文科省・保安院のアメリカ政府福島上空放射線量測定地図情報隠蔽の誰も信用しない釈明

2012-06-19 13:19:33 | Weblog

 2011年3月11日東日本大震災発生から1週間後の3月17日から3月19日にかけてアメリカ・エネルギー省が航空機を使用して福島上空の放射線量を測定、作成した地図を3月18日と3月20日に日本外務省に提供、外務省が直ちに文部科学省と原子力安全・保安院に伝達したが、文部科学省、原子力安全・保安院共に非公表の情報隠蔽を働いた。

 《米の放射線量地図 国が公表せず》NHK NEWS WEB/2012年6月18日 19時31分)

 他の記事(TOKYO Web=東京新聞)によると、航空機は軍用機になっている。

 3月17日から3月19日にかけて測定、〈3月18日と20日〉に日本外務省に提供と書いてあるから、3月17日測定分を翌日の3月18日に提供、3月19日測定分をその翌日の3月20日に提供ということではないだろうか。

 記事によると、〈1時間当たり125マイクロシーベルトを超える地域が赤色で示されるなど、一目で線量の高い地域の広がりが分かる〉地図となっているという。  

 アメリカ政府の3日後3月23日ホームページ公表の対応に対して文科省と保安院は非公表の情報隠蔽、官邸等、関係機関等にも情報隠蔽。

 なぜ情報隠蔽かと言うと、文科省か保安院いずれかがそれぞれ一つづつ失態を犯したというなら理解もできるが、共に非公表な上に共に首相官邸への情報伝達を怠る足並みの揃えを生じせしめている以上、意図的な情報隠蔽なくして成り立たない共同性であろう。

 結果的にそうなったと言い訳するだろうが、二つの役所が同じ失態を同時にするとしたら、双方の役所の機能性そのものが疑われることになる。

 渡辺格文科省次長「公表はアメリカ政府がすべきと考えていた。当時、地上での放射線量の調査を180の地点で行い、結果を公表していた」

 いけ図々しい責任逃れの弁解となっている。アメリカからこういう報告があったという事実の公表(情報開示・説明責任)は日本側がすべき事柄であって、例えアメリカ自身が日本に報告したとアメリカで公表したとしても、日本側は日本側として報告を受けたことを事実と認める公表(情報開示・説明責任)は必要となるはずだ。

 また、報告があったという事実の公表は当然、報告が伝えている事実(=内容)の公表を伴って初めて日本側が報告を受けたことで負う国民に対する情報開示(=説明責任)を果たすことができる。

 大体が放出放射線量の濃度・放出方向は日本国民の生命・財産に関係することであり、例えアメリカ政府がホームページでアメリカ国民に向けて公表(情報開示)したとしても、直接的にはアメリカ国民に関係することではなく、日本国民の生命・財産に関係するという事実に変わりはないのだから、日本国民向けの公表(情報開示・説明責任)は国の責任としてあって然るべきであった。

 そのような責任を果たさなかったことから考えると、文科省も保安院も日本国民に目を向けていたのか、甚だ疑わしいことになる。

 しかも、「公表はアメリカ政府がすべきと考えていた」とアメリカ側に公表(情報開示・説明責任)の義務を負わせることで自らを免罪している。

 免罪の根拠として「当時、地上での放射線量の調査を180の地点で行い、結果を公表していた」ことを挙げているが、菅政府の避難方法は放射性物質の放出方向や地域ごとの放射能濃度を無視した、区域を一律に区切った適切とは言えなかった避難だったのだから、文科省調査は単に事務的に行い、その結果を単に事務的に公表しただけで自己完結させた一連の流れとしか言いようがない。

 このことは記事の次の批判が逆説的に証明している。〈広がりが面的に分かるデータを早く公表していれば住民の被ばくを減らすことにつながった可能性があり、改めて国の対応が問われています。〉――

 要するに文科省が「180の地点」で行った調査と公表は点的な違いのみを示したデータで終わっていて、進行形の形で「面的」に拡散状況が分かるデータではなかったということである。

 当然、「面的」な拡散状況が把握できるアメリカのデータは公表しなければならなかった。

 だが、しなかった。

 山本哲也原子力安全・保安院首席統括安全審査官「当時、外務省から保安院の国際室にメールで情報がきて、放射線班に伝わっていたが、なぜ公表しなかったかについては調査中だ。いま考えれば公開すべきだったと思う。情報が適切に共有されなかったことは誠に遺憾で、政府の事故調などの検証結果を踏まえて今後の対応に努めていきたい」

 役立てるべきときに適切・的確に役立てることができなかった。不作為、あるいは怠慢そのものの対応であり、同列の情報公開であり、右へ倣えの国民に対する説明責任となっている。

 しかもこのアメリカ・エネルギー省のデーターが外務省を介して文科省、保安院に伝わっていながら、首相官邸に報告を上げなかったことは奇妙にSPEEDIの情報伝達・情報共有と重なる。

 東日本大震災発災からSPEEDI作動、その情報伝達・情報共有と各避難指示を時系列に見てみる。

 2011年3月11日午後2時46分――東日本大震災発災
    3月11日午後4時49分――「SPEEDI」作動
    3月11日午後6時頃 ――調査結果が出る時間帯(計算に1時間かかるという。)
    3月11日午後9時23分――第1原発半径3キロ圏内避難指示、3~10キロ圏内屋内退避
               指示
    3月12日午前1時頃 ――SPEEDI予測結果が保安院から首相官邸にファクスで報告
               官邸の担当部局のところにとどまる
    3月12日午前5時44分――第1原発半径3キロ圏内から半径10キロ圏内に避難指示拡大
    3月12日午後6時25分――第1原発半径20キロ圏内避難指示
    3月15日午前11時00分――第1原発周辺半径20~30キロ屋内退避指示
    3月15日夕方    ――文科省、SPEEDI予測調査
    3月15日午後9時頃  ――上記予測調査に基づいて原発から北西およそ20キロの福島県
                浪江町に職員派遣
                1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定
                測定結果は官邸に報告、報道機関に資料配付、インターネット
                公開
    3月17日~3月19日 ――アメリカ・エネルギー省、福島上空の放射線量測定
               データー地図を作成して、日本外務省に報告
               外務省、文科省と保安院に伝達
               文科省と保安院は首相官邸に未伝達
    3月23日      ――SPEEDI予測結果一部のみ公開     
    4月25日      ――SPEEDI、全面公開

 3月12日午前1時頃、保安院がSPEEDI予測結果をファクスで首相官邸に報告したものの、その報告が首相官邸の担当部局のところに止まったままで、首相も関係閣僚も知らずにいた。

 このような状況に至ったのは菅首相始め枝野官房長官も海江田経産相も、SPEEDIの存在そのものを知らなかったからだとしている。
 
 海江田経産相「私は今回、この福島の事故の対応で、自分自身に色々と反省することもございます。その中の、やはり一番大きな問題が先ずスピーディの存在を私自身、知らなかったんです」(2011年8月27日、民主党代表選共同記)

 枝野「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う」(国会事故調参考人証言)

 菅仮免「所管する文部科学省などから説明がなく、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」(民間事故調参考人証言/NHK NEWS WEB記事)

 記事は、〈菅前総理大臣ら5人の政治家が「所管する文部科学省などから説明がなく、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」と証言していることが分かりました。〉という表現で5人の声として纏めている。

 記事には書いてないが、この5人の中に東電に置いた統合対策本部の対策本部長である細野豪が入っているはずなのは後に書く細野の発言が証明してくれる。

 だが、菅首相だけは知っていなければならなかった。東大震災発災3月11日からたった約5カ月前の2010年10月20日に静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能を喪失、放射性物質外部放出事態想の、菅首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」を行っていて、SPEEDIを用いていてシュミレーションしているからだ。

 だが、菅は昨年4月18日(2011年)の参院予算委員会で脇自民党議員からこの訓練のことを聞かれて、「ま、突然のご質問ですので、えー、何を指されているのか、あー、分かりません」と忘却の彼方にしっかりと沈めていた。

 果たして5人の皆が皆、SPEEDIの存在を知らなかったというのは事実なのだろうか。次の発言は既にブログに取り上げたが、新たな解釈を加えるために再度取り上げる。

 5月2日(2011年)の記者会見。

 細野補佐官「(SPEEDIの予測結果を)公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実態であります」

 要するに細野補佐官は前前から知っていたか、発災後にその存在を知ったか、遅くても発災から近い時間に知ったかいずれかであり、尚且つSPEEDIの予測結果も知っていたことになる。双方を知らずに予測結果が「パニックが起きる」状況の数値を示していたのか否かは判断することはできないからだ。

 SPEEDIを作動させて1時間以後の3月11日午後6時以降、SPEEDIは「社会全体にパニックが起きることを懸念」しなければならない危険な数値を示していたということであろう。

 また、「社会全体にパニックが起きることを懸念」して公表を控えた情報隠蔽は官邸内の立場からして、あるいは指揮・命令の序列からして細野一人でできることではない。

 議論の末、最終責任者の菅が最終判断した、「社会全体にパニックが起きることを懸念」した情報隠蔽でなければならない。

 とすると、3月12日午前1時頃 、保安院から首相官邸にファクスで報告したSPEEDI予測結果が官邸の担当部局のところ止まった状態にあったというのはまるきりの虚偽となる。
 
 いわばSPEEDIの存在は知らないと情報隠蔽を謀ったゴマカシにに整合性を与えるための新たなたゴマカシである。

 一度ウソを付くと、そのウソを取り繕うために次々とウソをついていかなければならなくなる。

 さらに言うなら、3月17日から3月19日にかけてアメリカ・エネルギー省が福島上空で行った放射線量測定のデータが日本の外務省に報告があり、外務省が文科省と保安院に伝達しながら、文科省も保安院も歩調を揃えたように共に未公表の情報隠蔽を行い、共に首相官邸に報告もせず、情報共有を図ることはなかったとしている、普通ならあり得ない不作為の事実は、最初にSPEEDIの情報隠蔽・ゴマカシを働いているために、もしこの報告を国民との間に情報共有を謀った場合、SPEEDIの情報隠蔽との間に整合性が逆に取れなくなる。

 いわばSPEEDIの情報隠蔽に合わせたアメリカ・エネルギー省報告の情報隠蔽だとすると、すべてに辻褄が合うことになる。

 SPEEDIの場合は、保安院から首相官邸にファクスで届いたデータは官邸の担当部局のところ止まった状態だとした。同じ手は二番煎じとなって使えないばかりか、首相官邸にまでアメリカ作成の報告が届けていたとすることは、そのこと自体が再犯状態となるために、それだけ官邸の危機管理能力に対する責任追及が厳しくなる懸念から自分たちを危険な状態に追い込まないとも限らなくなる。

 そこで一歩手前の文科省と保安院のところで情報共有、あるいは情報伝達が停滞したことにした。 

 その結果として発生することになった文科省と保安院の共同歩調となった情報隠蔽ということなのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする