2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(1)

2012-06-24 12:28:55 | Weblog

 2012年5月28日午後に行われた《国会事故調(国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)》菅前首相参考人証言の全文書き起こし。

 途中までブログに書き記したが、改めて全文を記載。ブログに既に記載した箇所までは赤色の水平線を入れて区別しておきました。

 前以て簡単に結論づけておくと、菅前首相は原子力災害対策本部を立ち上げ、その本部長を務めたものの、対策本部を体系だった統一的な組織として構築する能力を欠いていたために、そのトップとして組織を構成する各成員・各成分に緊密な相互関連性を持たせて全体を有機的に統率し、機能させる能力をも欠くことになっていた。

 だから、満足に情報を上げることができなかった。情報が上がってこなかったではない。上がってこなかったなら、上げるのがトップの能力と責任のはずである。

 官邸内に20前後もの会議やチームを立ちあげて、却って指揮・命令系統の混乱や情報停滞を招き、後に整理することになったことも立ち上げた組織を当たり前の組織として統率・機能させることができなかったから、次の組織、次の組織と次々に立ち上げる必要に迫られたはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力に優れていたなら、少ない組織で済んだはずだ。

 組織構築能力と組織統率能力の欠如が原発事故対応だけではなく、地震・津波後の対応でも様々な停滞や混乱を生んだ。

 そして両能力の欠如はすべての能力の基本となる合理的判断能力欠如からきているのは断るまでもない。何事も満足な判断ができないということである。

 そういった場面は証言の至るところで見ることができる。

 証言からではないが、ブログに何度も書いてきている象徴的な例を挙げると、2007年参院選で民主党第1党、野党が多数派を形勢して自公政権を散々に苦しめ、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と次々と立ちゆかなくさせて政権交代へと道を開いていった経緯を忘れて、2010年参院選で民主党敗北、野党と立場を逆転させたことは次は自分たちの内閣が立ち行かなくなることだとは考えることができずに「天の配剤」だと表現した。

 この程度の判断能力しか持っていなかった。

 字数の関係から、何ページかに分ける。

 国会事故調の委員メンバー

 黒川清委員長(元日本学術会議会長)

 石橋克彦(神戸大名誉教授)
 大島賢三(元国連大使)
 崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 桜井正史(元名古屋高検検事長)
 田中耕一(島津製作所フェロー)
 田中三彦(科学ジャーナリスト)
 野村修也(中央大法科大学院教授)
 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会長)
 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 黒川委員長「それでは国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通称、国会事故調でありますが、第16回の委員会を開催いたします。

 それでは今日のご案内にありますように参考人に対する質疑を開始いたします。本日は衆議院議員、また前内閣総理大臣であられました菅直人さんにいらしていただきました。

 (菅、軽く二度頭を下げる)

 お忙しいところありがとうございます。ご承知のように菅さんは010年6月から総理大臣を務められ、福島原発事故当時も内閣総理大臣として事故対応に当っておられました。本日は事故当時のことを中心に質疑をさせて頂きます。

 それでは菅総理の方から、ご挨拶をしていただければと思います」

 菅仮免(マイクを手に持ち、立ち上がって)「先ず昨年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島原発事故に於いて亡くなられたみなさん、被災されたみなさん、そして全国のみなさんに対して心からお悔やみと御見舞を申し上げたいと思います。

 特に原発事故は国策として続けられてきた原発よって引き起こされたものであり、そういった意味では最大の責任は国にある、そのように考えております。

 この事故が発生したときの国の責任者でありました私として、この事故を停められなかったこと、そのことについては改めてお詫びを申し上げたいと思います。

 今日はこうした事故が二度と起きないように、起こさないためにどうするか、そういうことに役立つならと思って、私が知り得る限りのこと、あるいは当時を含めて私が考えたことについてみなさんから忌憚のないご質問をいただければ、できる限り率直にお話ししたい、そういう意味で出席をいたしましたので、どうか国会事故調のみなさんに於かれましても、よろしくお願い申し上げます」

 丁寧に一礼して座る。

 黒川委員長「ありがとうございます。それでは私からと思いますが、現在のようなテレビ、インターネットで世界中に情報が広がっている中で、今回のような東日本大震災、地震と津波、さらに福島原子力というのは世界中に日本の発言、対応、すべてが見られ、毎日のように日本の記者会見もですね、日本語で喋っているとはいえ、同時に訳されて世界の共有するところとなりました。

 今の参考人である菅さんには私共は福島の事故に限って調べておりますが、大変な時だったと思います。内閣総理大臣という職にあり、行政府のトップという責任ある者として事故に対応に当っておられました。今日は貴重なお時間をいただけるということについて御礼を申し上げます。
 
 さて、ご承知だと思いますが、この委員会は英語の同時通訳もありまして、ネットでも見れるようになっておりますし、のちのちホームページからも見られるようになっておりまして、また菅総理も、その後色んな機会にインタビューを受けられ、あるいは海外のインタビューにも受けておられることは十分承知をしております。

 その意味で今日は大変時間が限られておりますので、質問についてはできるだけ簡潔に。正面から誠実にお答えいただくことを希望しております。

 ということで、まずは桜井委員の方から幾つかの質問をさせて頂きます。よろしくお願いいたします」

 桜井正史(元名古屋高検検事長)

 桜井委員「委員の桜井でございます。よろしくおねがいします。先ず事故前のことについて若干お伺いしますが、菅総理と呼ばせていただきますので、当時の総理のことをお伺いしますので、そのような言葉を使わせて頂きますが、(菅の方から訂正したのだろう)じゃあ、菅さんにさせて頂きますが、菅さんには原子力発電所の事故というものについて、総理になる前、どのような見解、認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私もスリーマイル島の事件、そしてその後のチェルノブイリの事件、事故、それぞれ関心を強く持っておりました。チェルノブイリの事件については、事故については、その当時ですけども、その原因というものを私なりに調べたことがあります。

 また、原子炉ではありませんが、JOCの事故のとき、まだ私は野党の議員でありましたけども、なぜ臨界事故と言ったものが起きたのか当初理解ができなかったものですから、色々と関係する人に当たりまして、その原因を私なりに調査し、私なりに理解をした、そういうことがあります」

 桜井委員「菅さんは原子力災害の可能性、その発生について、総理になる前で結構ですが、そのように認識をお持ちでしたでしょうか」

 菅仮免「私も議員になる前も色々な形の市民運動をやっておりまして、当時の広い意味の仲間の中にはかなり原発に対して疑念を持っておられた方も数多くおられました。

 当時、私が議員になるかならないかの頃にも、地元のある方が浜岡原発について活断層の存在があるからということで、是非それを停めるべきではないかということを言ってこられた方もありました。

 また私もできるだけ、この原発、原子力エネルギーというのは当初私が属した社民連などは過渡的なエネルギーという位置づけをしていまして、ある段階にまで来たなら、それからの脱却ということも、当時私が属していた政党などでは主張していた時期もあります。

 そいう中で私自身、その後民主党という政党に結成から参加し、政策を固める中で、安全性をしっかりと確認すると、そういう前提の中で原子力を活用すると、そういうことはあってもいいのではないかと、そういうふうに私自身の考え方を、一番古くから比べれば、やや柔軟といいいましょうか、やや許容の方に変わったところであります。

 そしてこれは仕事の話になると思いますが、やはり3・11を経験いたしまして、そうした私自身が考え方を緩めたというか、あるいは緩和したということが結果として正しいことではなかったと、このように現在は思っています」

 桜井委員「それでは次に総理になられてからのことをお聞きします。

 総理の権限と責務はたくさんあると思いますが、その中の一つとして緊急事態宣言が発せられて原子力災害対策本部が設置された場合は、そのトップとして、災害の対応に当たらなければならないことは改めて私が申し上げるまでもないことでありますが、総理は就任されてからこのような場合、どのような責務と権限があるかということを事前に何らか等の説明を受けておられたでしょうか」

 菅仮免「内閣総理大臣としてどういう権限・権能があるかということは一般的には従来から色々議論もしてきましたし、私の中でも一定の考え方を持っております。言うまでもないことですが、憲法にも内閣法にも規定されております。

 原子力事故に当ってどのような権限が総理大臣として、あるいは本部長としてあるかということについて、詳しい説明を総理になった以降、事故までの間に聞いたということは、そういうことは私は覚えている限りありません」

 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅仮免「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」

 桜井委員「のちに振り返ってみてですね、事前によく説明を受けて知っておいた方がよかったとお考えにはなりませんでしたか」

 菅仮免「(一つ笑みをこぼして)勿論、この事故に遭遇して、もっと早くからしっかりとした説明を受けておればよかったと、このように思いました」

 桜井委員「それでは15条通報がなされた後のことについてお伺いしますが、海江田経産大臣の方から緊急事態宣言について総理としての決済を求められたことがございますね。

 その際に結果的には19時を過ぎてから、緊急事態宣言がなされているということで、時間がかかっており、その間に野党との党首会談が入っておりますが、詳しいことは結構なんですが、党首会談前に速やかに緊急事態宣言を発するということはできなかったのでしょうか」

 菅仮免「東電から経産大臣の方に15条通報の報告があったのは15時42分と承知をしております。経産大臣の方から、失礼いたしました、今のは10条でしたね。

 15条の方は16時15分と認識しております。経産大臣から私の方にその件について説明及び上申があったのは17時42分であります。確かに野党のみなさんとの党首会談が既にセットされておりましたので、その説明(緊急事態宣言について説明)の途中、確か5分程度でありますけれども、党首会談に、まあ、顔を出して、中座をして戻ってきて、そしてその後の説明を受けて、宣言をしたということで至っております。

 結果として19時3分に緊急事態宣言をいたしました。それ以前に既に地震・津波については緊急災害対策本部が立ち上がり、また原発についても既に官邸に対策室が立ち上がって、実質的な動きは始めておりました。

 そういった点で、もっと早ければよかったというご指摘はご指摘として是非皆さんの方でご検証していただきたいと思いますが、それによって何か支障があったかと問われれば、私が認識している限り、支障がなかったと認識しております」

 桜井委員「私が伺っているのは現実の支障があったかなかったということではなくてですね、ある意味、当時官邸におられた方で、原子力災害ということに一番詳しかったのは菅さん自身ではなかったかというような評価もされていますが、そいう中で15条通報がなされて、緊急事態宣言が経産大臣の方から求められるという意味というのは、一番分かっておられたのではないかと思います。

 そのことをなぜ時間をかけてしまったのかというところをお伺いしたいと思います」

 菅仮免「率直に申し上げまして、何か私が理由があって引き伸ばしたとか、何か押し留めたという気持ちは全くありません。その意味で、17時52分に報告が上がってきて、そして上申が上がってきた中で、私としてはたしかに野党の党首のみなさんでありますので、やはりその方々に対してもお約束をした以上はですね、あまりお待たせをする訳にはいかないとうことで、中座をして5分間行って帰ってくると。

 確かに1時間21分かかっておりますけども、もっと早ければよかったと言えばそのとおりだと思いますが、何か意図的に引き伸ばした、何か理由があって伸ばしたということでは全くありません」

 桜井委員「次に避難区域の設定、避難指示ということについてお伺いします。3キロという、避難を当初政府は決められておりますが、これはどういう根拠、どういう経緯で決定されたのでしょうか」

 菅仮免「避難につきましては、本来なら、、後程議論になるかもしれませんが、オフサイトセンターなどからですね、現地の状況を踏まえて何らかの指針が出されて、それが本部長に対して承認を求めると、そういう形になるのが本来のルールであると思いますが、残念ながら、オフサイトセンターはその時点を含めて機能をいたしておりませんでした。

 そこで原子力・保安院、そして原子力安全委員会委員長、あるいは東電の関係者に集まって貰って、状況把握をしておりました。特にこの避難については必ず原子力安全委員会、当時は班目安全委員会委員長が一緒にしていただいている時間が長かったと思いますが、そのご意見を聞きながら、最終的にその意見に添って決めたところであります。

 21時23分にF1(福島第1原発)から半径3キロ圏内から避難を決定したのは、つまりは15条という状態に至っていると、今後そのことがどういう厳しい状況に至るのか、まだ分かりませんでしたが、予防的な措置として先ず3キロ圏内を決めたと、このように認識をいたしております」

 桜井委員「続いて避難区域のことを纏めてお伺いしますが、次に10キロの避難区域というか、避難指示の決定を、時間的に5時44分ということですが、それはどのような情勢判断、どなたの判断によって決められたのでしょうか」

 菅仮免「3月12日の午前、5時44分、F1から半径10キロ圏内を決めました。その根拠は1号機の圧力が見られるというそういう指摘を、報告を東電から派遣された方から話を聞き、それを踏まえて、先程申し上げました原子力安全・保安院、原子力安全、特に委員会の意見をお聞きしまして、この圧力上昇というのは最悪の場合は、格納容器を破壊する危険性もあるので、そういう危険性を考えて、10キロ圏という範囲に拡大をいたしました」

 桜井委員「この10キロ圏の決定とベントとは関係あるんでしょうか」

 菅仮免「ベントについては(少し考えてから)、11日の段階から、本格的には12日の未明に経産大臣の方から、指示が出るわけでありますけれども、(10キロ圏内避難指示の)12日の午後5時44分というのはベントの指示が出るよりも、後でありますので、そういったことも関係者の皆さんの中には判断の一つの材料になっていたと思います。

 私としては先程申し上げましたように専門家のみなさんの助言を聞いて、国際的な色々なこれまでの、何と言いましょうか、経験を踏まえたご意見を聞いて決めさせていただきました」

 桜井委員「続きまして20キロの指示は同じようにどういう状況判断とどなたのご意見によって決定されたのでしょうか」

 菅仮免「基本的には同じでありますけれども、この時点は3月12日の18時25分でありますけれども、既にこの時点では15時36分に1号機の水素爆発が起きております。

 そういった点で、さらに2号機、3号機がそういった事態を迎える危険性もありましたので、そういう専門家の皆様のご意見を聞いて、20キロ圏に拡大をいたしました」

 桜井委員「その際に30キロという検討をされましたか」


 菅仮免(ほんの少し考える)「色んな議論があったと認識をしております。と同時に避難区域を拡大するということは避難をする先を含めて、避難ができる、迅速にできるということも併せて準備をしなければなりません。

 そういった議論もあったと認識をしております。その時点では1号機の水素爆発のあとでありましたので、2号機、3号機がもしそうしたことになって、放射性物質がその時点で外に広く出た場合には、場合によっては屋内にいた方が、ある時期屋内にいた方が安全ではないかと、そういった議論も含めて、最終的には専門家のみなさんの、少なくとも私のところに周りにおられた皆さんは、最終的に20キロでよしと。

 そののち、20キロから30キロを屋内退避にしたわけです」

 桜井委員「次に総理が福島第1に視察に行かれたことについて伺いますが、津波、その他の被害の所も併せて視察をなさったことは皆さんもご承知で、改めてご説明はいりませんが、福島第1原発をご自分で行かれたということは如何でしょうか」

 菅仮免「視察に行く目的は、今言われましたように地震・津波の現状を直接私が見て認識したい。これはかつての阪神・淡路の震災のときに、当時の内閣、私は内閣のメンバーではありませんでしたけど、そういった関係者がいつ行く、いつ行かないで色々と議論があったことを私も覚えております。

 私としてはテレビ出見ておりましたけれども、やはり現場の状況を上空でいいから、やはり見ておくことが、その対策を取る上で極めて重要だという認識を一方で持っておりました。

 例えばあったのは、東電から先ず電源車を送る、そのために協力して欲しい。そういうことについて色々遣りました。後にベントの話もありました。しかしそういった根本的な状況についての説明は残念ながらありませんでした。

 特にベントに関しては既に経産大臣の方から、東電がベントをしたいということについて了解していると言っているにもかかわらず、何時間経っても、それが行われない。

 私からも東電から派遣された方に、なぜ進まないんですかとお聞きしました。そしたら、分からないと言われるんですね。わからないと言われるのは本当に困りました。

 技術的な理由なのか、何か他に理由があるのかですね、分かれば、またそれに対して判断できますから、そういった状況がありましたので、私としては福島のF1、第1サイトにその責任者と話をすることによって、状況を把握できるんじゃないかと、そう考えまして、地震・津波の視察を併せて福島第1サイトの視察に行くことを決めたわけです」

 桜井委員「福島の第1で当時の吉田所長と会われまして、その結果、行われた先程の目的とその他のことで、どのような成果というか、結論を得られたのでしょうか」

 菅仮免「免震重要棟に入りまして、2階の部屋に入りました。そこで吉田所長と、確か武藤副社長がその同席をされて、こちらに何人かが同席をされていました。

 その中で炉の図面などを広げて、今の状況の概略の説明がありました。その上で、私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟におりましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました。

 私としてはその後、色々な判断をする上で、特に東電の撤退問題、後程話題になるかもしれませんが、そういったことは判断する上で、必ずしも私は何回もお話ししたわけではありませんが、現場の皆さんの考え方、あるいは見方を知るという上では極めて大きなことであったと。そこで顔と名前が一致したということは極めて大きなことであったと、このように考えております」

 桜井委員「撤退問題については後程またお伺いしますが、原災法の建付けでは、こういった事態が起こったときに現地の、俗にオフサイトセンターと言われているんですが、そちらに本部の権限を委譲することができることになっておりまして、ところが委譲されていないようですが、当時の本部長としてはどのような経緯から、これが委譲されていなかったのか把握されていいるのでしょうか」

 菅仮免「当時私は原子力安全・保安院から、そうした説明があったという記憶はありません。ですので、法律の在り方についてはその後詳細に調べましたけれども、その時点ではそういう説明もなかったし、またオフサイトセンターそのものがですね、確か副大臣が到着したのも12日の未明だったと思っておりますので、その上でも関係者が集まらなかったと聞いておりますので、実際にはそういった機能が果たせる状態ではなかったので、保安院が伝えなかったのか、あるいは他の理由で伝えなかったのか、そこは分かりませんが、私はその時点できちんと説明を受けておりません」

 桜井委員「第2回の災害対策本部の会議というのが後に作成されていまして、この拝見しますと、第2回については菅さんが欠席ということになっているんですが、それによりますと、権限委譲についての案というものが配布資料の中に入っておりまして、ところが、その案についてどう扱ったかということが議論の結果とか概要にも書いてないのですが、その事情はご存じなかったでしょうか」

 菅仮免「存じ上げません」

 桜井委員「その点はそう伺っておきまして、ベントの話が先ほどちょっとございましたので、その関係で海水注入についてお伺いしたいと思います。

 海水注入の問題というのは菅さん、ところでお話があったのはどういう経緯だったでしょうか」


 菅仮免「この海水注入については大変私にとってもですね、色々とご批判を頂いた件でもありますので、少し整理をして説明をした方がいいのではないかと思います。

 先ず海水注入について、真水がなくなった場合には冷却のためには海水注入が必要であるという点では私と海江田大臣を初め、そうした専門家の皆さん、関係者の皆さんは一致をいたしておりました。

 そういう認識のもと、3月12日18時頃から20分程度、私、海江田大臣、原子力安全委員長、保安院責任者、東電の派遣された方が話をされまして、その時点では東電から来られた技術担当の武黒フェローが準備に1時間から、失礼、1時間半から2時間かかると、こういう説明がありました。

 そこでその時間を使って、海水注入だけに限らず、いくつかの点で議論をしておこうと。というのはこの日の15時ですが、1号機が水素爆発を起こしておりますけども、この水素爆発についても、前からそういうことが起きることはないか、私も聞いておりましたが、その時点では格納容器内に窒素が充填されているので起きないというご返事でしたけれども、現実には起きたわけでありまして、そういったことを含めてですね、いくつかの事象につてい聞いておった方がいいと、時間があるなら聞いておいたほうがいいと、こういう認識のもとで幾つかのことが議題となりました。

 一つは勿論塩水ですから、塩分による影響であります。それから問題となりました再臨界については淡水を海水に代えたら再臨界が起きるということではありません。これは私もよく分かっておりました。

 つまり、私も技術的なことは専門家でありませんので、詳しくは申し上げませんが、再臨界が起きる可能性というのは制御棒が抜け落ちたとか、あるいはメルトダウンした後の、その燃料より大きな塊になったとか(手を大きく動かしてゼスチャーたっぷりに話す)、そういう場合に起きる危険性があるわけでありまして、班目委員長の方からは『可能性がゼロではない』というお返事がありました。

 まだ時間があるという前提で、それならそういうことも含めて、検討して欲しい。つまりはホウ酸を入れれば再臨界の危険性を抑えることができるということは、その関係者はみんな知っておりますので、そのことも含めて検討して欲しいと、このように申し上げたところであります。

 その後のことを申し上げますか」

 手で遮られる。

 桜井委員「国会でもこのことについて何回も聞かれておりまして、総理は質問と答をどう取られるか、非常に難しい問題もあろうかと思われますが、海水注入の関係で聞かれてくるときに、『いわゆる再臨界という課題も私にはありましたし、そのことの検討』――、ちょっと要約させて頂きますと、『これを皆さんにお願いする』と。

 こういうような答弁をされておりますが、今のご説明との関連ではどういうことでしょうか」

 菅仮免「今申し上げたとおりですけども、何か矛盾はあるでしょうか。私が申し上げたのは、例えば海水注入が再臨界に関係ないというような表現で、何か報道されたものもありますが、これは全く間違っています。淡水を海水に代えたからといって、再臨界の可能性が増えるわけではないと、こういうことを言ったんですが(ふっと笑い)、その前の部分が省略されていると全く意味が違います。

 そういった意味で再臨界のことを申し上げたのは、こののち海水の中にもホウ酸を入れるわけですけども、原子炉にはホウ酸が置いてあるわけですから、それを念のために入れるということを含めて、検討をして欲しいという趣旨で申し上げたので、国会の答弁と矛盾はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(2)》に続く


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