森本防衛相は集団的自衛権行使容認思想の点で文民統制の確実性を担保できるのだろうか

2012-06-08 12:12:34 | Weblog

 6月4日の第2次野田改造内閣で評論家で拓殖大学大学院教授の森本敏氏が防衛相の人事を受けた。元自衛官だとかで、日本国憲法が規定する「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」に抵触するのではないかとか、国民の負託を受けてはいない民間人出身者が安全保障上の決定に責任を持てるのかといった批判が起きている。

 法的には現役の自衛官は文民ではないが、かつて自衛官であった者は文民の範疇に入るそうだ。

 以下新聞が伝えている批判を眺めてみる。

 《防衛相経験者ら 批判や懸念》NHK NEWS WEB/2012年6月4日 22時10分)

 石破元防衛相「民主党内に適任者がいないなか、固辞する森本氏に泣きつき、防衛大臣に無理矢理引っ張り出したと聞いている。行き当たりばったりで、国家運営への定見を持ちえない民主党の体質を示している。軍事的な対応に責任を負えるのは、選挙の洗礼を受けた政治家だけで、国会で野田総理大臣の文民統制についての見識を問いたい。

 民主党政権の2年半の間で、安全保障政策は混迷を極めているが、自民党の考えに極めて近い森本氏の起用で、安全保障政策が現実的なものに大転換すると思う」

 「軍事的な対応に責任を負えるのは、選挙の洗礼を受けた政治家だけ」と言うのは理解できるが、このことと「文民統制」がどうつながるのか理解できない。

 文民とは通例、現職軍人でない者を言い、選挙で国民の負託を受けている者を言うわけではない。

 なお理解できないのは、森本防衛相人事を対国民責任上も文民統制上も不適切と批判しておきながら、その安全保障政策に期待している。

 浜田自民党国会対策委員長代理「森本氏は、私が防衛大臣の時に防衛大臣補佐官を務めていただいたこともあり、見識をしっかり持った方だ。しかし、防衛省は政治的な課題が大変多く、民間登用が本当によいのか疑問だ。選挙を経て当選した国会議員が防衛大臣を受け持つのが望ましく、議院内閣制の下、特に防衛に関しては、文民統制を巡って疑問の声が出てもしかたがない」

 浜田国体委代理も国家の安全保障問題に関しては国会議員を要資格者としている。「特に防衛に関しては、文民統制を巡って疑問の声が出てもしかたがない」と言っていることは元自衛官であることを問題にしているのだろうか。

 石破元防衛相も元自衛官であることを懸念材料として、「国会で野田総理大臣の文民統制についての見識を問いたい」と言ったのだとしても、法的には元自衛官は文民の範疇に入れている。

 既に自民党では防衛大学卒、陸上自衛官出身者の中谷元議員を第1次小泉内閣で防衛庁長官に任命している。当時、文民統制に関連して一部で議論を呼んだと、「Wikipedia」に記述がある。

 例え与党自民党内で批判が起きたとしても、与党攻撃が野党の最大の務めとなっている関係からして、野党民主党の批判が上回ったはずだ。

 それが既に消費税増税と社会保障一体改革で演じられているように今度攻守所を替えて国会では野党の批判を受けることになる。

 勿論与党民主党内でも批判とまではいかないとしても、懸念を示す議員や擁護する議員もいる。

 一川民主党参議院幹事長・元防衛相「今回の防衛大臣の人事は、私自身の思いからすると、『あれでいいのかな』という感じがある。文民統制=シビリアン・コントロールを考えると、政治家がしっかりと有権者の声を受けて、責任をもって国防政策にタッチするほうがいいのではないかと思う。学者の人は専門的な知識は豊富だが、自分の考えに凝り固まると困る」

 民間人が自衛官という軍人に対して文民としての統制――文民統制がしっかりできるのかの懸念である。

 とすると、前出石破元防衛相と浜田自民党国会対策委員長代理が言っている文民統制も、森本防衛相が国会議員でないことを問題としているから、一川議員と同じ趣旨の発言ということになるのだろうか。

 どうも理解力が弱いから、元自衛官であることを基準に文民統制を論じているような印象を受けてしまった。

 同じ趣旨だとすると、森本防衛相は現役自衛官ではなく、元自衛官だから、文民とは認めていることになる。

 また、中谷元防衛庁長官の場合は中谷氏自身が国会議員であったから、現在問題していることから一切外れることになる。

 川内博史民主党衆院議員「森本氏の起用には、絶対に賛同できない。防衛大臣は文民でなければならないが、森本氏は元自衛官であり、文民でなかった時期がある。さらに、これまでの評論家としての活動で非常に偏った発言をしており、国際社会に誤ったメッセージを与えることになる」

 川内議員の場合は、自衛官当時は文民ではなかったとして、元軍人であったこと自体を問題にしている。

 下地国民新党幹事長「今回の内閣改造で心配なのは、民間から防衛大臣を選んだのは初めてのケースだということだ。防衛大臣は最高機密を取り扱い、決断をしなければならないことがある。政治家は、そういったことを政務官や副大臣をやったりしながら経験を積んで大臣になるが、森本氏にはそういう経験がない。評論は優れていると思うが、あとは、周りがどうサポートしていくかだ。防衛省は、サポートの態勢づくりをしなければならない」

 「文民統制」という言葉は直接使っていないが、川内議員を除いた他の諸氏同様に国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力に懸念を示している。但し、その欠点は防衛省のサポートで片付くとしている。

 仙谷民主党政調会長代行「政治経験があったほうがいいかもしれないが、防衛省の場合、武官の存在もあり、それをどう使いこなすかは誰であっても同じだ。野田総理大臣が、今の東アジアの安全保障を巡る環境の中で、各国との安全保障の課題を解決していくために最もふさわしいと判断して選任されたのではないか」

 野田内閣擁護の立場に立っているから、国会議員でなくても問題なし、元自衛官であっても問題なしの当然の擁護論となっている。

 政府側の人間である藤村官房長官の発言を見てみる。《官房長官 防衛相民間起用は問題ない》NHK NEWS WEB/2012年6月4日 23時16分)

 野田改造内閣初閣議後の記者会見。

 藤村官房長官「自衛隊の最高指揮監督権は総理大臣にあり、防衛大臣は、内閣の決定に従って職務を遂行する。自衛隊に関する法律や予算も国会の審議を経て成立するものであり、シビリアンコントロールの観点から何ら問題はない」
 
 要するに森本防衛相は総理大臣の指揮監督下にあり、尚且つ内閣の決定に従って動くから、文民統制に問題は生じないとしている。

 このことが事実だとすると、反旗とかクーデターは一切生じないことになる。民主国家日本に於いて反旗・クーデターの類を絶対的想定外としているとしたら、国防上の危機管理に反する。その危険性は少ないとしても、ありとあらゆる最悪の事態を想定して備えるのが危機管理であるなら、反旗・クーデターの類も最悪事態の一つに入れておかなければならない。そのための基本的な備えが日本国憲法の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」の規定であろう。

 記者「民間人を起用したということは、民主党内の議員に適任者がいなかったということか」

 藤村官房長官「民主党のなかにも大変防衛政策に詳しい方が何人かいるが、人事は任命権者である総理大臣の判断なので、私がどうこう言うことではない」

 国会対策上の適格性も入っているはずだ。野田首相が言葉の人であるから、あるいは言葉巧者であるから、同じ傾向の人物を選んだということであるに違いない。

 但し野田首相と同じく言葉の中味がないということなら、困る。

 森本防衛相自身の発言を見てみる。《森本防衛相 民間起用には問題ない》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 0時28分)

 6月4日の首相官邸での記者会見。先ず野田首相から日米同盟の深化や北朝鮮ミサイル発射等の危機管理対応に努力するよう指示されたことを明らかにしたという。

 森本防衛相(沖縄のアメリカ軍普天間基地移設問題)「基地の危険性を除去するため、返還を実現していきたい。名護市辺野古への移設が、今日、考えうる最も適切な解決案だと思っており、私個人としても、ぶれたことはない」

 「ぶれたことはない」は大いに結構。問題はそんなことよりも、政府の利害とその利害に現在のところ真っ向から対立する沖縄の利害とどう折り合いをつけるのか、長いこと沖縄の基地問題、日米安全保障問題を学者として論じてきたのだから、政治家となった以上、具体策の一つぐらい示すべきだが、自身の辺野古移設堅持の姿勢のみで片付けている。

 森本防衛相(民間からの起用に与野党双方から批判や懸念の声が出ていることに関して)「シビリアンコントロール=文民統制という原則に立ち返れば、何ら問題はないと思う。ただ、国会議員という経験を経ていないので、政党や立法府での働きかけの面で、ほかの大臣のようにうまくいかないかもしれないが、なんとかカバーしていきたい」
 
 ここで言う「シビリアンコントロール=文民統制という原則」とは、森本防衛相が国会議員でないのだから、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力への言及ではなく、日本国憲法の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」の規定を指すはずだ。

 いわば自衛官時代は文民ではなかったが、現在は文民だから、憲法の規定を原則とするなら、何ら問題はないとした。

 後段の「国会議員という経験を経ていないので、政党や立法府での働きかけの面で、ほかの大臣のようにうまくいかないかもしれない」が、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力への言及となるが、「なんとかカバーしていきたい」と努力する姿勢を示している。

 どうも憲法の規定に対する解釈として法的には現役の自衛官は文民ではないが、元自衛官は文民であるとする考えも、元自衛官だから、文民という資格の点では問題ないが、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性云々の考えにしても、単純且つ機械的な解釈に思えて仕方がない。

 何よりも問題なのは自衛隊という軍隊を統括する立場にある防衛相自身の思想・考え・意志(意志強固か否かの意志)であって、民間人かどうか、元自衛官であった、あるいは元文民ではなかったといった問題ではないはずだ。

 国会議員でなければ責任は取れないというなら、自衛隊の最高指揮監督権を有し、尚且つ閣僚の任命責任を負う首相が責任を取れば済む。

 防衛相が日中戦争も太平洋戦争も侵略戦争ではなかった、アジア解放の正義の戦争であったとする歴史観・極右的思想の持ち主で尚且つ煽動的弁舌に長けている人間であるなら、譬え純粋の文民であろうと、その適格性は限りなく疑わしくなる。

 自衛隊内の極右的思想の自衛隊員と思想的に呼応し、それが行動へと発展しない保証はない。

 逆に極右的思想に無縁で、思想的に穏健であっても、意志薄弱であった場合、特に元自衛官という立場にあった場合、古巣への親近感を利用されて極右的思想の自衛隊員に取り込まれない保証はない。

 例えば日本の戦争を人種平等の世界実現の世界史的役割担ったとする歴史観の持ち主であった田母神俊雄元航空幕僚長は在職中、その明快な右翼的思想と巧みな弁舌で自衛隊内に相当数のシンパを抱えていたと言われている。もし彼が防衛相に就任したら、自衛隊員から利用される存在となる可能性よりも、逆に自らの思想を吹き込み、洗脳していく過程で自衛隊員を利用する力とならない保証はない。

 勿論、田母神元航空幕僚長が防衛相に就任する可能性は100%無いだろうが、あくまでも一例であって、国防上の危機管理の点から、その近親性を避ける点で防衛相は文民であると限るにしても、思想・考え・意志をこそ問題としなければならないとする点に於いては変わりはないはずだ。

 森本氏の場合で言うと、自衛隊の集団的自衛権行使の問題がある。《防衛相 集団的自衛権解釈変更せず》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 4時32分

 6月4日夜の防衛省での記者会見。

 森本防衛相(就任前に日本は集団的自衛権を行使できるという認識を示していたことについて)「一研究者、一学者として、個人の考え方があったのは確かだ。しかし、内閣の一員になり、政府が従来から集団的自衛権の行使を憲法解釈として認めていないことは理解しており、私の任期中、変更する考えは毛頭ない」

 だとしても、あくまでも任期中の妥協であって、本人の本質的な立場は集団的自衛権行使容認に変わりはない。自衛隊内の集団的自衛権行使を禁止している現憲法に飽き足らない自衛隊員と呼応する可能性は否定できないはずだ。

 そのような自衛隊員にとって森本防衛相就任は意を強くする人事であるはずだ。それが単なる思想的接近で終わったとしても、元自衛隊員であることから親近性を強め、森本防衛相の思想を支えとして同じ考えを持つ仲間を増やしていき、それが一つの大きな勢力と化した場合、憲法9条の改正がない限り、文民統制は少なくとも奇妙な危ういズレを生じせしめ、文民統制自体の確実性を微妙に損なわない保証はない。

 そしてこのズレが一旦生じた場合、後々まで後を引くことも考えることができる。

 杞憂で終わるならいいが、森本防衛相は元自衛隊員であるが故に集団的自衛権行使の思想の点で文民統制の確実性を担保できるか疑問が残ることになるということである。

 森本防衛相はアメリカ海兵隊の最新型輸送機「MV22オスプレイ」の普天間基地への配備について次のように発言している。

 森本防衛相「アメリカの装備の変更で抑止力が高まるなら、わが国にとっても害にはならない。ただ、事故も起きているので、沖縄の反発は深刻に受け止めなければならない。配備までの間に、沖縄の理解を得られる方法を模索したい。

 (防衛大臣就任の経緯について)『とてもその器でないので、重責は実行できそうにない』と断ったが、野田総理大臣から『今回の内閣改造は、ある種の人心一新という意味も強く含まれているので、ぜひ引き受けてもらいたい』と言われ、『未熟ですが』と言って引き受けた」
 
 「MV22オスプレイ」がモロッコで墜落、兵士が死亡した事故については誠意のない発言も行なっている。《オスプレイ墜落 米“機械的ミスでない”》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 13時55分)

 森本防衛相「アメリカ側から、『少なくとも機械的なミスで起こった事故ではない』と日本側に通報されている。もう少し細部の結論を提供してもらえるよう引き続き要請している。

 できれば配備の前に、すべての調査結果が提供されることが望ましい。必ずしもそうならないこともありえるだろうが、最後まで飛行の安全に万全を期すよう努力しなければならない」

 「できれば」でも、「望ましい」でもなく、「配備の前に、すべての調査結果」の「提供」を求めるという強い意志を示し、もし配備前に提供がなければ、配備は許可しないと、提供要求の責任を果たすことでしか誠意ある態度とすることはできないはずだが、その逆の不誠実な態度となっている。

 学者だから、自身の思想・考えに目を向けるのみで、配備反対にも関わらず配備が着々と迫ってくる沖縄県民の危機感は理解できないのかもしれない。

 だとしたら、いくら文民統制を無難に果たしたとしても、自衛隊に対する役目上のクリアを示すのみで、国民に対する姿勢の点で問題を残すことになるだろう。

コメント (1)
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