうか、今から停めろと言うけども、停めるなと現場の人に言って、停めろということを言われたと。

 それでテレビ会議の装置を使って、東電本店にも伝わっていたので、東電の大部分の人にも、その時点で一旦停まったと、このように認識されたようです。

 こう言うようなことが私に分かったのはずっと後になってからです。これについても予算委員会でも、あるいは政治家の中でもですね、私が停めたと、それでメルトダウンが起きたと、激しく批判をされました。

 しかし重ねてもう一度申し上げますが、東電の中で派遣されていた人が自分の判断で言ったことについて官邸の意向、まして私の当時の総理の意向とは全く違うんで、その所はきちんと区別して検証していただきたいと思います」

 桜井委員「今、東電の方が海水注入を伝えていないという、開始を伝えていないという認識でおられたですけど、東電の方から海水注入をした(開始した?)と保安院の方に連絡が入っている。それが当時の総理の所に届いていないというこをよく分かりました。

 その辺は当時の最高指揮官としてどのようにお考えでしょうか」

 菅仮免「これはですね、例えば保安院の、直接的には責任者は経産大臣です。経産大臣が例えば、同席していた武黒フェローにですね、聞いてみたら、実はもう入っていたというような話があれば、間違いなく私にもですね、大臣なり来ます。

 武黒フェロー自身がそのことを認識したら、私と一緒の会で話をされたことなんですから、私に直接言うのがですね、当然でありまして、そういう関係でなければ、別ですよ。

 ですから、私にはその間の保安院にどう伝わったかということも、少なくともその当時は知りません。

 それから敢えて申し上げますと、その後も暫くは東電は19時、確か3分でしたか、7分でしょうか、解消(海水注入中断を)したということを、当時は認めていなかったはずです。

 そして19時40分に私のところに来て、確か20時何分かに解消(19時25分、東電、海水注入中断)したという上申をしたはずです。

 ですから、私はそこまで申し上げませんが、東電が伝えたということと、そのあと東電が言っていることと、またその後に言っていることとかなり、私から言うと矛盾しておりますので、少なくとも私にはちゃんと伝えるんであれば、武黒フェローと話をした直後でありますから、私に直接伝えるなり、経産大臣に伝えるのは当然であったと、そのように考えております」

 桜井委員「菅さんは今海水注入と再臨界とは直接繋がらないという説明があったが、(手でひっくり返すゼスチャーをして、淡水から海水へ)代えたことです。ハイ、分かりました。

 当時はですね、総理のお傍におられた方が総理に対して再臨界と海水とは直接繋がらないということをご説明するために随分色々と資料を集めたり、検討されたり(して)おるようですが、その辺については総理はどのようにお考えになりますか」

 菅仮免「私はそのことは知りません。私が再臨界について色々と調べていたのはかつての再臨界事故がJOCのときにありましたから、そういうことを含めてですね、必ずしも原子力安全委員会や保安院からも聞きましたけども、それ以外の原子力の専門家からも、どういう場合にそういう危険性があるのかと、そういう色々な話を。その時点で分かっておりましたのは、先程申し上げたように、例えば制御棒が何らかの理由で抜け落ちて、燃料が臨界に達してしまう、

 あるいはメルトダウンしたものがここに大きく山盛りにのように溜まって、その形状によっては臨界ということになる得ると、そういうことを聞いておりました。

 少なくとも淡水を海水に代えることが臨界条件に何らかの影響を及ぼすということは、私はそういうふうに全く思っておりません。

 それにはホウ酸を入れて、中性子のですか、動きを止めればいいわけですから、それは別のことで、何かそういうこと(資料集め)を準備をされていたということは私は全く知りません」

 (撤退問題)

 桜井委員「ありがとうございました。次に俗に撤退問題と言われている東電の撤退問題についてお伺いします。

東電の方は総理の方にどのように申し出てこられたのか、どなたから、どの方から報告があったのでしょうか」

 菅仮免「15日の午前3時頃だったと思います。私は11日の発災後1週間、夜中も官邸に詰めておりましたので、仮眠と言いましょうか、奥の部屋でそういう状態にあったところ、経産大臣から相談があると、秘書官から起こされたというか、連絡がありました。

 そこで経産大臣が来られて、『東電が撤退したいと、そういう話がきている、どうしようか』と。

 そういう形で撤退の話を聞きました」

 桜井委員「それについてどのように思われ、どのように受け止められましたか」

 菅仮免「私はそれまでもですね、この原子力事故がどこまで拡大するのか、どこで停まってくれるのか、どこまで拡大するのか、私なりにも頭を巡らせていました。

 そいう中で少なくともチェルノブイリは1基の原子力です。スリーマイルも事故を起こしたのは一つだけです。しかし福島第1サイトだけでも6基の原子力と7つの使用済燃料プールがあります。

 20キロ以内にある第2サイトにはさらに4基の原子炉と4基のプールがあります。

 もしこれらがすべてですね、何らかの状況でメルトダウンなり、原子炉の破壊や、そうしたプールの破壊が起きたときにはチェルノブイリの何倍、どころでなくて、何十倍、何百倍というですね、放射性物質が大気中なり、海水中なりに出ていくと、そのときの及ぼす影響というのは、どれ程のものになるかということを私なりに考えていました。

 そういうふうに考える中で私なりに思っていたのは、これは見えない敵との戦いだと。やはり何としても抑え込まなければいけないと。

 私自身はやはり命を賭けてやらざるを得ないと。

 そういう戦いなんだと。

 こういう認識を私の中で持っていました。

 ですから、経産大臣からその話があったときに撤退という言葉を聞いて、いやー、飛んでもないことだと。先ずそう感じました」 

 桜井委員「先程福島の原発を視察された際の成果みたいなこととして、吉田所長に対する信頼が高いというご発言を受けたのですが、責任感があるという。

 その吉田所長が現場で指揮を取っている東電として全員が撤退する、あるいは撤退するような申し入れをしているということについてどのように思われました」

 菅仮免「吉田所長とのですね、私は直接会話を、電話ですが、したのは色々とご指摘がありましたので、私なりにもう一度確認をしてみましたが、確か2回であります。

 一度は14日の夕方から夜にかけて、細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きましたが、細野補佐官から聞きましたが、吉田所長から2度電話があったそうです。

 1度目は非常に厳しいというお話だったそうです。注水が難しいと考えていたその理由が何か燃料切れで注水が可能になったからやれるという話だったそうで、この2度目の時に細野補佐官から私に取り次いで、吉田所長がそう言っているからということで、私に取り次いでくれました。

 その時に話をしました。その時は吉田所長はまだやれるという話でした。

 もう1度は私の方から秘書官に調べさせて電話をしたということなんですが、どういうことを話したのか、事細かに覚えておりません。一般的に言えば、何らかの状況をお聞きしたことがもう1度あると認識しております。
 
 それ以外には私から直接と言いましょうか、誰かを通して直接話をしたことはありません。

 また私が携帯の電話を私が聞いていたということを野村委員が言われたので、私は全部調べてみました。(首を傾げて)記憶は呼び戻ってきませんし、同席をしていた秘書官、補佐官、審議官3名にも聞いてみましたが、そういう場面は見聞きしていないと言っておりまして、私の携帯電話にも登録は少なくとも記録はされておりません」

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それに対して清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました」

 桜井委員「その回答を聞いて、当時総理としてどのように思われました」

 菅仮免「その回答についてですね、勝俣会長などが清水社長が撤退しないんだと言ったと言っておりますが、少なくとも私の前で自らは言われたことはありません。

 私が撤退はありませんよと言ったときに、『ハイ、分かりました』、言われただけであります。

 国会の質疑でも取り上げられておりますけれども、基本的には私が撤退はあり得ませんよと言ったときに、(清水社長の方から)そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません。

 私としては清水社長が、『ハイ、分かりました』と言ってくれたことは、一つは、ホッとしました。

 しかしそれでは十分ではないと思いました。そこで併せて私の方から統合対策本部をつくりたいと。そしてそれは東電本店に置きたい。細野補佐官を常駐させる。あるいは海江田大臣もできるだけ常駐をしてもらう。

 そういう形で私は本部長に。海江田さんと、その時確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、会長か社長か海江田大臣と副本部長。事務局長は細野補佐官。そういう形でやりたいということを申し上げて、清水社長が分かりましたと了承していただきました。

 さらに私が申し上げたのは、それでは第1回の会合を開きたいから、東電の方で準備をして欲しい、どのくらいかかりますかと聞きましたら、確か最初2時間ぐらいと言われたので、もう少し早くしてくれということで、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけました」

 桜井委員「私の方が最後の質問の段階になると思いますが、総理の方に情報が上がらないと色々なことがあったと思います。で、本来地下に緊急対策センターというものがあって、そこに情報が集約されてくるということは総理もご存知だったと思いますが、なぜ近く、ずうっととは申しませんが、その近くに、発災から暫くの間は、その中、オペレーションセンターという中にあるわけですから、そこで情報の集約や情報の指示に使わなかったのでしょうか」

 菅仮免「先ず地震・津波という最大級の災害と、そしてこれまた最大級の原発事故というものが事実上同時に起きているわけです。地下のセンターにも、私も勿論、実際に戻って先ず行きました。

 先程申し上げました緊急対策本部を立ち上げました。同時に二つの極めて重要なことをやるということが非常に難しかったことが一つと、もう一つは総理そのものが、今ご指摘の緊急、何とか、言いました、チーム、これはどちらかと言えば、危機管理官がヘッドのチームでありまして、総理がそこに常駐しているということにはなっていませんし、そういう組織ではありません。

 必要があれば、同じ官邸に私、おりますから、そこの報告なり、何らかの決済が上がってくることになっております。加えて原子力災害については先程来お話がありますように、私が申し上げましたように、本来はオフサイトセンターについては、つまり炉以外のものについてはですね、オフサイトセンター、現地のオフサイトセンターがやることになっていたわけです。

 それが動かない。炉のことについては基本的には電気事業者がやることになっていました。しかしこれも後程議論になるかもしれませんが、小さい事故ならそれで済んだかもしれませんが、しかしベント一つ取ってもですね、一つ取ってもですね、ベントをするかどうかということは炉の問題であると同時に、それは影響が一般住民にもどんどん出るわけですから、それを事業者だけで判断することは、それはできないわけでありまして、そういった意味では現在の原子力災害対策特別措置法が想定した事故というものは、今回のようなシビアアクシデントで何十万、何百万という人に影響を及ぼすということには対応できていなかったわけでしてありまして、そういう点で私が地下にいた、いないということではなくて、元々総理がじぃっと、じぃっとと言うか、いるという仕組みになっておりませんし、その災害対策特別措置法そのものが、言えばたくさんありますが、例えば、オフサイトセンターも地震と原子力事故が別々に起きることを前提にしているわけですよ。

 地震で副大臣が入れないなんていうことは想定していなんですね。それらのすべての想定が不十分だったためにやらざるを得ないという意味で色々なことをやりました。

 それで本来の姿だと思っているわけではありません。 しかしやらなければならない状況であるということは是非ご理解を頂きたいと、こう思っています」

 桜井委員「ありがとうございました」


 野村修也(中央大法科大学院教授)
 
 野村委員「それでは続きまして、委員の野村ですが、引き続きご質問させていただきます。

 本日冒頭菅総理は今回の事故に対して一部謝罪をされたと思うのですけども、これまでの事故、今回の事故に対して停められなかったということで、当時の国の責任者として申し訳ないといったような趣旨のご発言が今日の会議の冒頭にもあったかというふうに思います。

 この停められなかったということの意味をちょっとお伺いしたいんですけども、事前の法制度上の、例えば対策の取り方が不十分であったとか、あるいは各省庁の対策の取り方が不十分であったとか、従って今回のようなこういったような津波対策の不十分さが事故の原因として考えられるので、それに対する謝罪をされたというのでしょうか。

 中には、被災者の中には、あるいは科学者の中にも1号機の水素爆発の後に3号機、あるいは4号機、あるいは2号機でも爆発音がありますけども、こういった連続的爆発っていうのを技術的には阻止できたのではないかという声もあるわけなんですが、そういったようなことが停められなかったことについての謝罪をされたんでしょうか。

 さらには被災者の中には、例えば避難指示がもう少し適切に行われていれば、放射性物質によって汚染されずに済んだというようなことをおっしゃってられる方もいるんですが、そういった、例えば避難指示等に於いての指示の仕方に何らかの問題があったというふうにお考えになって、謝罪されたんでしょうか。

 いずれが先程のご発言なのか確認させたいただければと思います」

 菅仮免「先ず我が国に於いて原子力平和利用ということは40年以上前からですね、積極的な政治家や、色々な方によって推し進められてきました。そういった中で、それ以来のずっと、取り敢えずは3・11までの状況まで申しますと、やはり安全性というものに対して備えが不十分だった、あるいはそれに対する指摘が色々あったにも関わらず、それを軽視・無視してきた。

 色々例を上げればありますが、例えば福島第1原発は元々海面から35メートルの、この絶壁の上が高台にあったわけです。それをあの原発を造るときに海水を汲み上げるためと言って、海面から10メートルの高さにまで切っております。

 私は当時の東電の会社の歴史の本を読みました。そうすることは先見性があったと書いてあります。しかしその後の知見からすれば、あるいは以前の知見からすれば、かなり大きな地震が、少なくとも何百年単位であの地域に来ておりますので、そういった35メートルの高さを10メートルまで切って造ったという言うこと、それ自体が津波に対する備えというものが不十分だった。

 数え上げればまだまだありますけども、そういった根本的な問題。あるいは後に問題になるかもしれませんが、原子力村と言われるですね、そういう色々な批判なり、色々な危険性の指摘に対して、それをどちらかと言えば、軽視し、封じ込めてきた。

 これは私自身も反省を含めてですね、そういうことが十分に対応されなかった。そういうことが第一の国としての責任だと――」

 野村委員「すみません。ちょっとお言葉を差し挟むようですが、それは東電の対策が悪いということであれば、総理が謝罪されることではありませんので、まさか国がそういった対策に於いて不十分な対応だったというご認識を御示しになったということでよろしいでしょうか」

 菅仮免「勿論です。つまりそれを認可したのも国ですし、国が国策として原子力政策を進めてきたということは、これは誰も否定しないことで、まさに国策民営という言い方をされておりますが、国の方針としてなされて、それが今回のような大事故を起こした。

 そういう意味で国の責任だと申し上げております」

 野村委員「事故後の対応について落としてしまったんですが、水素爆発の連続を阻止できたのではないかという声や、あるいは被災者の中には今回の被災に於いて誤った方向に逃げてしまったために放射性物質を余計に浴びたという声があったり、あるいは避難指示がもう少し適切になされていれば、大事な物を持って長期避難することができたという声があったり、様々な声があるんですが、そういったことについての当時の政府の責任者としての謝罪がなされたということでいいでしょうか」

 菅仮免「先ず私はですね、他の政府事故調や民間事故調でもヒヤリングを受けて、私の見方・考え方を申し上げてみましたけども、是非皆さんにも今おっしゃったような、3・11前のこと、3・11から今日までのこと、それから将来のこと、これらについてまさにしっかりした調査を、私も期待をしております。

 そういった意味で今いくつかの指摘がありました。例えば1号機以下ですね、水素爆発を停められなかったのか、そういう今ご指摘をいただきました。まあ、私もこの間読んだり、聞いたりしておりますから、いろいろな思いはありますけれども、まさにこういうことこそですね、しっかりと事故調で調査をしていただきたい。

 その中で私が今申し上げることができるのは、避難の問題などで必ずしも、精一杯やったつもりですけども、昨日も(枝野)大臣のことも聞いておりますけども、私も、例えば一時的な避難というふうに受け止められて、避難された人たちが非常に長期になったと。

 あるいは屋内退避がですね、非常に長くなったとか、そういった点で大変な不十分さが色々な場面であったと。そのことについても併せてお詫びを申し上げたつもりです」

 野村委員「ありがとうございます。それではちょっと違う話ですが、大きな問題のテーマとしまして、先程も総理の口からも出ているんですが、今回の事故対応には必ずしも法律に定めのない制度や動きというものがたくさん見られるわけです。

 これは元々原災法が予定していなかった事象が起こったので致し方がないんだということ、あるいはむしろそういう動きに合理性があったんだというご発言があったかというふうに思うんですが、一つ先ずお伺いしたいのは、本来安全委員会が緊急助言組織というものをつくられて、班目委員長が中心となって技術的な助言をするという、これは法律に書かれている仕組みでありまして、これ自体も大いに総理は当時ご活用されていたということは承知していることなんですが、これ以外に総理がご自分でケイタイなどを使いながら、外部の専門家と様々な情報を入手されていたという事実が時々ご指摘されるわけです。

 このような事実があったということなのか、先ず教えていただければと思います」

 菅仮免「先ず総理大臣として基本は原子力安全・保安院、助言である、提言である、色々ありますけれども、そこが事務局ですから、そこが軸です。

 そしていわば独立性の高い原子力安全委員会が助言機関としてあり、班目委員長からは多くの点で助言をいただきました。そして今回の場合は電力事業者である東電、そこからも技術担当のフェローを送っていただきまして、話を聞きました。

 中心はこの三者であります。

 と同時にそうしたそれぞれの組織を持って、あるいは組織を代表して来られる方以外からも、色々な原子力事故に対する話を私自身参考のために聞きたいということで、何人かの方にお尋ねをしたり、あるいはその後参与になっていただいて相談に乗っていただきました」

 野村委員「その情報については当時他の官邸に置かれた、例えば官房長官始め、その他の大臣等については情報を共有されたんでしょうか」

 菅仮免「基本的にはそういう皆さんから聞いた話で、必要なことは、『こういうふうな指摘もありますが、どうですか』と、原子力安全・保安院、あるいは原子力安全委員会委員長、場合によっては東電から来ていただいた方にも戻す。

 当然、殆どの場合、私一人ではありませんので、三大臣、官房長官も同席しておりますので、そういう皆さんの前でも戻す。

 私も本来の、今私が言った三つの組織以外の話で、私自身がそれ以外の話でも物事を決めたりということは、これはありません。ありませんでしたし、今もありませんでした」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(3)》に続く

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(3)

2012-06-24 12:10:39 | Weblog

 野村委員「そういう形では、いわゆるセカンドオピニオンという形でお取りになられたものが、新しい知見として、政府の中にある知見とすり合わせが行われたということであると思いますが、具体的にはどのようなことをご相談されたのでしょうか」

 菅仮免(暫く考えてから、笑いながら)「まあ、色々なことがありました。先程の、先ずはメルトダウンが起きている、起きていないことについての何人かに聞きました。ある方は自分のホームページに間違いなくメルトダウンが起きていると早い段階からご指摘をされる方もいました。

 また先程の再臨界の問題も、こういう場合には起きやすいんだということを私に教示いただいた専門家もおります。あるいはその後参与になっていただいた方も含めて、大量の資料が東電から出ましたので、それを詳細に分析をしていただいて、その分析にはこういう指摘がある、あるいはこういう指摘はこういう問題がある、そういうふうに解説をして、色々と役立ったこともあります。

 あるいは海に汚染水が流れるんではないかというときに、どうすればいいのかと、確か30数メートルの地下に掘れば、岩石があるので、そこまで土の中に遮蔽壁を造ったらどうか。まあ、3億単位の費用がかかります。

 その検討もある段階でこういう意見があるがどうかと指示を頂きました。

 それに対する補強、他からも話があったと思いますが、それに対する補強についても、こういう意見があるからどうかという形で検討を指示しました。

 多くの点で大変参考になりました」

 野村委員「その中で、そういったご助言の中で、取り入れなかったもので、今思えば、それを取り入れておけば、事故の推移も変わっていたのではないかと思われるご助言もありますでしょうか」

 菅仮免「具体的に言っていただかないとですね、多くの助言がありましたので、色んな思いつき的な助言も率直に言ってありましたので、勿論、全部が実行されたわけではありません。

 意味があることでもできなかった助言があるかもしれませんが、よろしければ具体的に言っていただきたいと思います」

 野村委員「ちょっとですね、先程のちに参与になられた方のお話なんですが、かなり早い段階で日比野先生を官邸にお呼びになっていると思いますけども、これはいつの時点でお招きになられたのでしょうか」

 菅仮免「確か参与にお願いをしたのは、20日頃かと思いますが、もっと早い段階で一度ちょっと、ある意味話を聞かせてもらいたい、あるいは相談に乗ってもらいたいということで、お願いをして、来てもらいました」

 野村委員「正式に参与の発令を受けてるのは20日なんですが、その前の段階の、このシビアアクシデントが起こっているときにも様々なご助言を受けられていると思うんですけども、その時の日比野先生の法的なお立場はどのようなものなんでしょうか」

 菅仮免「参与になられる前に色々な意見をお聞きしたのは必ずしも日比野さんに限りません。その後参与になられなかった人も含めて、かなりの方に色々な意見を聞いております。

 ですから、そういった一般の方で、私が個人的に、『どういうふうに考えますか』と意見を個人的にお聞きしたと、そういう関係であります」

 野村委員「日比野先生のご専門は何でしょうか」

 菅仮免「大学では電気というか、電気物理、電気通信、そういうのが専門で、ある大学の副学長をなさっております」

 野村委員「いわゆるコンピューターとか、電気通信といった分野だと思いますが、原子力のご専門家という立場でアドバイスを受けられたのでしょうか」

 菅仮免「必ずしもそうではありません。例えばの例を申し上げますと、原子力の専門家は東大、京都大学、東北大などにかなりおられます。私としては母校でもあります東工大の専門家、直接面識のある方はおりませんでしたので、日比野さんにお願いをして、どういう方に相談をすればいいのだろうか、あの段階では学長にもお願いをして、そういう人を推薦して貰って、その後参与になっていただいた方もいます。

 その参与をサポートする体制を内部として、参与に対するサポートですから、自主的につくっていただいたこともあります。

 そういったことを含めて、色々な面で私にとって色々なアドバイスをして下さったり、そういう面から大変お世話になりました」

 野村委員「民間事故調の報告書の中には後の参与をたくさん任命されたことに対して当時枝野官房長官は必ずしも賛成されていなかったと、昨日もそのようにご発言されているんですけども、その他に官邸におられた方の中で、必ずしも専門性のはっきりしない人たちをたくさん集めたことが情報の混乱を招いたというご発言が出ているわけですが、そういう評価に対して総理はどのようにお考えでしょうか」

 菅仮免「実は3・11前からですね、色んな経緯で参与にお願いしていた。あるいはそのまま継続でお願いをしていた方もあります。私がお願いをした3・11以降では日比野さんも広い意味では原発事故に対しての、いわば広い意味での助言でありました。

 私がお願いしたのは3・11以降ではそういう原発事故以降に関連した方以外についてちょっと私はなかったんではないかと、そういう方を特にお願いをしました」

 野村委員「分かりました。先程総理は福島原発に行かれて、サイトで事故を防ごうと思って取り組んでおられる方々にお会いになられて、その仕事振りにある意味の信頼を置かれたということをご発言されたわけですけども、そのサイトにおられる職員の方々が日比野さんからの電話で極めて初歩的な質問を受けたことに仕事の邪魔だったというふうにご発言されている方がいるんですが、これはサイト第一に事故対応していくっていう基本的原則から見て、やはり問題があったとうふうに考えられないでしょうか」

 菅仮免「やや抽象的なお尋ねなので、私に具体的にお聞きしていいのかどうか分かりませんが、先程申し上げたようにこの事故対応に当たってはですね、直接的に原子炉の状況、原子炉の構造に詳しい方の話もあります。

 あるいは色々な制度について詳しい方もあります。そういった意味でですね、私としてはそれぞれの方にそれぞれ得意とされる分野に於いて色々参考意見をお願いをしました。

 そういった意味で何か、その、今のご質問にはちょっと内容がはっきりしないので、お答えようがありません」

 野村委員「先程ちょっと私が総理がケイタイの番号を書き留めてきたと私が発言したやかにご発言があったんですが、私の今の認識では、東京電力の福島第1原発に対しては東京電力を経由して内線番号を通して固定電話がかかっていると認識しておりますので、昨日の委員会でもそのように発言させていただいておりますので、もし差支えがあれば訂正させていただければと思いますが、その上でこの電話が頻繁にかかっていたというようなご発言があるんですけども、これはどなたが掛けておられたんでしょうか」

 菅仮免「先程申し上げましたように私が相手が吉田所長ということに限れば、私から3・11以降、今日まで電話でお話をしたのは確か二度でありまして、先程申し上げましたように一度は細野補佐官に掛ってきた電話を代わって出たと。

 もう一度は私の方から秘書官を通して状況を聞いたと。

 それ以外にどういうタイミングでどういう方が電話をされたのか、それは私は存じ上げません」

 野村委員「制度の問題なんですけども、本来は官邸の方から直接にサイトの方にですね、電話で確認したり、指示したりと、原災法の建付けには存在していないというわけでありますけども、これは本来のサイト方から保安院を通じて官邸に指示を仰ぐという仕組みが機能不全を起こしていたというふうに理解してよろしいでしょうか」

 菅仮免「本来ということはですね、色々な場があります。簡単に言えば、オフサイトに関してオフサイトセンター。それからオンサイト(現場については法律上の原子炉等規制法が中心になっておりますから。あるいは原災本部に於いての法律でも、基本は事業者の責任となっております。

 ですから、本来東電の原発ですから、最も原発の状況がよく分かっているのは事業者そのものであります。その事業者からですね、必要な情報は直接、官邸に来られている方からでも結構ですし、あるいは保安院を経由してでも結構ですけども、迅速的確に私たちが何らかの判断をしなければならないことに対して的確な情報が上がってきていれば、少なくともそうした必要性は少なかったと思う。

 しかし現実には少なくとも初期の段階では保安院では原子力の中身を説明できる人は、少なくとも私の前に来た人は、初日の二日(ふつか)、三日(みっか)ぐらいからやっと一人来ましたけれども、おられませんでしたし、そういう状況でしたので。

 それから先程申し上げたように東電から来ている方も、必ずしも東電がきちんとフォローされていたのかどうか、どちらかと言えば、されていなかったんではないだろうか。

 ですから、武黒フェローは殆どのことが分からなかったですね。

 そういうことであったので、先程申し上げましたように本来の形だとは思っておりません。

 しかしそいう中で、その大変な危機状況で待ったなしの場面が続きましたので、できることは何でもやるという、そういう意味で、やらざるを得なかったということを是非ご理解頂きたいと思います」

 野村委員「現場で作業されていた方のヒヤリングをさせて頂きますと、今まさに飛行機が墜落しそうになっていて、コックピットで精一杯の対応をしていて、何とか墜落を防ごうとしているところに、ま、普通は電話は掛かってこないんではないかというふうに発言されている方もいるわけです。

 例えば東電本店に対して誰かが連絡役として行かれれば、あとの統合本部のような形の、早い段階で作っている、そういう遣り方もあったのではないかというふうに思いますし、また、もしコックピットに電話を掛けるんだとすれば、必要最小限度のものにとどめるように抑制を掛けるというようなことも必要ではなかったかと思うんですが、そういうふうに考えなかったでしょうか」

 菅仮免「今前半おっしゃったようにですね、15日に統合本部を立ちあげてからは、ほぼすべてのことは統合本部で情報を掌握し、そうした関係者が24時間いましたから、相談し、必要なとこだけ私に、当時の細野補佐官から確認があり、物事がスムーズに状況になりました。

 今考えればもっと早い段階からそういう体制がつくれればよかったと思っております。しかしご承知のようにこれも、今の原災法には予定されておりません。新たな原子力規制法を造る時の参考にしていただければと思います。

 そしてコックピットの話はですね、仰る意味は分からないではありません。しかしその、もし電話を、私も先程申し上げたように、どういうルートで誰が何回掛けたか分かりませんが、本当にそういう状況であれば、誰かがですね、例えばそれが東電経由であれば、今、ちょっと東電経由で後で折り返し電話するとか、そういうことは遣り取りがあったのかと思いますが、まあ、いずれにしてもそれも含めて。是非検証していただいて、本来のあり方で対応できるような、そういう在り方を新たな制度としてつくる参考に意見を出して頂ければと思います」

 野村委員「東電経由というのは東電の人が取り次いでいるのということではなくて、自動配信という形ですから、サイトの方に直接かかっているわけなんですが、そういうような形での頻繁な電話の連絡というのがむしろ統合本部を早くつくっておけば、そういった直接の指示を出したり、確認をしたりすることはしたりしなくて済んだだろうということで、そういうアイディアをご指示した方がいいというのが、そういうご意見でよろしいでしょうか」

 菅仮免「いや、今仰ったので、そのように申し上げたので、私もそう思っています。実はですね、保安院も確か、最初の保安院長の退任のときの記者会見で自分たちも早く東電本店に行っていればよかったという発言をされていたと思います。

 つまりは保安院も危機状態にあっても、東電から人を呼んで話を聞くという平時の対応しかできていません。

 あるいは保安院は検査員が確か現場にいたはずです。それも早い段階で退避をしています。そういった意味で事実として言えば、それは保安院の方、あるいは東電の方も、そのフェローに対してですね、あるいはどなたでもいいんですが、きちっとした東電の、その中身が伝わる、あるいは場合によっては意思決定がですね、少なくとも間違わない形で伝わるような形のフォローがもっとしっかりあれば、よかったと思いますし、結果として15日以降が、それが同じ場所にいて、サイトと24時間テレビ電話でつながっている中でそれが実現しましたので、今後の新たな制度のときには、それを参考にして生かして貰えれば有難いと私自身もそう思っています」

 野村委員「そのうまくいったと仰ってられる統合本部なんですけど、その統合本部をお出しになるアイディアをお出しになられたのはどなただったんですか」

 菅仮免「私です」

 野村委員「と言うことは、そのことはもう少し早くアイディアに出せばよかったということでよろしいでしょうか」

 菅仮免「やはりこのことを私がそういうことが、ま、できたかどうか、そういうことになったのは、撤退問題があったからです。

 やはり一般的に言えば、民間企業に対して政府が直接ですね、その本店なり本社に(聞き取れない。「命令」あるいは「指示」か)というか、何かするということは普通はありません。

 しかし原災法を厳密に読めば、事業者に対する指示という権限を本部長には与えられています。しかしそれは原災法上にあるからと言って、そう簡単に行使していいかどうかは、私もそこまでは早い段階から考えていたわけではありません。

 しかし撤退という問題を起きたときに、これはきちんと東電の意思決定と政治の意思決定、統一しておかなければ、いわばそこの齟齬ですね、大変なことになると。

 そういう思いで統合本部を提案し、了解を頂いたわけで、今考えればもっと早くやっておけばよかったというのはそのとおりでありますが、その時点では撤退という問題が一つのキッカケとなって統合本部を立ち上げたことができたというか、そういうことになったということが、これが事実であります」

 野村委員「ありがとうございます。ちょっと別なことなんですが、テーマとしましては同じで、法律に定めのない制度、動きというものが総理の指示によって行われたことの例をいくつかお伺いしているわけなんですが、その一つとしまして、空本議員を通じて助言チームが動いていたということが様々な所で報じられていますし、私としても確認しているわけですが、このチームができあがったことについてどのように御認識されていますでしょうか」

 菅仮免「ま、私もですね、改めてそのことを報道された最近の新聞をよく読まして貰いました。たしか15日以降、15日からそれ以降になっております。今申し上げましたように基本的には3月15日に統合本部を早い段階に立ちあげましたから、色々な関係の助言とか、色々な関係のお話は全て統合本部の方に受けてくれと。

 これは外国からの問い合わせ等を含めてであります。

 ですから空本議員に対して私が一般的にですね、恰も協力してくれと申し上げたことはあると思いますが、何かこの統合本部以外に何かこういうものをつくってくれとか、そういう指示をしたことではありません。

 それは多分、ご自身たちがそういうものが必要だと見て、統合本部の中なのか分かりませんが、そういう形で動かれたと。それ以上の指示はしておりません」

 野村委員「空本議員が総理に初めて総理にこういったチームをつくるということをご提言されたのか、今総理の方から指示がされたことがないということであれば、そちらからアイデアが出てきたことだと思うんですが、このアイデアは空本議員ご自身から出たものなんでしょうか」

 菅仮免「ですから、その記事を見るまで、助言チームという形があったということは私は知っておりません。一般的に空本議員に対して、まあ、あなたも詳しいでしょうから協力してくれという言い方はいたしたと思いますが、そんなに何々チームをつくってくれとかいう、そういう指示はしたことは私には覚えはありません。

 特に先程申し上げましたように15日以降はですね、全部統合対策本部を中心にしました。確かその報道がそのままだとすると、その助言チームも、細野補佐官を含めてですね、そういうところで色々と助言されたということを聞いておりましたので、そういう統合対策本部を、いわば自主的に協力するための動きであっただろうと、そう理解しております」
 
 野村委員「このチームの中心的なメンバーで原子力委員会の委員長でもあります近藤委員長がおられると思うんですが、近藤委員長からい話を伺っておりますと、かなり早い段階から、例えば1号機の爆発以後、どのような対応をすべきかといったような技術的なことを含めて、政府の方に様々な助言を行なっていたというふうなご発言もあるんですけど、これは個人的な発言ということなんですけども、そういうようなご発言というのは総理の耳には届いていなかったんですか」

 菅仮免「具体的には届いておりません。多少私が思い出してみますと、原子力安全委員会というのがあります。これは原災法上総理に対しる、あるいは内閣に対する助言ということがきちんと規定されております。

 で、原子力委員会というものについて、この原子力災害のときに何か法律的な位置づけというものは特に説明は受けておりませんでした。

 そういった意味で重要な会であり、非常に専門性が高い皆さんがおられることは分かっておりましたが、原子力安全委員会に助言を頂いているという基本的な制度的な中でですね、同趣旨なことを組織的にですよ、個人的にではなくて、組織的にお願いするということについて少なくとも私は二つの関係性の中で考えなければいけないのかなと。

 ですから、そのことも15日以降は細野補佐官が、その後出てくるかもしれませんが、最悪のシナリオを含めてですね、色々とアドバイスをお願いしたという経緯は、私はそれはよかったと思いますが、制度的には個人的な位置づけだったと思っています」

 野村委員「個人的はご発言が色々とあったんですけども、それは日本の中でも原子力の専門家として認識をされておられる方が原子力委員会というところにもおられると。色々な方の意見も聞くんだというふうにおっしゃられていたと思うんですけども、そこにもおられる専門家にはアドバイスは(総理個人は)受けられなかったということでしょうか」

 菅仮免「先程申し上げたように、最悪のシナリオというかですね、そういう問題では私を含め、細野補佐官も含めてですね、近藤先生の方に検討をお願いするという形で、非常に重要な面でのアドバイスをいただきました」

 野村委員「それは22日以降のことだと思うんですが、22日に総理のご指示で相談をされて、どのくらいでできるかということで聞くと、3日ぐらいだということで、25日にそれが出てきていると。

 それは私たちも承知をしているんですけども、近藤委員長が活動されていたのはずっと前で、発災以後、ずうっと委員長宅におられて、様々な情報発信や確証に対する助言等行なっておられるようなんですが、こういったようなことについてはご承知なかったということでしょうか」

 菅仮免「直接どこにおられて、どういうことをされているかということは特に私に、例えば内閣府か原子力委員会も、(近藤の動向については)確かご承知をしていると思いますが、そういうところからの報告書等があれば、記憶にありますけれども、そういう形にはなっておりません。

 その後細野補佐官が原子力担当大臣になった、私が任命したときには、その元に原子力委員会を置くという位置づけをいたしません。その段階からは、少なくともはっきりとした形を取れるようになりましたが、それ以前の段階では、特に制度的な形でこうすべきだということを内閣府等の関係者から提案があったことはありませんでした」

 野村委員「こういう状態ですので、かなり厳しい状況にあったことは重々承知をしておりますけども、先程原災法の建て付けを今回のような複合災害には適合していなかったとか、あるいは様々な限界点があったということを現場で肌でお感じになられたというふうに思うんですが、その結果、例えばそういう人員がセカンドオピニオンを取ったり、あるいは官邸の参与という形を取ったり。

 参与任命でも、様々な人をお招きになられると。さらには助言チームという、名前は伺ったけれども、党の一議員に対して問題があるならよろしくと指示を出されたというふうなことなんですが、この事故対策に対して、原災法ではうまくいかないというふうにお考えになられたときに、何か全体的な専門家の知識等を吸収しながら、この事故対応をしていくというグラウンドデザインみたいなものは総理の頭の中におありになっていたんでしょうか」

 菅仮免「少なくとも15日に統合対策本部を立ち上げるまで、本当に日々ですね、新たな事象が起きる、この場合、水素爆発が起きる、何か起こす、その段階で制度的にですね、何か全体的なグラウンドデザインを考えるという余裕は率直なところありません。

 それが一定程度収まる中で、まあ、現在審議がそろそろ始まる原子力規制庁といったですね、考え方につながることは私なりに考えました。少なくとも15日以前の4日間、そういうこと等考える余裕はありませんでした」

 野村委員「アメリカの方(ほう)からですね、早い段階で支援の可能性が示唆されているわけですが、総理は大統領との間のホットラインでお話をされたときに、何か手伝われるものがあったらというような、そういう話を受けたというのは間違いないでしょうか」

 菅仮免「その通りです」

 野村委員「その言葉を受けられた後にアメリカからの支援についてどのようにそれを受けていこうとお考えになられたでしょうか」

 菅仮免「既に発災当時に、特にこれは地震・津波も一緒ですけども、米国海軍のドナルド・レーガン航空母艦が福島沖に夕方には来てくれて、たしか仙台空港ですか、そういう所の色んな対応に当たってくれると、そういったこともありましたし、色々な物資の支援についても色々な提案がありました。

 私としては有り難い申し出でありますし、日米間というのは同盟関係でありますし、そういう支援を戴くこともですね、有難いという感謝の意味も含めてよいことだと思いましたので、できるだけ必要なものについては行政的な提案があれば受けるという、一般的な意味ではそういうことを言いました。

 特に防衛庁(防衛省の間違い)は早い段階から日常的に在日米軍との関係が非常に深いわけでありまして、そういう点では米国ないし米軍とのですね、色々な協議はかなり早い段階からしてきたと、そういうふうに認識しています」

 野村委員「今のは津波対策というか、津波に対する救助とか、そういったことを含んだ発言だと思いますが、原子力に関してはアメリカとの間では連携をどのように保っていこうと考えていたのでしょうか」

 菅仮免「かなり早い段階から専門家が日本に来られている。あるいは日本に着いたというような話は一般的には聞いておりました。

 で、そういう皆さんと我が国のそういう機関がどういう形で協力関係をつくっていくのか、私は先程申し上げたように米国との関係は日本にとっては極めて友好的な同盟関係でありますので、元々福島原発もGEが開発したものでありますし、そういったことを含めてですね、アメリカの専門家の皆さんの知見というものは一般的には大変重要だと考えておりましたので、そういう皆さんの知見を含めて、協力していただけるものは極力協力していただくと、そういう姿勢については伝えておきました。

 具体的にどの部門がどうできたというのは、そこまでは承知しておりません」

 野村委員「官邸に駐在したいという、技術者を駐在させたいというご提案がアメリカからあったと、昨日枝野官房長官の方でもお尋ねをしましたら、そういう事実は確認できているんですが、そういうことは当然、ご承知されていたのでしょうか」

 菅仮免「私には官房長官からその話はなかったと思います」

 野村委員「国家の主権に関わるというご発言があったということを聞いたことがあるんですが、それは官房長官のご発言ということなんでしょうか」

 菅仮免「昨日、私もインターネットで聞いておりましたが、枝野当時長官が自らがそうだとおっしゃっていましたので、そうだと認識しています」

 野村委員「アメリカからの協力の申し出という非常に重要な局面での提案については総理にはご報告がなく、、官房長官の独断で、それはじゃあ、主権に関わるということでお断りになったと、そういう整理でよろしいでしょうか」

 菅仮免「昨日の会合の、勿論おられたと思いますが、その時枝野、当時の官房長官が言われたのは協力を断ったのではないと、そこははっきりと言われたし、そう思います。

 私もできるだけ協力してもらうようにと。それは指示はきちんと出しております。そうではなくて、官邸という物理的なですね、この建物の中、そこに何らかの立場の人等を常駐させるということについての官房長官が判断して、それはやはり、そこまではできないと。

 私に相談があっても、多分、同じ結論だったと思っています」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(4)》に続く


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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(4)

2012-06-24 12:00:55 | Weblog

 野村委員「と言うことは、官邸に駐在すということについての提案をお断りになったのは枝野官房長官であったということでよろしいってことですね」

 菅仮免「ま、ご本人がそう言われているんですから、私には上がってきておりませんので、ご本人が言われているとおりじゃないでしょうか」

 野村委員「そのような形で今お話がありましたようにまさに他の形での協力体制の構築っていうことは急がれていたんではないかと思うんですが、その後のところは先程のご発言では総理の中では何か具体的に指示をなさりされたとか、アメリカの技術を今回の事故対応に反映される努力をされたというようなことはないということなんでしょうか」

 菅仮免「基本的に窓口は外務省になったと思います。しかし外務省もですね、原子力の専門家そのものを用意している役所ではありません。

 ですから、多分、その話を聞くとすれば、原子力安全・保安院とか原子力安全委員会とか、場合によっては東電本来とか、あるいは別のですね、政府機関の原子力の機関であるとか、今整理をして考えると、そうなります。

 そういうことを含めて、先程申し上げましたように色々な所でそういう申し出があって、それが必ずしもですね、うまくこの回線がつながらないというかですね、うまくコミュニケーションが進まないという雰囲気があるということをある段階で私も感じていました。

 で、15日に統合対策本部ができて、そういった関係者もすべて統合対策本部の方に物理的にも来てもらって、そこで…・(聞き取れない。「議論
」?)欲しいということを私の方から事務局長に、また枝野、失礼、細野補佐官に言いまして、それ以降は細野補佐官一人ではないと思います。

 色々なスタッフがいたと思いますが、そこでそうした協力要請も含めて、色々な知見を対策に活かしたと、そのように活かしています」

 野村委員「ただですね、統合本部ができたときにはそれこそ東電の本社に総理が行かれてですね、それで統合本部ができたわけですけども、そのときあそこにおられて、4号機の爆発とか2号機の音であるとかそういうことはもう起こってしまいましたので、ある意味では深刻な事態というのはその前の段階に起こっていたんじゃないかなというふうに思うんです。

 で、私自身、例えば自分のウチの、変な譬えで非常に恐縮なんですけども、家電が壊れたときに、それはやっぱり誰に相談するかというと、それは家電量販店ではなくて、家電メーカーではないかというふうに思うんですが、先程総理ご発言ありましたように、あの炉を造っった方々の知見というのはアメリカにあったんではないかというふうに思うんですけども、それ、もっと早い段階で知見を導入するといういことをお考えにならなかったのでしょうか」

 菅仮免「まあ、私、それと多少関係しますが、東芝と日立の代表にそれぞれ官邸においでを頂きました。一つの目的はそういう原発を造っているメーカーにも既に東電との深い付き合いがある企業ですから、政府としても色んな意味の協力をしてくれと。専門家を持っている所ですから。そのことを言いました。

 またその場でも早い段階でしたので、水素爆発等についてのですね、色々な示唆を述べて頂いた方もありました。

 一般的に今野村委員が言われていることは、そうできればそのとおりだと思います。しかしそれが、例えば東電がですね、そういうメーカーとの間で常に何か、そういう保守契約でもしている、あるいはやっていることが何かあったのかどうか、私は知りませんが、やはりそういう予めの何らかのことが準備されていない中で、おっしゃることは分かりますし、そのことはできれば良かったと思いますけども、多少の時間がかかったのかなあと。

 それを不十分だと言われれば、そうかも知れません。しかし15日からはですね、少なくとも大きく改善されたと、このように認識しております」

 野村委員「だからこそ、アメリカは総理の方にですね、なるべく早い段階で支援を申し入れていたんではないでしょうか」

 菅仮免「ま、少なくとも私に例えばオバマ総理(ママ)、その後ルース大使とお会いしましたが、こういう部分でこういうことをしたいというような、そういう具体的なお話ということはありません。

 つまり、『何でも言ってくれ』と。『何でも協力するから』と。そおういうお話でした」

 野村委員「失礼いたしました。組織として動いておられたということだと思うんですが、昨日明らかにさせていただいているんですが、アメリカの電話等の議事録を拝見させて頂きますと、保安院に対しては技術的な支援を申し出ているわけですが、保安院の方から必要ないという返事があったということで、どうしてなんだろうという議事録、アメリカの方から公開されているわけです。

 早い段階、15日以降のことを総理はおっしゃられますけども、その前の段階でもう少し組織的な対応をしていれば、技術的な知見を取り入れるということができたと思うんですが、参与、先程お名前を挙げさせて頂いた、原子力委員会の方の委員長であります近藤委員長のところは個人的なつながりとして海外からの技術やアドバイスといったようなものがきていて、それを総理、政府につなげるべく、自分はそういう助言組織でないために外務省であるとか、あるいは担当大臣であるとか、そういう所には連絡していたようにもご発言があるわけなんですが、そういったようなことをうまく吸収できなかったということに、組織的に何か改善点というようなものはお感じになりますでしょうか」

 菅仮免「それはおっしゃるとおりだと思います。かつては原子力委員会だったものが原子力委員会と安全委員会に分かれたということも承知しております。

 また、元々原子力安全・保安院もですね、元々は科学技術庁の原子力安全局が科学技術庁から文科省に吸収されるときに移ったというかですね、経産省の一部門と合体したものであります。

 その時にかつての原研、あるいは動燃などが原子力機構などをつくっております。私は今後の原子力規制をつくる上で、いわゆる推進する立場の人と遮断するということは極めて重要です。

 と同人にやはり高いレベルの能力を持った人、人材を備えた集団でなければならないと思います。今ご指摘のような問題も、そういう高いレベルの人たちがいる集団であればですね、場合によってはそういうアメリカなどの指摘をもっと積極的に受け止めることができたと思いますが、私はその保安院が断った経緯は昨日の枝野、当時の官房長官の質疑で聞いたのが初めてでありますが、それがもしそうだとしたなら、大きな反省材料だと思います」

 黒川委員長「総理、ちょっと」と言って、30分の時間延長を求める。

 野村委員「ちょっとこちらをご覧頂ければと思いますが、3月11日ですから発災当日なんですが、ちょっと見えなければ、こちらの方にございます」

 スクリーに大きく映し出すが、ハキリとは見えない。保安院作成の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」のことで、以下別のところから記載。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。
      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。
      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
       5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。


 野村委員「これは既に色々なところに掲載されているものですから、ご存じの方も多いと思いますし、総理もこれをご覧になられたと思うんですが、当日22時44分頃に官邸の危機管理センターの方に今後炉が万が一このまま防御できずに事故が進んでいった場合には、予想としてですね、例えば22時に50分の段階では炉心が露出しますよと。

 あるいは24時50分の段階では燃料の溶解が起こりますというようなものです。

 すみません。失礼しました。これ2号機についての話です。今後こういうことになった場合という見立てという名称なんですけども、この種のものは当日、総理のお手元には届いたでしょうか」

 菅仮免「確か、当日こういうものを見せられた覚えがあります。2号機です。当日非常に2号機・1号機、それぞれあったわけですが、その後の展開の中では1号機の方の危機的状況が大きいというふうに、少なくともその時点では焦点が1号機に移ってくるその前の時の、こういう見通しの案がなされたと思います」

 野村委員「この段階でこのような可能性についてどのようにして国民に対して説明をしていこうというふうにお考えになられたのでしょうか。総理のご指示は何か出たんでしょうか」

 菅仮免「私自身は先程来申し上げておりますように色んな方から、あるいはこういうことも含めて、今後の展開について色々な予測を私なりに聞いてはおりましたが。

 しかし現実に、と言いましょうか、当時原子力安全・保安院なり、安全委員会なり、東電の来ている方の話は、こういうプロセスではなく、例えばある時期にではですね、今の認識とは違いますから、当時の認識ですが、水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました。

 そういった意味で当時の国民への発信は官房長官にお願いをしておりましたけども、私の認識は、多分官房長官も同じだと思いますが、事実として分かっていることを隠すことはしないと。

 しかし事実として分からないことまでですね、どこまでどういう表現をするのか、それは官房長官として判断をされてやっておられて、私はそれでよかったと思っています」

 野村委員「昨日の官房長官のお話ですと、官房長官はむしろ情報の収集とか整理、判断、こういったようなところにやや問題があって、その情報をきちんと整理して、確定させたそのプロセスのところ、むしろ問題があり、それを決まったことを対外的に発表されているご自身には、それは致し方がない面があったんだという、そのような趣旨の発言があったように思います。

 そうなりますと、その前提として、どのような事実を国民に伝えるのか、あるいはどこまで可能性の高いもので、どこまで可能性のないものなのかということについてのご判断をされるところか、先ず第一次的に重要だと言うことを(枝野が)昨日おっしゃってらしたと思うんですが、その責任を取られていられた方が総理でしょうか」

 菅仮免「ちょっと質問の趣旨が正確には分かりませんが、少なくとも炉の状態ということのコアのファクト、事実というのはまずは東電、分かるとすれば東電なんです。

 その東電も電源が落ちていますから、例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです。

 しかしその時点では多少水位計が動いていましたから、時折りその報告が来るんですよ。その報告を見ると、燃料棒が上にあるというのか、相当なときまできております。

 多分、政府の中間報告にはそれが全部出ていいるはずです。そういう時にですね、そういう事実の報告があったということは、場合によれば言えますけども、いや、この事実は来たけれども、そうではないかもしれないというところまでですね、言う(公表する)のは、それはなかなか、それが官房長官であるのか誰であるのか別として、言えないと思います。

 ですから、そういうことをですね、少なくとも炉の状態ということを把握して判断する、その専門家集団とすれば、それは東電自身と原子力安全・保安院と原子力安全委員会、他にも能力的にはあるでしょう、少なくともそういう所が法律で期待されていた所でありまして、それに添って官房長官が国民に対して、それを踏まえて話をされたと、そう理解をしております」

 野村委員「例えばですね、こういったような事態が起こるかもしれないということをオープンにするということは全く考えてはいなかったということでしょうか。

 つまり今このときにですね、避難が始まっているわけです。この避難、翌朝に亘って避難される方々が出てきています。さらにはその翌朝になりますと、避難の範囲を変えるといったようなことがどんどん起こってまいります。

 そういったようなときに、一応国民に対して可能性は非常に低いけども、、こういったようなリスクもあるので、今回避難をして欲しいというようなことを、ある意味では政府の方針としてお示しになる選択肢もあったんだと思いますが、そのようなことは総理のお考えの中になかったんでしょうか」

 菅仮免「基本的には国民の皆さんにお知らせする、その直接の担当は官房長官にお願いをしておりました。

 多くの場合、官邸ははそういう制度になっておりました。昨日は官房長官であった枝野さんが、それも厳しかったんだと、本来は広報官がいてですね、知らせるのは広報官で、それをちゃんと集めて、ちゃんと誰かに分析させるのが官房長官がやる仕事であるんだけども、両方は厳しかったと、いうふうに言われていました。

 私も同様な認識を持っています。

 私が少なくとも、その5分までですね、予測とかなんなりとか判断をすることは、それは出来ません。やはり専門家、皆さんにこういうことを出してこられた、あるいはこういうことを見て頂いた専門家の皆さんにどうでしょうかと、その中で決まったのが先程のご説明しましたような避難範囲を決めるときには必ず保安院、原子力安全委員会、東電の関係者にも話を聞いて、ほぼ皆さんの提案に添って、決めていったと。

 これを勘案したということです」

 野村委員「避難の範囲をどう決めたかっていうことを聞いているのではなくて、国民に対してどれぐらいのシビアな状態にあるのかということを伝えるという、個々にある部分についての決定は官房長官が行うという形になっていたんでしょうか」

 菅仮免「原則的なことを言えば、事実が事実として確認されていれば、それは伝えるというのは私もそういう方針でしたし、官房長官も同じだったと。

 そういう意味では共通の方針です」

 野村委員「例えばこういう可能性があると。これは全く、例えばですね、炉が制御できなくなったときにはこんなに早いタイミングでこういう事態が起こるということを一方で情報としてあるわけですね。

 さらに総理が今おっしゃられましたように、それを防護できる、そういう動きも他方であると。

 そういうような状況の中で、私共国民はこのことを何も知らされないまま、炉が今どうなっているかということは分からずに、念のための避難ですという情報だけしかいただけなかったわけなんですが、それは私共国民には、こういう情報を直に出すことは危険だと考えて対処されたんでしょうか。

 それとも国民に何か伝えるっていう決めるプロセスがなかっったということなんでしょうか」

 菅仮免「同じ言い方で恐縮ですが、事実として確定していれば、これは伝えます。これは事実として確定したものではなくて、ある解析結果です。

 で、現実にそのとおりになりませんでした。なったかもしれません。

 色々な事例があります。だから、事実として確定したことは伝える。これが私の内閣の原則ですし、そして枝野長官もそれにそってやってくれたと。

 しかし確定してないものまでですね、色んな予測が出ますから、私のところに色んな予測を言ってきた人がたくさんおります。その予測を一つ一つ代わって説明するというのはこれは必ずしもやるべきであるか。あるいはできるかと言われると、それはそういう予測した人が自分としてそういう予測をしたと言われることまで止めませんが、代わってこの予測をですね、説明するというのは、それはそこまでは無理というか、そこまでやるのは必ずしも適切だとは言えないと思えます」

 野村委員「事実っていうのはこうなるのかならないというのが事実ではなくて、これは正式なプロセスの中で出てきた解析結果でありまして、外の誰かが、専門家が言ってですね、総理の所にお届けになってるお話ではないわけですね。

 要するに総理の所にこの情報を届けるべくして届けられた情報というわけですから。今現時点に於いてはこの事実が届いたと、この解析結果が届いたということは事実なんだと思うんです。

 このような解析結果が届けられていますと。だから、最悪の場合はこういうことになると想定しつつ、それを極力起こらないようにするために今こういった対策を採っていますということが伝えられていれば、避難の仕方が随分違ったのではないかという声があるんですが、その点についてはどのようにお考えなんでしょうか」

 菅仮免「ま、そういった問題は是非ですね、本当に皆さん方でよく検証していただきたいと思います。

 おっしゃることは分からないわけではありません。しかし先程来言ってますように色んな予測に対してどういう対応をすべきかという案などは、当時上がってきておりませんでした。

 そいう中でどこまでですね、色んな可能性を示されたものをどこまでどういう形で説明をするのか、それが適切なのか、それについては是非皆さんの方でも検証していただきたいと思います」

 野村委員「ありがとうございます。私の方は以上でさせて貰いますが、ご質問させていただきました趣旨は、総理、まさにご自分がおっしゃられましたように、今回のは原災法が予定していたような災害とは違っていて、対応が非常に難しい複合的な災害であった。あるいは原子力事故であったというご発言であったと思います。

 そこでかなりの工夫をされて、法律にないことを対処されたということであったわけなんですが、そうであればこそ、総理のところでの全体像のデザインの描き方というのが様々な所の、何て言うんでしょう、対策に影響してくることであったかというふうに思うわけなんですが、そういう点で最後に一言お伺いしたいんだけども、今振り返ってみれば、そういうようなところは法制度にきちっと定めておくべきであるとか、あるいは法制度になかったことしても、総理の権限でこういったことはすべきであるというようなことをまさに総理としてご経験された参考人の方から是非一言、ご助言頂ければと思います」

 菅仮免「私は必ずしもこういう問題で総理の権限が弱かったとは思っておりません。原災法の今の法律は場合によっては事業者に対する指示もできるという法律になっておりますので、そのことが弱かったとか、弱過ぎるたということは思っておりません。

 それよりも本来原災法のもとで、本部長の元の事務局を務める原子力安全・保安院が、大体が総理とか大臣は原子力の専門家がなるポストでは一般的にはありませんから、そうではない人がなることが前提として、きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならないし、それが不十分だったと。

 ですから、今後、原子力規制庁なり、あるいは委員会を今後国会で議論いたしますけれども、そういう時にはしっかりとした、シビアアクシデントに対しても対応できる能力を持った、そういう組織が必要だと。そのことはおっしゃるとおりだと思っています

 黒川委員長「確認です。皆さん気にしているのは撤退の話だったんですが、先程の話を繰返しますので、間違っていたらおっしゃってください。

 14日の夕方から夜にかけてのことですが、細野さんが来られまして、そこで吉田さんとの電話をつないで、吉田さんと直接話したのは2回だとおっしゃいましたよね。で、14日の夕方から夜だったと思うだけどというお話でしたが、細野補佐官がちょうど吉田さんと電話としていて、『状況はどうだ』と。『非常に厳しい』と。だけど、『まだやれるぞ』というメッセージを、そのまま電話をお渡しされてお話されたということでしたね。

 14日の多分夕方から夜の頃だと仰ったような気がするけども」

 菅仮免「細野補佐官に確かめた中で私の記憶は率直に言ってそんなに正確に残っているわけではありませんが、何らかの話をしたという記憶の中で、細野補佐官に、当時の補佐官に聞きましたら、2度電話が自分にかかって、1度は大変厳しいと。そんときは水が入らない状況だったと。

 夜頃に、その後、ガス欠が原因で入り出したと。その時点で私に代わって、『まだやれます』と。そういう話です」

 黒川委員長「その後それから数時間かどうか分かりませんが、15日の午前3時頃、海江田大臣に起こされたという話でしたね。撤退の問題だという時だったと思いますが。

 それでよろしいですね。それで。『撤退はないよね』と総理は言われまして、そのあとで清水社長が来られまして、『撤退はないよね』という話をしたら、『ハイ、分かりました』と言うんで、ホットしたということでよろしいですね」

 菅仮免「ホッとしたというのは先程申し上げましたが、少なくとも、『そうじゃない』と言われればですね、私としてはより強くですね、やあ、それは大変かもしれないけども、その後東電で話したようなことを話さなければならなかったかもしれませんが、ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとしたということです」

 黒川委員長「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが、そういうことでよろしいでしょうか」

  菅仮免「一つの背景です」

 黒川委員長「そうですよね。それから東電に統合本部をつくろうということで行かれたということで、よろしいですか」

 菅仮免「そうです」

 黒川委員長「ハイ。ありがとうございます」

 次は崎山比早子委員(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 
 崎山委員「委員の崎山です。よろしくお願いします。学校の20ミリシーベルトの問題についてちょっとお伺いしたいんですが、4月の初めにですね、文部科学省から原子力安全委員会の方に小学校の再開に当っての安全についての助言依頼があったそうです。3回程ありました。

 そのときに原子力安全委員会は今週の被曝限度は1年間に1ミリシーベルトだと、その都度回答していたそうです。

 結局それからですね、4月の19日に文科省、結局20ミリシーベルトになったわけですけども、その間(かん)、どういうことがあったか、ご存知でしょうか」

 菅仮免「詳細な遣り取りは私自身は全部知りません。ただ色んな議論があったということはよく聞いております。

 で、最終的には原子力安全委員会を中心にしたお話が、あるいは参与も加わって頂いたお話の中で、多少色々意見が別れたようですけども、原子力安全委員会としてですね、確か正式にそういう数字を提示されたと、そのように理解しております」

 崎山委員「原子力安全委員会の方は20ミリシーベルトということは言っていないそうなんですけども、その間にですね、官房長官ですか、福山副長官が文部科学省とそれから、原子力安全委員会と意見の摺り合わせをするようにという指示を出されているようですけども、それはご存知でしょうか」

 菅仮免「事柄一つ一つを知っているわけではありません。ただ、多分文部科学省というのは子どもということなのかですね、モニタリングの担当でもありますので、そういう意味なのか、そこは今ポッと聞かれても分かりませんが、そういうモニタリングを担当している文科省、その件では担当部署でありますので、担当部署が複数に跨る場合はそれぞれの担当部署同士でよく協議をしてくれと、そういう言い方をするのが、官房長官とか官房副長官とか、よくそういう調整をするのは私も承知しております」

 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 横山委員「それはですね、基本的に学校を再開していいのかどうかということで、モニタリングとは全然関係のないテーマでした。

 で、文科省と安全委員会との遣り取りがあって、安全委員会は常にワンクロシーベルトと言う、ワンミリシーベルトと言う。結果的には文科省の20ミリシーベルトが出たということです。

 その間どういう話し合いがあったかということをご質問しているわけです」

 菅仮免「先程申し上げましたようにこの件については相当議論があったという記憶はしております。そいう中で、今のお話だと、原子力安全委員会の意見ではないというように言われますが、少なくとも私が本部長として決定するときに原子力安全委員会の助言を常に受けて、私の知る限りそれと異なった、例えば避難距離、避難範囲なんかはやった覚えはありません。

 ですから、そのときはかなり激しい議論で、あるいは長官、副長官が直接担当していたかもしれませんが、私の記憶では、そういう専門家の皆さんを含めてですね、少数意見はあったようですけども、基本的にはそれでいいということになったと。

 そういう理解でありまして、一方的に文科省が決めたということは当時の私の認識では、そういう認識はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(5)》に続く

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2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(5)

2012-06-24 11:54:17 | Weblog

 横山委員「実際には文書の遣り取りしかありません。議論はされていないというふうに我々は理解しております)

 黒川委員長「それは報告ですね」

 横山委員「ハイ」

 田中耕一(島津製作所フェロー)

 田中委員「田中と申します。菅首相とは同じ学校です。3、4年早く出ていまして、幸か不幸かお声がかかからないで、何故かこっちに座っておりますけども、同じ同窓生ということで、少し気楽にお答え頂いても構わないんですが、えーと、ちょっとくだらない質問をして申し訳ありません。

 色々としたかったんですけども、時間がありません。それで、先ず鳩山総理とそれから菅総理と続けてですね、2回理工系の宰相が出てきたということで、結構話題になりました。

 今回この事故が起きた時にですね、理工学部の首相ということで、この気負いということで、その所で相当前に出過ぎたように私には思えます。

 当時ですね、どういう、私はコンピューターにですね、どんな情報が上がっているかっていうのを刻々色んな記事を入れて、既製(?)ファイルをつくっておりましたけども、どうしてこんなに首相の話題が多いんだろうということを思ったりしておりました。

 それがいいのか悪いのか分かりませんけれども、もっと文系の首相の方(かた)だと、ここで私がここで敢えて質問するようなことはなかったと思います。

 それはどうでもいいんですが、ま、そんなことでですね、少しそういうことで、理工系であるという、そういう気負いというものは少しありませんでしたか」

 菅仮免「私自身特に理工系だからということで気負いというものはありません。それよりも今回特に原発事故についてあまりにもですね、通常大臣の所にどういう形で、まあ、いわば下からですね、官僚組織から意見が上がってくる、提案が上がってくるというのは知っています。

 しかし今回の件では、その上がってくるべきことが殆ど全くといっていい程上がってこなかったと。

 具体的に言えば、原子力安全委員会からですね、予測とか、そういう場合はどうしたらいいのかとか、どういうことで可能性あるとか、そういう話は上がってきませんでした。 

 他の所からも現場の状況の把握は上がって来ませんでした。

 そのことのやっぱり怖さですね。逆に感じました。

 その怖さを感じたことが私が理工系であるからか、なかったからか、影響したかどうか分かりませんが、これでは手の打ちようがないという、そういう怖さを感じました。

 田中委員「もう一つすみません。短くしろと言われているので(笑いながら)、もう一つ。

 今情報のことをおっしゃいました。それで私としても是非検討を頂く、検討をして頂きたい課題として、こういう事故とのときのメーカーの問題なんですね。メーカーというのは非常に重要な情報を知っているし、それから原発を一言で言うと、色んな癖があるし、そのときのデザイナーのセンスなんかもあると思います。色んな情報が、例えばこの1号機に関して言うと、これは完全にGEのものですし、非常に問題になったアイショレーションコンデンサーというものがあって、その運転を巡って色々な問題があります。

 最初の3日間ぐらいの間に非常に重要な問題が一杯あったんだけど、その問題に応えることができるのはメーカーであるGEである可能性が非常に高いわけですね。

 そういう、これをGEの方に早く聞けとか、問うとか、そういう助言はなかったんですか」

 菅仮免「私もそのご色々と調べてですね、田中さんご存知かもしれませんが、短期契約ということで、東電がGEから買っています。短期契約というのは勿論ご存知でしょうが、つまりは一般の方が車を買うように、お金を出せば車が来ると。キーをぐるっと回せばエンジンがかかって車が走り出すと。

 しかし私の理解では普通外国から技術を入れるときは、自分の会社の技術者と外国の技術者が一緒になって工場を造って、そして試運転も一緒にやって、そしてそれがうまくいった時に初めて納品されると。

 出来上がりを買うというのはですね、私も、父親もかつて技術屋でサラリーマンでありましたが、そういう話を聞いていても、普通考えられないんですね。

 ですから、今おっしゃったことはやはり導入のときから、ちゃんとですね、自分で造れる程の能力を買った東電が持っていなかったんではないのか。

 あるいはその40年間の中で、その技術を当然つけているだろうと私は思っていたんですけども、今回問われたICの問題等々、あるいは2号、3号の水の注入を見ているとですね、本当に東電はこれらの原子炉についてですね、構造とか何とかを完全に理解していたのかどうか、そこのところは私も疑問に感じているところは多かったです」

 田中委員「それで老朽原発と絡んで、是非ご考察頂きたいのですけれども、こういう原発というのは設計者だとか、それを導入したときの関係者だとか、もう40年も経つとですね、もういらっしゃらない場合が多いんですね。

 そういう技術の伝統とか構造の伝統だとか伝承されていかないと問題があります。ですから、こういう問題が起きたときにすぐに太刀打ちできないという問題があるんですね。

 で、それをメーカーも含めて、あるいは一番のところのデザインは資料がありますから、そういう所に話を聞くということは非常に重要な問題だと思います。

 ですから、反省点の一つとしてご検討頂ければいいかと思っています。よろしくお願いします」

 横山委員「先程の学校の1ミリシーベルトの問題に絡んでいますが、原子力、科学を含めてですね、トランスサイエンスという言い方があることはご存知だと思います。トランスサイエンス、即ち原子力科学であるとか、生命科学であるとか技術の最先端だけではなく、社会への影響が非常に大きい。

 また価値観が影響すると、技術だけ知っているだけでは十分ではないというタイプのサイエンスのことを言うと思うんですが、そういう観点からしますとですね、先程の文科省の対応とかご覧を頂くと、何か技術中心ということが今回の問題の一つではないかと思うんですが、その辺のことは今後のことを考えられるときに、どういう広がりで組み立てたらいいかというご見解をお聞きしたと思います」

 菅仮免「なかなかご質問の、この範囲が全部理解できているかどうか分かりませんが、最後に言おうと思っていることに関連するんですが、原子力という技術について本当にどう人間が関わっていくことができるのか、いけるのかということは私は私なりに深刻に感じています」

 黒井委員長「ちょっと、総理。最後に聞いてもいいですか」

 菅仮免「ハイ」


 黒井委員長「じゃあ、大島さん」

 大島賢三(元国連大使)

 大島委員「大島でございます。最後に総理、最後に一言ご発言頂きたいことがあるのですが、それは吉田所長を始め、現場を支えた作業員に対する一言ということであります。

 総理もおっしゃいましたけども、背筋の寒くなるような最悪の事態になり得たと。

 まあ、そういう状況であったわけですけども、最悪の事態を防いで救ったのは最終的には東電本部の指導部でも、官邸でも、ましてや原子力安全・保安院、原子力安全委員会でもなく、まさに現場にあって、極限状況の中で文字通り命がけで収拾に取り組んだ吉田昌夫所長以下、50名とか70名の作業員の決死の働きであったということはこれは多くの国民が受け止めております。

 海外でも賞賛をされて、ヒーローとか福島フィフティズとか、言われていたわけですけれども、そういう事態に対して本部長として全体として指示されていたことから、これらの人に対して一言おっしゃって頂ければと思います。

 正式の会議でございますから、記録でも把えておりますから、是非お願いいたします」

 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会長)

 蜂須賀「すみません。蜂須賀ですが、同じ質問になってしまいますが、うちの先生と同じ質問で申し訳ございません。

 私も同じ質問を考えておりました。私たち12日に避難しまして、15、16日と、あの極限の状況のときに同じ避難者の人たちが、『向こう、第1に行ってくるよ、現場を抑えてくるからな』って、いうふうにして出かけていったんですね。避難所から。

 そのとき私たちは避難所の中で、『頑張ってね、私たちそのために、発電所をこれ以上悪い方向にいかせないでね』、と。戦争でもないのに、『お国のために俺達頑張ってくるぞ』

 それこそ家族は涙ながらにお父さんたちを送ってですね、そのとき私は、そのときに私たちの命を救ってくれたのはあそこの現場で必死に働いてくれた人たちではないかなと思っております。

 今大島先生がおっしゃったとおり、あの人たちに対して最高責任者であった菅さん一言、あの方たちに言葉を頂きたいと思います」

 菅仮免「私も全く同様に感じています。やはり一番厳しい状況にあることは東電の現場の皆さんが最もよく理解をされていた。その中で、最後の最後までですね、頑張り抜いてやって頂いた。

 そのことがある段階でこの事故の拡大を停まる、やはり最も大きな力になったと。

 同時にその後自衛隊、消防、警察、色々な関係者もですね、ある意味命を賭けて、頑張ってきて下さったと。

 そういう皆さんの、まあ、国を思うというか、国民を思う、そういう気持があって、何とか事故がさらなる大きな拡大に繋がらないで押しとどめることができたと、その皆さんには本当に、勿論、当時の責任者という立場からではなく、一人の人間として、心からお礼と敬意を評したいと思います」

 野村委員「総理、それに関連して私共、私がヒヤリングした限りでお伝えしたいことがあるんで申し上げておきますが、総理は15日の朝に東電本店に行かれて、それで多くの方々の証言では、まあ、叱責をされたということなんですけども、このご様子が今ご発言された相手の福島原発の現場におられた作業員の方々にも届いていたことは、そのときお考えになってご発言されていたんでしょうか」

 菅仮免「私がどういう話をされたかということはかなり表に出ておりますけども、私の気持で申し上げますと、(言葉を強めて)叱責という気持は全くありません。

 直前に撤退という話があったことは、それを清水社長に撤退はありませんと言った直後でありますから、また皆さんがそのことで知悉されているかどうか分かりませんから、何とか皆さんが厳しい状況であるか分かってくださっておられるだろうと。

 だから、これは本当に命をかけても頑張って貰いたいという、そういうことは強く言いました。それから撤退しても、つまり現場から撤退しても、放射能はどんどん広がっていくわけですから、そういう意味で撤退しても逃げ切れませんよということは言いました。そういうことは言いましたけれども、現場にいる皆さんを私が何か叱責するとか、そういう気持ちは全くありません。

 それから、そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました。私も東電に入るのは初めてですから。その頃本社のそういう所に。

 入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました。

 ですから、あとになって、私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと。私はそれを公開するとかしないとかの話がありましたけどけれども、私自身は公開して頂いても全く構わないというか、私は決して止めるわけではありません。

 それを聞いて頂ければ、私ですがね、まあ、色んなことは申し上げましたが、最後は、まあ、60歳を超えている会長から社長とか、私などはある意味先頭切っていこうじゃないかということも申し上げたわけでありまして、決して現場の人に対して何か叱責するというような、そういう気持は全くありませんでしたので、そこは是非ご理解いただきたいと思います」

 野村委員「お気持はよく分かるんですけども、あの、一点だけですが、その前にですね、まさに会社のために国のためにということで自分たちの命を張っておられる方々がまさか逃げることはないっていうことが伝わっているわけですよね。電話で確認されているわけです。

 枝野官房長官の昨日の発言であれば、現場にも連絡して撤退の意思ではないということは確認されているわけなんですが、そういうような方々が、総理が来られて、現場から自分たち撤退するつもりはないいと思っているのに何で撤退するんだと怒鳴ってられる姿というのは、やはり今まさにサイトと命と共にそれを防いでいこうと思っておられる方々に対する態度として、先程人としてというご意見がありましたけども、何か反省する気持というのはないでしょうか」

 菅仮免「同じことになるんですけども、私は本当に叱責するというような気持は、特に現場の皆さんに対してそういう気持は全くありません。

 先程来、この撤退の経緯については色々お聞きになりましたけれども、少なくとも私が3時に起こされた時点では撤退するということを社長が経産大臣に言ってきたという、そこからスタートしているわけです。

 ですから、その意思は普通に考えれば東電の、少なくとも上層部は共有されているというふうに理解するのが普通だと思うんです。

 で、私は本店に入りましたので、そこには上層部の幹部の人達が基本的にはおられたわけです。もちろん今仰ったように現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気が・・・・、あの、テレビは分かりましたけども、そこにおられる東電の幹部の皆さんに、撤退ということをもし考えてもいられたとしてもですね、それは考え直して、何としても命がけで頑張ってもらいたいと。

 そういう気持で申し上げたのでしたので、そこは是非ご理解を頂きたいと思います」

 田中委員「今の叱責をされたとされることに関してなんですが、前回の海江田氏が初めて現れた方には違和感がある、誤解されやすい。また前回の海江田氏からは、ステーツマン、上に立つ者として分かりやすく話すべきだというふうにおっしゃられました。今振返って、上に立つ者としてどうあるべきなのか。これからの未来の話になると思いますが、何かございますでしょうか」

 菅仮免「私の言葉が受け止められる方にとってはやや厳しく受け止められたとしたら、そのこと自体は私の本意ではありませんので、その点についてはもしそういうことがあったとすれば、申し訳なく思っております。

 私の本意は、そのときを含めて、色んな場面がありますけれども、海江田さんとはもう40年来の古いお付き合いでありますが、やはりこれは政治家でなくてもそうだと思いますが、はっきり物を言わなければいけないときはあるわけです。

 そういう意味で私が、例えば私が清水社長に撤退はありませんよと言った。あるいは大勢の前で、皆さん一番分かっておられるかもしれないが、撤退はしないでくださいと言ったということは、私からすると、私の気持を率直に伝えたいと思っていたわけで、決して叱責のつもりでもありませんし、何かよく怒鳴ったと言われるんですが、まあ、私の夫婦喧嘩よりは小さな声で喋ったつもりでありますけども、少なくともそういう何か、こう怒ったとか、誰かを叱ったとかいうつもりで申し上げたんではなくて、はっきりと物を言うために多少声が大きくなったことはあって、それが不快の念を受け止められた方があったとすれば、それは申し訳ないと思います」

 黒井委員長「ありがとうございます。ちょっと時間をオーバーをしましたが、今の、本当にあの、菅さん色んなことに答えていただきまして、色々なことがまた分かりました。誠にありがとうございました。本当にご苦労さまでした。

 あのときに本当に津波、それから地震、それから大津波、さらに原発という三つのことがあったので、本当に大変な時だったと思います。今から後付けで言うのは簡単ですけども、そういうことはいつ起こるかもしれないわけで、やはり一国、あるいは組織のトップというのはそういう時には何をするのかということが問われているわけであります。

 そういうことから言うと、勿論菅総理もよくご存知のように幾つかの話が出て参りました。今一つは店舗(東電本店)に行った15日の朝の話ですが、不思議なことに今、菅総理はあれは今聞けるもんなら聞いて構わないとおっしゃいましたが、不思議なことに東電はあそこのとこだけが音が出なくなっているんですね。

 極めて不思議だなと私共は思っていますので、これは何とかしたいと。いわばそのときの菅総理の気持も伝わると思います。

 是非それにもご協力を頂ければと思いますが、そういうことは極めて不可解だと思っています。

 もう一つは、そういう意味では日本では一国として世界の情勢が変わってきて、また似たような自然災害がどうか分かりませんが、危機的状況が続く可能性があるかもしれません。そのとき、是非本当に大災害、非常に複雑な複合災害のトップをされた菅総理からは、現在の野田総理、あるいは将来の日本のリーダーになろうという人たち、あるいは大きな組織のトップに繋がっていく人たちに、是非どういうことが大変であるかということを二つ三つ、是非、野田総理にもお話になっているでしょうが、こんなことがあったら、こうしなくちゃいけないというような話もあると思うんですが、是非お伝え頂ければと思います」

 菅、用意してきたと分かる原稿を読み読み、一語一語力を込めるように静かな演説口調で話し出す。

 菅仮免「私は冒頭ご質問に答えましたように3月11日までは安全性を確認して原発を活用すると、そういう立場で、総理としても活動を致しました。

しかしこの原発事故を体験する中で根本的に考え方を改めました。その中でかってソ連、務められたゴルバチョフ氏が、その回顧録の中でチェルノブイリ事故は我々体制全体の病根を照らし出したと、こう述べておられます。

 私は今回の福島原発事故は同じことが言える。我が国全体の病根をある意味照らし出した。このように認識をしております。

 戦前軍部が政治の実権を掌握していきました。そのプロセスに東電と電事連(電気事業連合会)を中心とする、いわゆる原子力村と言われるものが私には重なって思えて参りました。

 つまり東電と電事連を中心に原子力行政の実権をこの40年間の間に次第に掌握をして、そして批判的な専門家や政治家、官僚は村の掟によって村八分にされ、主流から外されてきたんだと思います。

 そしてそれを見ていた多くの関係者は自己保身と事勿れ主義に陥って、それを眺めていた。これは私自身の反省を込めて申し上げております。

 現在原子力村は今回の事故に対する深刻な反省をしないままに原子力行政の実権をさらに握り続けようとしています。

 こうした戦前の軍部に似た原子力村の組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して解体することが原子力行政の抜本改革の、私は第一歩だと考えております。

 原子力規制組織として原子力規制委員会をつくるときに、例えばアメリカやヨーロッパの原子力規制の経験者である外国の方を招聘することも、そういう村社会を壊す上で一つの大きな手法ではないかと思っております。

 またさらに申し上げれば、今後、この3・11原発事故の教訓を日本人、私たち全体がどう受け止めて、日本の将来をどう決めていくか、一人ひとりの日本人が問われていると思います。根本的な問題としては原発依存を続けるのかどうかという判断です。

 今回の事故が稼働中の原子炉だけではなく、最終処分ができない使用済み燃料の危険性も明らかになりました。今回の原発事故では最悪の場合、首都圏3千万人の人の避難が必要となり、国家機能が崩壊しかねなかった。そういう状況もありました。

 テロや戦争を含めて、人間的要素まで含めれば、国家崩壊のリスクに対応できる確実な安全性確保というのは、それは不可能であります。私は今回の事故を体験して、最も安全な原発は原発に依存しないこと。つまり脱原発の実現だと確信致しました。

 是非とも野田総理は勿論のこと、すべての日本人の皆さんに、あるいは世界の皆さんにそういう方向での努力を心からお願い申しあげたいと思います」

 黒井委員長「それからちょっと一言申し上げたいと思います。例の東電に行って話をされたときに、その前に吉田所長とお話をされていますね。『がんばりますよ』という話で。

 その時清水さんにしろ、勝俣さんにしろ、東電全体に現場では頑張るぞと言っているぞと、知ってるかって聞きましたか。そういうことを確認されましたでしょうか」

 菅仮免「冒頭吉田さんとの2回の会話ということで、もう一度は必ずしも正確にどの時点だったか分かりません。ただ、14日の夕方、比較的遅い時間に先程申し上げたように細野補佐官から取り次がれた電話で、そういう趣旨の話を致しました。

 しかし私自身がですね、そのことを、例えば、清水社長に呼んだときに言ったという覚えはありません。なぜかって言えば、すぐに『分かりました』と言われましたので。

 もし何かですね、『いやあ、そんなことを言っても、現場は持たない』と言われたら、もしかしたら言ってたかもしれませんが、そう遣り取りがないまま、すぐに『分かりました』と言われましたので、私からその場で言ったことはないと思います」

 黒井委員長「ハイ、ただそのまま東電に行って、先、ずっと大きな所にテレビがずっとあって、見えていないとおっしゃるときに吉田所長が見えましたよね」

 菅仮免「いや、吉田所長。スクリーンが六つぐらいありましたよね。大きな顔で写っておられれば分かりますけれども、必ずしもその中の人まで認識をしておりません」

 黒井委員長「そのとき吉田所長は、現場の方々は頑張るぞって言ってるっていうのは数時間前に聞いておられるわけですから、そのことは伝えましたか」

 菅仮免「その時の話に中には入っていません」

 黒井委員長「入っておりませんでしたか。知ってるようでしたか。東電の清水さん、勝俣さん、皆さんは。感じですけどね」

 菅仮免「そこは分からないんですよ。ですから先程言いましたように清水社長が言ってこられたということは普通であれば、勝俣会長や何人かの幹部がですね、相談に与っているはずです。

 多少前後のことを、私の直接の知見ではありませので、あんまり申し上げませんでしたが、多少前後のことで言いますと、14日のある段階では政府事故調に書かれたことがもし正しいとすればですね、もう現場の打つ手がないので、何かこう、何人かを逃げるためにバスを用意したということも、政府の事故調の中間報告にはありました。

 それを吉田所長がそこまで考えたことがあったというふうに政府事故調の中間報告にありました。

 しかし先程私が申し上げたことと重ねあわせて言うと、2号に水が入らない段階で、もう手がないと。このままいけば2号がメルトダウン、爆発するという危機感の中でそういう行動を取られたけれども、幸いにして水が入り出したということで、結果としてそのまま(バスを)使うことはなかったと、政府事故調は中間報告で述べておられます。

 ですから、一連の経緯を私なりに整理して見ますと、そういう事態が14日の夜の遅い段階であって、そしてまだやれるという意識になられて、そこでもしかしたら、東電の中の意思疎通がですね、若干時間的に前後があって、食い違いが出た一つの原因になったのかもしれませんが、そこは東電の中のことですので、私にはわかりません」

 黒井委員長「ありがとうございました」

 次の証人が佐藤福島県知事であることを告げて終了。

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