菅国会事故調参考人証言/自身の功績を大きく見せるための撤退問題のウソ

2012-06-27 12:50:29 | Weblog

 ここでは改めて東電撤退問題に絞って取り上げてみる。これまでも何度か取り上げたたため、前の記事と重なる個所もあるが、菅国会事故調参考人証言の全編を通して見てみると、撤退問題で如何に巧妙にウソをついているかを暴くことができる。

 例えば菅は3月15日(2012年)午前5時半過ぎに東電本店に乗り込むが、そのとき東電本店と各原発サイトを結んでいた、作動中のテレビ会議システムに気づいていて、福島原発第1サイト共つながっていたことを認識していたとしているが、明らかにウソをついている。

 先ず撤退について菅仮免と吉田所長の電話から菅仮免が東電に乗り込むまでを時系列で見ておく。

2011年3月14日夕方~夜――首相官邸の菅仮免と現場の吉田所長が電話で会話。吉田所長
              「まだやれます」
     3月15日未明――清水東電社長から海江田経産相に電話、撤退を申し込む。
     3月15日午前3時頃――菅、海江田経産相から、東電が全面撤退の意向を示しているこ
                とを伝えられる。
     3月15日午前4時過ぎ――菅、清水東電社長を官邸に呼ぶ。
     3月15日午前5時半過ぎ――東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり
                  得ない!」と怒鳴った。
 
 次に菅仮免が9月2日退陣後、9月のうちに2社のマスメディアからインタビューを受けているが、撤退問題に関する個所のみ取り上げてみる。

 菅仮免(清水東電社長を官邸に呼び出して)「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」(NHK NEWS WEB/2011年9月12日 5時24分)

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに『東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」(時事ドットコム/2011/09/17-19:58) 

 菅仮免が表現した清水社長の2つの発言の趣旨は共通する。イエス・ノーの態度を明確に意思表示しなかった。

 重大な事故発生中の原発事故対応のメンバーが事故を放置して全員が撤退するというのは認め難い重大な事態であるはずである。車で人を撥ねて、被害者が大量の血を流して路上に倒れているのを目撃しながら、その生命を無視して救急車も呼ばずに車で走り去るのに似た無責任さをその撤退には必要とする。

 官邸から見た場合、撤退を東電の意志としたことになる。

 その無責任さに関わらず清水社長は東電の代表としても最終的な決定に関わったはずの撤退意志を菅仮免に直接伝える責任を負っていたはずだが、一国の総理大臣を前にして態度を明確にしなかったというのは明らかに矛盾していて、不可解である。

 また、菅仮免は一国の総理大臣として、あるいは原子力災害対策本部本部長として、原発事故対応の以後の推移に深く関わることになる撤退問題に関して清水社長の意思を明確にさせることができないままに放置した指導性と責任感も問題となる。

 いわば菅仮免は総理大臣として、あるいは原子力災害対策本部本部長として担うべき指導性と責任感を弛緩させたまま清水社長に対して撤退問題を取り上げていたことになる。
 
 いずれにしても菅仮免はインタビューを通して清水社長がイエス・ノーの態度を明確に意思表示しなかったことと菅が担うべき指導性と責任感を弛緩させたままていたことを一つの事実として提示したことになる。

 では、国会事故調の桜井委員が取り上げた撤退問題に関する菅の証言に移るが、このことは既に6月6日当ブログ記事――《菅仮免が真っ赤なウソつきだと分かる国会事故調参考人証言「東電全面撤退問題」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に取り上げた。

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それにたいして清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました。

 桜井委員「その回答を聞いて、当時総理としてどのように思われました」

 菅仮免「その回答についてですね、勝俣会長などが清水社長が撤退しないんだと言ったと言っておりますが、少なくとも私の前で自らは言われたことはありません。

 私が撤退はありませんよと言ったときに、『ハイ、分かりました』、言われただけであります。

 国会の質疑でも取り上げられておりますけれども、基本的には私が撤退はあり得ませんよと言ったときに、(清水社長の方から)そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません。

 私としては清水社長が、『ハイ、分かりました』と言ってくれたことは、一つは、ホッとしました。

 しかしそれでは十分ではないと思いました。そこで併せて私の方から統合対策本部をつくりたいと。そしてそれは東電本店に置きたい。細野補佐官を常駐させる。あるいは海江田大臣もできるだけ常駐をしてもらう。

 そういう形で私は本部長に。海江田さんと、その時確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、会長か社長か海江田大臣と副本部長。事務局長は細野補佐官。そういう形でやりたいということを申し上げて、清水社長が分かりましたと了承していただきました。

 さらに私が申し上げたのは、それでは第1回の会合を開きたいから、東電の方で準備をして欲しい、どのくらいかかりますかと聞きましたら、確か最初2時間ぐらいと言われたので、もう少し早くしてくれということで、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけました」・・・・・
 
 マスコミインタビューと国会事故調証言は明らかに矛盾している。いずれかが事実であり、いずれかが虚偽、ウソをついていることになるが、国会事故調以後の証言は、「ハイ、分かりました」の清水社長意思表示を反映した菅仮免の以後の言動でなければさらに整合性を失うことになる。

 いわば、「ハイ、分かりました」を事実と前提した言動の展開とならなければならないことになる。

 当然と言えばごく当然の前提となる。

 「ハイ、分かりました」が事実であるなら、撤退問題はこれで片付いたはずである。

 但し東電が撤退を申し出たことはないと否定していることに対して官邸側は撤退の申し出はあったとしている以上、菅発言によって清水社長が撤退の意志を撤回したということになる。
 
 菅仮免が後者を事実としていたとしても、撤退問題が片付いたことに変わりはないはずだが、東電本店設置の統合対策本部第1回会合に出席するために本店に訪れた際、再度、「撤退はありませんよ」と大声で叱責したということは、「ハイ、分かりました」を事実と前提した言動の展開とならなければならないことと矛盾する。

 菅仮免はこのときの認識と矛盾する態度に出たことになる。

 この矛盾以前の問題として、菅仮免が現場の吉田所長から電話を通して「まだやれる」と言って継続意志を伝えているにも関わらず、清水社長に対していきなり、「撤退はあり得ませんよ」と言っていることである。

 この箇所に関する国会事故調の証言は次のようになっている。
 
 桜井委員「先程福島の原発を視察された際の成果みたいなこととして、吉田所長に対する信頼が高いというご発言を受けたのですが、責任感があるという。

 その吉田所長が現場で指揮を取っている東電として全員が撤退する、あるいは撤退するような申し入れをしているということについてどのように思われました」

 菅仮免「吉田所長とのですね、私は直接会話を、電話ですが、したのは色々とご指摘がありましたので、私なりにもう一度確認をしてみましたが、確か2回であります。

 一度は14日の夕方から夜にかけて、細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きましたが、細野補佐官から聞きましたが、吉田所長から2度電話があったそうです。

 1度目は非常に厳しいというお話だったそうです。注水が難しいと考えていたその理由が何か燃料切れで注水が可能になったからやれるという話だったそうで、この2度目の時に細野補佐官から私に取り次いで、吉田所長がそう言っているからということで、私に取り次いでくれました。

 その時に話をしました。その時は吉田所長はまだやれるという話でした」・・・・・

 上記ブログには次のように書いた。〈もし撤退の申し入れが事実なら、撤退は福島第一原発の現場の吉田所長から出た要請であるはずである。勝手に東電本店が撤退を決めるはずはないし、決めることはできないはずだ。

 先ずこのことを前提に置かなければならない。〉

 〈菅としたら、この食い違いを当然持ち出さなければならない。現場が「まだやれる」と言っているのに本店の方が撤退したいと申し入れるのはあり得ない事実であって、あまりに奇怪過ぎるからだ。〉

 だが、〈現場が「まだやれる」と言っているにも関わらず、本店が撤退したいというのはどういうことなのかと、その矛盾を尋ねたといったことは一言も触れていない。

 聞くべきことを聞かないこの不自然な矛盾は何を意味するのだろうか。〉云々。

 しかし国会事故調は吉田所長の継続意志を取り上げたことは取り上げたが、この矛盾を追及しなかった。
 
 黒川委員長が終わり近くになって取り上げるが、その個所は次のとおりになっている。

 黒川委員長「確認です。皆さん気にしているのは撤退の話だったんですが、先程の話を繰返しますので、間違っていたらおっしゃってください。

 14日の夕方から夜にかけてのことですが、細野さんが来られまして、そこで吉田さんとの電話をつないで、吉田さんと直接話したのは2回だとおっしゃいましたよね。で、14日の夕方から夜だったと思うだけどというお話でしたが、細野補佐官がちょうど吉田さんと電話としていて、『状況はどうだ』と。『非常に厳しい』と。だけど、『まだやれるぞ』というメッセージを、そのまま電話をお渡しされてお話されたということでしたね。

 14日の多分夕方から夜の頃だと仰ったような気がするけども」

 菅仮免「細野補佐官に確かめた中で私の記憶は率直に言ってそんなに正確に残っているわけではありませんが、何らかの話をしたという記憶の中で、細野補佐官に、当時の補佐官に聞きましたら、2度電話が自分にかかって、1度は大変厳しいと。そんときは水が入らない状況だったと。

 夜頃に、その後、ガス欠が原因で入り出したと。その時点で私に代わって、『まだやれます』と。そういう話です」

 黒川委員長「その後それから数時間かどうか分かりませんが、15日の午前3時頃、海江田大臣に起こされたという話でしたね。撤退の問題だという時だったと思いますが。

 それでよろしいですね。それで。『撤退はないよね』と総理は言われまして、そのあとで清水社長が来られまして、『撤退はないよね』という話をしたら、『ハイ、分かりました』と言うんで、ホットしたということでよろしいですね」

 菅仮免「ホッとしたというのは先程申し上げましたが、少なくとも、『そうじゃない』と言われればですね、私としてはより強くですね、やあ、それは大変かもしれないけども、その後東電で話したようなことを話さなければならなかったかもしれませんが、ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとしたということです」

 黒川委員長「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが、そういうことでよろしいでしょうか」

  菅仮免「一つの背景です」

 黒川委員長「そうですよね。それから東電に統合本部をつくろうということで行かれたということで、よろしいですか」

 菅仮免「そうです」

 黒川委員長「ハイ。ありがとうございます」・・・・・

 黒川委員長が言っている「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが」という発言は、菅仮免の「ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとした」という受け止めが吉田所長の継続意志と目の前の清水社長の撤退意志撤回による継続意志とが一致したことが背景にあったからではないかと解釈したことを意味しているはずだ。

 だが、一致の前にあった不一致を、あるいは矛盾を黒川委員長は問い質さなかったし、菅仮免は吉田所長と清水社長の意志不統一を清水社長に問い質さなかったのだから、「一つの背景です」は相手の発言に単に合わせた、巧妙に誤魔化した言葉に過ぎないはずだ。

 撤退意志は初期的には現場発でなければならない。現場の、これ以上は無理ですという意志を受けて、最終決定は当然東電上層部であって、決定した時点で撤退意志は現場と上層部が共有することになる。だが、菅はこの意志決定と共有のプロセスが存在しているはずなのに、無視し、清水社長にいきなり、「撤退はあり得ませんよ」と切り出した。

 勿論、現場と本店の意志決定と共有のプロセスを経ずに本店が独断で撤退を決めたケースも考えられる。であるなら、なおさらに吉田所長の継続意志と矛盾する本店の撤退意志を問い質さなければならなかったはずだが、問い質しもしなかった。

 上に立つ者の合理的判断能力を欠いていた象徴的シーンとしか言いようがない。

 合理的判断能力を欠いた者が上に立つどのような組織も情報と人間を的確・適切にコントロールして統率できようはずがない。

 ほぼ終わり近くになって、野村委員が吉田所長(現場)の継続意志に絡めて菅仮免が本店で大声で叱責したことを取り上げている。

 野村委員「総理は15日の朝に東電本店に行かれて、それで多くの方々の証言では、まあ、叱責をされたということなんですけども、このご様子が今ご発言された相手の福島原発の現場におられた作業員の方々にも届いていたことは、そのときお考えになってご発言されていたんでしょうか」・・・・・

 野村委員が菅仮免の叱責が「作業員の方々にも届いていた」と言っていることは本店と各原発現場とテレビ会議システムで繋がっていて、リアルタイムで情報共有が可能となっていることを指し、当然のように福島第1原発現場とも繋がっていたことを言っている。

 菅仮免「私がどういう話をされたかということはかなり表に出ておりますけども、私の気持で申し上げますと、(言葉を強めて)叱責という気持は全くありません。

 直前に撤退という話があったことは、それを清水社長に撤退はありませんと言った直後でありますから、また皆さんがそのことで知悉されているかどうか分かりませんから、何とか皆さんが厳しい状況であるか分かってくださっておられるだろうと。

 だから、これは本当に命をかけても頑張って貰いたいという、そういうことは強く言いました。それから撤退しても、つまり現場から撤退しても、放射能はどんどん広がっていくわけですから、そういう意味で撤退しても逃げ切れませんよということは言いました。そういうことは言いましたけれども、現場にいる皆さんを私が何か叱責するとか、そういう気持ちは全くありません。

 それから、そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました。私も東電に入るのは初めてですから。その頃本社のそういう所に。

 入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました。

 ですから、あとになって、私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと。私はそれを公開するとかしないとかの話がありましたけどけれども、私自身は公開して頂いても全く構わないというか、私は決して止めるわけではありません。

 それを聞いて頂ければ、私ですがね、まあ、色んなことは申し上げましたが、最後は、まあ、60歳を超えている会長から社長とか、私などはある意味先頭切っていこうじゃないかということも申し上げたわけでありまして、決して現場の人に対して何か叱責するというような、そういう気持は全くありませんでしたので、そこは是非ご理解いただきたいと思います」・・・・・

 「そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました」と、以後の認識だとしている。

 その部屋には大型のテレビモニターが6台か7台あったことが後からの菅の発言で分かるが、「入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました」と言って、部屋に入るなりテレビ会議システムの存在とそのシステムを使ったリアルタイムの情報共有を認識していたかのように言っている。

 とすると、前者の「そういう皆さんが聞いておられたということはあとになって気づきました」と言って、以後の認識だとしていることと矛盾することになる。

 続いて、「あとになって」と、以後の認識だとする言葉を発しながら、「私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと」と、リアルタイム(即時)の認識だとする矛盾を再び見せている。

 野村委員「お気持はよく分かるんですけども、あの、一点だけですが、その前にですね、まさに会社のために国のためにということで自分たちの命を張っておられる方々がまさか逃げることはないっていうことが伝わっているわけですよね。電話で確認されているわけです。

 枝野官房長官の昨日の発言であれば、現場にも連絡して撤退の意思ではないということは確認されているわけなんですが、そういうような方々が、総理が来られて、現場から自分たち撤退するつもりはないいと思っているのに何で撤退するんだと怒鳴ってられる姿というのは、やはり今まさにサイトと命と共にそれを防いでいこうと思っておられる方々に対する態度として、先程人としてというご意見がありましたけども、何か反省する気持というのはないでしょうか」・・・・・

 現場の継続意志を把握していながら、菅が本店で怒鳴ったことを批判している。

 菅仮免「同じことになるんですけども、私は本当に叱責するというような気持は、特に現場の皆さんに対してそういう気持は全くありません。

 先程来、この撤退の経緯については色々お聞きになりましたけれども、少なくとも私が3時に起こされた時点では撤退するということを社長が経産大臣に言ってきたという、そこからスタートしているわけです。

 ですから、その意思は普通に考えれば東電の、少なくとも上層部は共有されているというふうに理解するのが普通だと思うんです。

 で、私は本店に入りましたので、そこには上層部の幹部の人達が基本的にはおられたわけです。もちろん今仰ったように現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気が・・・・、あの、テレビは分かりましたけども、そこにおられる東電の幹部の皆さんに、撤退ということをもし考えてもいられたとしてもですね、それは考え直して、何としても命がけで頑張ってもらいたいと。

 そういう気持で申し上げたのでしたので、そこは是非ご理解を頂きたいと思います」・・・・

 「現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが」ではなく、繋がっていたのであり、前の発言からすると、繋がっていたことを認識していなければならないにもかかわらず、推測範囲の認識となっていることも矛盾している。

 しかも、繋がっていたことは「私自身はそのことは後で気が・・・・」と、以後の認識だとする言葉を言いかけて、「あの、テレビは分かりましたけども」とリアルタイムの認識だと言い直している。

 部屋に何台かの大型のテレビモニターが存在することは目にしていたとしても、それがテレビ会議システムであって、各サイトとつながり、リアルタイムの情報共有を行なっていることを認識していなかったことは明らかである。

 「後で気が・・・・」を「後で気がつきました」とすると、「現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気がつきました」と言っていることと明らかに前後の脈絡に整合性を備えることができる。

 要するにウソをついて、認識していたかのように装っているに過ぎない。テレビ会議システムで福島第1原発現場と繋がっていることに気づいていなかったからこそ、本店で怒鳴ることができたのである。

 また、「その意思は普通に考えれば東電の、少なくとも上層部は共有されているというふうに理解するのが普通だと思うんです」と言って、上層部共有意志を以って東電は撤退意志を示していたとする自らの主張を正当化しているが、相変わらず現場と東電本店が共有していなければならない撤退意志だとは気づいていない。

 自身の判断が矛盾しているこの鈍感な合理的判断能力、あるいは客観的判断能力は如何ともし難い。

 ウソをついてまでして自己正当化に努めるのは、当然、合理的判断能力を欠いているために犯すことになる失態を責任逃れするためにつくウソということになる。

 このあと田中委員の質問に対して、菅は大きな声を出すのは「はっきり物を言わなければいけないときはあるわけです」とか、「何かよく怒鳴ったと言われるんですが、まあ、私の夫婦喧嘩よりは小さな声で喋ったつもりでありますけども」と抜け抜けと言い抜けている。

 東電は自ら事故対応を検証、6月20日に《福島原子力事故調査報告書》を公表している。色々と批判のある検証だが、まがい物ではない事実を拾い出せないわけではない。

 撤退問題についての菅と清水社長の遣り取りを次のように報告している。

 〈<総理による清水社長への真意確認>

清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るようにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。

 (中略)

清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。

菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」

清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」

菅総理 「そうなのか。」

いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このようなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するものであって、確かな事実であったと見られる。

したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。〉・・・・・

 上記4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での撤退問題に関わる菅答弁を別Pdf記事に記載しているが、5月2日分記述のみが「オンライン」という表現で東電本店と原発各サイトをつなげてリアルタイムに情報共有が可能なテレビ会議システムに触れている。菅がテレビ会議システムに気づいていたかどうか知るために他の日の答弁でも触れていないか正確に知る必要上、国会議事録から各答弁を引用することにした。

 2011年4月18日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「早い時間に東電の関係者から、私には大臣からですが、現地から退避をするといったようなことが伝わってきまして、そこで清水社長に来ていただいて、そのことについて、これは大変重大なことですので、社長にお出ましをいただいて話を聞きました。そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだということを言われました」

 前田武志委員長「総理、簡潔にお願いいたします」

 菅仮免「お答えしますからちゃんと聞いてください。

 そこで、これまでの段階で、やはり本部が官邸にあって、本部と東電本店、そして本店と現地のいわゆる福島の第一原発の事務所、この間接的な情報の中で、なかなか状況が、例えば水素爆発が起きてもすぐには伝わってこないといったことがありましたので、そうしたことを解消するためにも政府と東電との間で合同の対策本部を設けることが私は大変重要だと考え、清水社長にもそのことを申し上げ、清水社長も……(発言する者あり)

 前田武志委員長「総理、おまとめをください」

 菅仮免「了解をいただいて、そしてそれを設置したわけです。そして、私が出席をしたのは、その最初の会議を東電本店でやることにいたしまして、そこに出かけたのが最初であります。

 そして、現実に、本店には全ての情報がちゃんと現場とつながるような、そういうテレビ通信もありましたので、それからずっと情報が瞬時に的確に今日まで入るようになって対策がしっかり打てるようになったと。このことは国民の皆さんに私からもしっかりと申し上げたいと思います」・・・・・

 2011年4月25日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「15日の段階で少なくとも私のところに大臣から報告があったのは、東電がいろいろな線量の関係で引き揚げたいという話があったので、それで社長にまず来ていただいて、どうなんですと、とても引き揚げられてもらっては困るんじゃないですかと言ったら、いやいやそういうことではありませんと言って。

 そこで、やはりどうしても官邸にある原子力災害対策本部と、そして東電の本店と、そして福島第一原子力発電所と三段階になっておりますので、そこで、少なくとも東電と内閣の方は統合的な対策本部をつくりたいけどいかがですかと言ったら社長の方も了解をいただきましたので、それでその対策本部をまず立ち上げて、そしてその一回目の会合をどこでやろうかとしたときに、そのときに、東電の本社には全ての情報集まっていますし、会長、社長を始めおられますので、そこで東電の中に統合対策本部を設けて、その第一回目の会合に私は出かけたわけです。そして、そのときから主に経産大臣とそして細野補佐官に常駐体制を取っていただくことによって情報が的確に入るようになりました。

 確かに、抽象的には危機管理センターにいれば森羅万象全てが入るというふうにおっしゃいますけれども、現実に六枚のパネルあるいは七枚のパネルの中でいえば、東電にはそういうパネルは、あらゆる原発とのところとつながっておりますけれども、危機管理センターには自動的にはつながる体制にはなっておりませんから、そういうことで一番情報の集まる……

 前田武志委員長「菅総理、往復でやっておりますから、簡潔におまとめください」

 菅仮免「関係者の一番いる統合対策本部を本店に設けたということであります」

 2011年5月2日第177回国会参院予算委――

 菅仮免「特に今回の大震災は、地震、津波の被害が極めて大きかったことに加えて原子力事故というものが起きまして、そういう中において、先ほど例えば私が東電に出かけたことを何か問題のように言われましたけれども、原子力災害対策本部そのものは発災の当日に官邸に設けられて、私が本部長をし、そこに東電関係者あるいは安全・保安院あるいは原子力安全委員会の主要メンバーもお集まりをいただいてやっておりました。

 しかし、ある段階で経産大臣の方から、どうも東電がいろいろな状況で撤退を考えているようだということが私に伝えられたものですから、社長をお招きをしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりはないけれどもという話でありました。

 私は、福島の第一、第二だけで十個の原発があり、使用済燃料のプールが合わせて十一存在する中で、ここは何としても踏ん張ってもらわなければならない、こう考えまして統合対策本部というものを立ち上げ、そして現地のことが一番伝わっているのは東電の本社というか本店、そこには全部オンラインでつながっていますので、そういうところにその統合対策本部を設けて一回目の会合に私自身も出かけたということでありまして、私はそのことが、その後のもう撤退というようなことが一切あり得ないというその覚悟にもつながったのではないかと」・・・・・

 最初は「テレビ通信」という表現で、次は「パネル」という表現、最後は「オンライン」という表現でテレビ会議システムの存在を認識していたことを示している。

 その存在を理由に東電本店の統合対策本部を設置したのだと。

 だが、正確な名称である「テレビ会議システム」という言葉を一度も使っていない。

 要するに国会答弁も国会事故調証言も、他の証言も同じことになるが、テレビ会議システムの存在は後付けの認識でしかなかったことになる。

 菅が東電本店に統合対策本部設置の提案をしたのは清水社長を官邸に呼んで、撤退話が決着してから持ち出した話であって、官邸で決めて、第1回会合を開くということで菅が出席のために本店に乗り込みんだことは桜井委員の質問に対する菅証言が証明している。

 疑問は官邸で清水社長が東電本店と現場がテレビ会議システムで繋がっていてリアルタイムの情報共有が可能であることを伝えたかどうかであるが、東電事故検証は、〈それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。〉との記述があるのみで、テレビ会議システムの存在について一言も触れていない。

 伝えたとすると、その1時間後辺りに東電に乗り込んだとき、モニターを通じて福島第1原発現場が菅の叱責をリアルタイムで情報共有していたことに気づかなかったのは理解できなくなる。

 理解不可能からすると、テレビ会議システムの存在を認識していなかっとしか解釈しようがないし、このことは上記証言の矛盾とも合致する。

 撤退問題に関しては、〈したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。〉と記述している。

 この記述に続いて、菅仮免の東電本店での言動を伝えている。

〈<当社本店での菅総理>

4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。

5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。

前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。

清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度が理解できなかったことを証言している。

また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。〉・・・・・

 清水社長との話し合いで撤退問題は片付いたはずなのに、〈全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。〉・・・・・

 菅が言っている、「私の夫婦喧嘩よりは小さな声で喋ったつもりでありますけども」とは大きく描写が違っている。

 どう考えても、撤退問題を大事(おおごと)にし、大事にすることによって、それを阻止した自己判断の功績を大きく見せたとしか思えない。

 撤退意志を事実化することによって東電側の責任放棄だと炙り出すことができ、それを阻止したとすることによって菅は自らの功績とすることができる。

 自らの功績を大きく見せるためには東電側の責任放棄を悪者紛いに大事に演出することによって可能となる。「ハイ、分かりました」で片付けることができなかった理由はこれ以外に考えることができない。

 逆に撤退問題を淡々と片付けたままにしていたなら、マスコミにこれ程取り上げられることもなく、世間を騒がせることもなく、東電本店に統合対策本部を設置したことに関しても、逆に遅過ぎる措置としてのみクローズアップされた可能性がある。

 当然、様々に批判を受けていた当時の不人気に対応して遅過ぎる責任が厳しく問われることになった可能性も考え得る。

 事故検証によって遅過ぎると指摘を受けても、撤退を阻止したという事実を大きくクローズアップさせることができた状況は維持できたまま、遅過ぎる設置に関わる責任を取り立てて問われることなく、撤退問題の陰に隠すことができている。

 このことが2011年9月17日の首相退陣後のインタビュー発言となって現れているはずだ。

 菅仮免「(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」(時事ドットコム

 撤退の事実化がなければ、阻止したことによる功績の事実化もなくなる。

 撤退を事実化することによって、「放射能が放出され、200キロも300キロも広がる」とか、「初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」とか事態を大事化(おおごとか)することができ、逆説的に自己の功績、自己正当性を大事化できる。

 もしかしたらテレビ会議システムの存在とその機能に気づいていたのかもしれない。自己の功績を大事化することに目を奪われるあまりに吉田所長の継続意志を度忘れしたまま、各サイトにまで自身の功績を宣伝すべく、モニターの前で東電を悪者にした大声叱責の一幕を演じたのかもしれない。 

 いずれにしてもこのような詐術は、多分、合理的判断能力を欠いていることが原因している指導者としての無能を隠し、誤魔化すために自ずと必要としている巧妙狡猾なテクニックといったところではないだろうか。

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