2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(4)

2012-06-24 12:00:55 | Weblog

 野村委員「と言うことは、官邸に駐在すということについての提案をお断りになったのは枝野官房長官であったということでよろしいってことですね」

 菅仮免「ま、ご本人がそう言われているんですから、私には上がってきておりませんので、ご本人が言われているとおりじゃないでしょうか」

 野村委員「そのような形で今お話がありましたようにまさに他の形での協力体制の構築っていうことは急がれていたんではないかと思うんですが、その後のところは先程のご発言では総理の中では何か具体的に指示をなさりされたとか、アメリカの技術を今回の事故対応に反映される努力をされたというようなことはないということなんでしょうか」

 菅仮免「基本的に窓口は外務省になったと思います。しかし外務省もですね、原子力の専門家そのものを用意している役所ではありません。

 ですから、多分、その話を聞くとすれば、原子力安全・保安院とか原子力安全委員会とか、場合によっては東電本来とか、あるいは別のですね、政府機関の原子力の機関であるとか、今整理をして考えると、そうなります。

 そういうことを含めて、先程申し上げましたように色々な所でそういう申し出があって、それが必ずしもですね、うまくこの回線がつながらないというかですね、うまくコミュニケーションが進まないという雰囲気があるということをある段階で私も感じていました。

 で、15日に統合対策本部ができて、そういった関係者もすべて統合対策本部の方に物理的にも来てもらって、そこで…・(聞き取れない。「議論
」?)欲しいということを私の方から事務局長に、また枝野、失礼、細野補佐官に言いまして、それ以降は細野補佐官一人ではないと思います。

 色々なスタッフがいたと思いますが、そこでそうした協力要請も含めて、色々な知見を対策に活かしたと、そのように活かしています」

 野村委員「ただですね、統合本部ができたときにはそれこそ東電の本社に総理が行かれてですね、それで統合本部ができたわけですけども、そのときあそこにおられて、4号機の爆発とか2号機の音であるとかそういうことはもう起こってしまいましたので、ある意味では深刻な事態というのはその前の段階に起こっていたんじゃないかなというふうに思うんです。

 で、私自身、例えば自分のウチの、変な譬えで非常に恐縮なんですけども、家電が壊れたときに、それはやっぱり誰に相談するかというと、それは家電量販店ではなくて、家電メーカーではないかというふうに思うんですが、先程総理ご発言ありましたように、あの炉を造っった方々の知見というのはアメリカにあったんではないかというふうに思うんですけども、それ、もっと早い段階で知見を導入するといういことをお考えにならなかったのでしょうか」

 菅仮免「まあ、私、それと多少関係しますが、東芝と日立の代表にそれぞれ官邸においでを頂きました。一つの目的はそういう原発を造っているメーカーにも既に東電との深い付き合いがある企業ですから、政府としても色んな意味の協力をしてくれと。専門家を持っている所ですから。そのことを言いました。

 またその場でも早い段階でしたので、水素爆発等についてのですね、色々な示唆を述べて頂いた方もありました。

 一般的に今野村委員が言われていることは、そうできればそのとおりだと思います。しかしそれが、例えば東電がですね、そういうメーカーとの間で常に何か、そういう保守契約でもしている、あるいはやっていることが何かあったのかどうか、私は知りませんが、やはりそういう予めの何らかのことが準備されていない中で、おっしゃることは分かりますし、そのことはできれば良かったと思いますけども、多少の時間がかかったのかなあと。

 それを不十分だと言われれば、そうかも知れません。しかし15日からはですね、少なくとも大きく改善されたと、このように認識しております」

 野村委員「だからこそ、アメリカは総理の方にですね、なるべく早い段階で支援を申し入れていたんではないでしょうか」

 菅仮免「ま、少なくとも私に例えばオバマ総理(ママ)、その後ルース大使とお会いしましたが、こういう部分でこういうことをしたいというような、そういう具体的なお話ということはありません。

 つまり、『何でも言ってくれ』と。『何でも協力するから』と。そおういうお話でした」

 野村委員「失礼いたしました。組織として動いておられたということだと思うんですが、昨日明らかにさせていただいているんですが、アメリカの電話等の議事録を拝見させて頂きますと、保安院に対しては技術的な支援を申し出ているわけですが、保安院の方から必要ないという返事があったということで、どうしてなんだろうという議事録、アメリカの方から公開されているわけです。

 早い段階、15日以降のことを総理はおっしゃられますけども、その前の段階でもう少し組織的な対応をしていれば、技術的な知見を取り入れるということができたと思うんですが、参与、先程お名前を挙げさせて頂いた、原子力委員会の方の委員長であります近藤委員長のところは個人的なつながりとして海外からの技術やアドバイスといったようなものがきていて、それを総理、政府につなげるべく、自分はそういう助言組織でないために外務省であるとか、あるいは担当大臣であるとか、そういう所には連絡していたようにもご発言があるわけなんですが、そういったようなことをうまく吸収できなかったということに、組織的に何か改善点というようなものはお感じになりますでしょうか」

 菅仮免「それはおっしゃるとおりだと思います。かつては原子力委員会だったものが原子力委員会と安全委員会に分かれたということも承知しております。

 また、元々原子力安全・保安院もですね、元々は科学技術庁の原子力安全局が科学技術庁から文科省に吸収されるときに移ったというかですね、経産省の一部門と合体したものであります。

 その時にかつての原研、あるいは動燃などが原子力機構などをつくっております。私は今後の原子力規制をつくる上で、いわゆる推進する立場の人と遮断するということは極めて重要です。

 と同人にやはり高いレベルの能力を持った人、人材を備えた集団でなければならないと思います。今ご指摘のような問題も、そういう高いレベルの人たちがいる集団であればですね、場合によってはそういうアメリカなどの指摘をもっと積極的に受け止めることができたと思いますが、私はその保安院が断った経緯は昨日の枝野、当時の官房長官の質疑で聞いたのが初めてでありますが、それがもしそうだとしたなら、大きな反省材料だと思います」

 黒川委員長「総理、ちょっと」と言って、30分の時間延長を求める。

 野村委員「ちょっとこちらをご覧頂ければと思いますが、3月11日ですから発災当日なんですが、ちょっと見えなければ、こちらの方にございます」

 スクリーに大きく映し出すが、ハキリとは見えない。保安院作成の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」のことで、以下別のところから記載。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。
      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。
      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
       5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。


 野村委員「これは既に色々なところに掲載されているものですから、ご存じの方も多いと思いますし、総理もこれをご覧になられたと思うんですが、当日22時44分頃に官邸の危機管理センターの方に今後炉が万が一このまま防御できずに事故が進んでいった場合には、予想としてですね、例えば22時に50分の段階では炉心が露出しますよと。

 あるいは24時50分の段階では燃料の溶解が起こりますというようなものです。

 すみません。失礼しました。これ2号機についての話です。今後こういうことになった場合という見立てという名称なんですけども、この種のものは当日、総理のお手元には届いたでしょうか」

 菅仮免「確か、当日こういうものを見せられた覚えがあります。2号機です。当日非常に2号機・1号機、それぞれあったわけですが、その後の展開の中では1号機の方の危機的状況が大きいというふうに、少なくともその時点では焦点が1号機に移ってくるその前の時の、こういう見通しの案がなされたと思います」

 野村委員「この段階でこのような可能性についてどのようにして国民に対して説明をしていこうというふうにお考えになられたのでしょうか。総理のご指示は何か出たんでしょうか」

 菅仮免「私自身は先程来申し上げておりますように色んな方から、あるいはこういうことも含めて、今後の展開について色々な予測を私なりに聞いてはおりましたが。

 しかし現実に、と言いましょうか、当時原子力安全・保安院なり、安全委員会なり、東電の来ている方の話は、こういうプロセスではなく、例えばある時期にではですね、今の認識とは違いますから、当時の認識ですが、水がまだ燃料の上であると、かなり遅い段階までそういう報告を東電なり保安院が私に対してもしておりました。

 そういった意味で当時の国民への発信は官房長官にお願いをしておりましたけども、私の認識は、多分官房長官も同じだと思いますが、事実として分かっていることを隠すことはしないと。

 しかし事実として分からないことまでですね、どこまでどういう表現をするのか、それは官房長官として判断をされてやっておられて、私はそれでよかったと思っています」

 野村委員「昨日の官房長官のお話ですと、官房長官はむしろ情報の収集とか整理、判断、こういったようなところにやや問題があって、その情報をきちんと整理して、確定させたそのプロセスのところ、むしろ問題があり、それを決まったことを対外的に発表されているご自身には、それは致し方がない面があったんだという、そのような趣旨の発言があったように思います。

 そうなりますと、その前提として、どのような事実を国民に伝えるのか、あるいはどこまで可能性の高いもので、どこまで可能性のないものなのかということについてのご判断をされるところか、先ず第一次的に重要だと言うことを(枝野が)昨日おっしゃってらしたと思うんですが、その責任を取られていられた方が総理でしょうか」

 菅仮免「ちょっと質問の趣旨が正確には分かりませんが、少なくとも炉の状態ということのコアのファクト、事実というのはまずは東電、分かるとすれば東電なんです。

 その東電も電源が落ちていますから、例えば圧力計とか水位計とか、あとになってみれば正確でなかった、あるいはそのときも(正確)でなかったんです。

 しかしその時点では多少水位計が動いていましたから、時折りその報告が来るんですよ。その報告を見ると、燃料棒が上にあるというのか、相当なときまできております。

 多分、政府の中間報告にはそれが全部出ていいるはずです。そういう時にですね、そういう事実の報告があったということは、場合によれば言えますけども、いや、この事実は来たけれども、そうではないかもしれないというところまでですね、言う(公表する)のは、それはなかなか、それが官房長官であるのか誰であるのか別として、言えないと思います。

 ですから、そういうことをですね、少なくとも炉の状態ということを把握して判断する、その専門家集団とすれば、それは東電自身と原子力安全・保安院と原子力安全委員会、他にも能力的にはあるでしょう、少なくともそういう所が法律で期待されていた所でありまして、それに添って官房長官が国民に対して、それを踏まえて話をされたと、そう理解をしております」

 野村委員「例えばですね、こういったような事態が起こるかもしれないということをオープンにするということは全く考えてはいなかったということでしょうか。

 つまり今このときにですね、避難が始まっているわけです。この避難、翌朝に亘って避難される方々が出てきています。さらにはその翌朝になりますと、避難の範囲を変えるといったようなことがどんどん起こってまいります。

 そういったようなときに、一応国民に対して可能性は非常に低いけども、、こういったようなリスクもあるので、今回避難をして欲しいというようなことを、ある意味では政府の方針としてお示しになる選択肢もあったんだと思いますが、そのようなことは総理のお考えの中になかったんでしょうか」

 菅仮免「基本的には国民の皆さんにお知らせする、その直接の担当は官房長官にお願いをしておりました。

 多くの場合、官邸ははそういう制度になっておりました。昨日は官房長官であった枝野さんが、それも厳しかったんだと、本来は広報官がいてですね、知らせるのは広報官で、それをちゃんと集めて、ちゃんと誰かに分析させるのが官房長官がやる仕事であるんだけども、両方は厳しかったと、いうふうに言われていました。

 私も同様な認識を持っています。

 私が少なくとも、その5分までですね、予測とかなんなりとか判断をすることは、それは出来ません。やはり専門家、皆さんにこういうことを出してこられた、あるいはこういうことを見て頂いた専門家の皆さんにどうでしょうかと、その中で決まったのが先程のご説明しましたような避難範囲を決めるときには必ず保安院、原子力安全委員会、東電の関係者にも話を聞いて、ほぼ皆さんの提案に添って、決めていったと。

 これを勘案したということです」

 野村委員「避難の範囲をどう決めたかっていうことを聞いているのではなくて、国民に対してどれぐらいのシビアな状態にあるのかということを伝えるという、個々にある部分についての決定は官房長官が行うという形になっていたんでしょうか」

 菅仮免「原則的なことを言えば、事実が事実として確認されていれば、それは伝えるというのは私もそういう方針でしたし、官房長官も同じだったと。

 そういう意味では共通の方針です」

 野村委員「例えばこういう可能性があると。これは全く、例えばですね、炉が制御できなくなったときにはこんなに早いタイミングでこういう事態が起こるということを一方で情報としてあるわけですね。

 さらに総理が今おっしゃられましたように、それを防護できる、そういう動きも他方であると。

 そういうような状況の中で、私共国民はこのことを何も知らされないまま、炉が今どうなっているかということは分からずに、念のための避難ですという情報だけしかいただけなかったわけなんですが、それは私共国民には、こういう情報を直に出すことは危険だと考えて対処されたんでしょうか。

 それとも国民に何か伝えるっていう決めるプロセスがなかっったということなんでしょうか」

 菅仮免「同じ言い方で恐縮ですが、事実として確定していれば、これは伝えます。これは事実として確定したものではなくて、ある解析結果です。

 で、現実にそのとおりになりませんでした。なったかもしれません。

 色々な事例があります。だから、事実として確定したことは伝える。これが私の内閣の原則ですし、そして枝野長官もそれにそってやってくれたと。

 しかし確定してないものまでですね、色んな予測が出ますから、私のところに色んな予測を言ってきた人がたくさんおります。その予測を一つ一つ代わって説明するというのはこれは必ずしもやるべきであるか。あるいはできるかと言われると、それはそういう予測した人が自分としてそういう予測をしたと言われることまで止めませんが、代わってこの予測をですね、説明するというのは、それはそこまでは無理というか、そこまでやるのは必ずしも適切だとは言えないと思えます」

 野村委員「事実っていうのはこうなるのかならないというのが事実ではなくて、これは正式なプロセスの中で出てきた解析結果でありまして、外の誰かが、専門家が言ってですね、総理の所にお届けになってるお話ではないわけですね。

 要するに総理の所にこの情報を届けるべくして届けられた情報というわけですから。今現時点に於いてはこの事実が届いたと、この解析結果が届いたということは事実なんだと思うんです。

 このような解析結果が届けられていますと。だから、最悪の場合はこういうことになると想定しつつ、それを極力起こらないようにするために今こういった対策を採っていますということが伝えられていれば、避難の仕方が随分違ったのではないかという声があるんですが、その点についてはどのようにお考えなんでしょうか」

 菅仮免「ま、そういった問題は是非ですね、本当に皆さん方でよく検証していただきたいと思います。

 おっしゃることは分からないわけではありません。しかし先程来言ってますように色んな予測に対してどういう対応をすべきかという案などは、当時上がってきておりませんでした。

 そいう中でどこまでですね、色んな可能性を示されたものをどこまでどういう形で説明をするのか、それが適切なのか、それについては是非皆さんの方でも検証していただきたいと思います」

 野村委員「ありがとうございます。私の方は以上でさせて貰いますが、ご質問させていただきました趣旨は、総理、まさにご自分がおっしゃられましたように、今回のは原災法が予定していたような災害とは違っていて、対応が非常に難しい複合的な災害であった。あるいは原子力事故であったというご発言であったと思います。

 そこでかなりの工夫をされて、法律にないことを対処されたということであったわけなんですが、そうであればこそ、総理のところでの全体像のデザインの描き方というのが様々な所の、何て言うんでしょう、対策に影響してくることであったかというふうに思うわけなんですが、そういう点で最後に一言お伺いしたいんだけども、今振り返ってみれば、そういうようなところは法制度にきちっと定めておくべきであるとか、あるいは法制度になかったことしても、総理の権限でこういったことはすべきであるというようなことをまさに総理としてご経験された参考人の方から是非一言、ご助言頂ければと思います」

 菅仮免「私は必ずしもこういう問題で総理の権限が弱かったとは思っておりません。原災法の今の法律は場合によっては事業者に対する指示もできるという法律になっておりますので、そのことが弱かったとか、弱過ぎるたということは思っておりません。

 それよりも本来原災法のもとで、本部長の元の事務局を務める原子力安全・保安院が、大体が総理とか大臣は原子力の専門家がなるポストでは一般的にはありませんから、そうではない人がなることが前提として、きちっとした状況把握、きちっとした対策案、そういうものを提示できるような組織でなければならないし、それが不十分だったと。

 ですから、今後、原子力規制庁なり、あるいは委員会を今後国会で議論いたしますけれども、そういう時にはしっかりとした、シビアアクシデントに対しても対応できる能力を持った、そういう組織が必要だと。そのことはおっしゃるとおりだと思っています

 黒川委員長「確認です。皆さん気にしているのは撤退の話だったんですが、先程の話を繰返しますので、間違っていたらおっしゃってください。

 14日の夕方から夜にかけてのことですが、細野さんが来られまして、そこで吉田さんとの電話をつないで、吉田さんと直接話したのは2回だとおっしゃいましたよね。で、14日の夕方から夜だったと思うだけどというお話でしたが、細野補佐官がちょうど吉田さんと電話としていて、『状況はどうだ』と。『非常に厳しい』と。だけど、『まだやれるぞ』というメッセージを、そのまま電話をお渡しされてお話されたということでしたね。

 14日の多分夕方から夜の頃だと仰ったような気がするけども」

 菅仮免「細野補佐官に確かめた中で私の記憶は率直に言ってそんなに正確に残っているわけではありませんが、何らかの話をしたという記憶の中で、細野補佐官に、当時の補佐官に聞きましたら、2度電話が自分にかかって、1度は大変厳しいと。そんときは水が入らない状況だったと。

 夜頃に、その後、ガス欠が原因で入り出したと。その時点で私に代わって、『まだやれます』と。そういう話です」

 黒川委員長「その後それから数時間かどうか分かりませんが、15日の午前3時頃、海江田大臣に起こされたという話でしたね。撤退の問題だという時だったと思いますが。

 それでよろしいですね。それで。『撤退はないよね』と総理は言われまして、そのあとで清水社長が来られまして、『撤退はないよね』という話をしたら、『ハイ、分かりました』と言うんで、ホットしたということでよろしいですね」

 菅仮免「ホッとしたというのは先程申し上げましたが、少なくとも、『そうじゃない』と言われればですね、私としてはより強くですね、やあ、それは大変かもしれないけども、その後東電で話したようなことを話さなければならなかったかもしれませんが、ある意味で素直にというか、すぐに言われましたので、ま、ちょっと拍子抜けと言いましょうか、ちょっとホッとしたということです」

 黒川委員長「その前に吉田所長から渡された電話で聞いたことが背景にあったと思いますが、そういうことでよろしいでしょうか」

  菅仮免「一つの背景です」

 黒川委員長「そうですよね。それから東電に統合本部をつくろうということで行かれたということで、よろしいですか」

 菅仮免「そうです」

 黒川委員長「ハイ。ありがとうございます」

 次は崎山比早子委員(元放射線医学総合研究所主任研究官)
 
 崎山委員「委員の崎山です。よろしくお願いします。学校の20ミリシーベルトの問題についてちょっとお伺いしたいんですが、4月の初めにですね、文部科学省から原子力安全委員会の方に小学校の再開に当っての安全についての助言依頼があったそうです。3回程ありました。

 そのときに原子力安全委員会は今週の被曝限度は1年間に1ミリシーベルトだと、その都度回答していたそうです。

 結局それからですね、4月の19日に文科省、結局20ミリシーベルトになったわけですけども、その間(かん)、どういうことがあったか、ご存知でしょうか」

 菅仮免「詳細な遣り取りは私自身は全部知りません。ただ色んな議論があったということはよく聞いております。

 で、最終的には原子力安全委員会を中心にしたお話が、あるいは参与も加わって頂いたお話の中で、多少色々意見が別れたようですけども、原子力安全委員会としてですね、確か正式にそういう数字を提示されたと、そのように理解しております」

 崎山委員「原子力安全委員会の方は20ミリシーベルトということは言っていないそうなんですけども、その間にですね、官房長官ですか、福山副長官が文部科学省とそれから、原子力安全委員会と意見の摺り合わせをするようにという指示を出されているようですけども、それはご存知でしょうか」

 菅仮免「事柄一つ一つを知っているわけではありません。ただ、多分文部科学省というのは子どもということなのかですね、モニタリングの担当でもありますので、そういう意味なのか、そこは今ポッと聞かれても分かりませんが、そういうモニタリングを担当している文科省、その件では担当部署でありますので、担当部署が複数に跨る場合はそれぞれの担当部署同士でよく協議をしてくれと、そういう言い方をするのが、官房長官とか官房副長官とか、よくそういう調整をするのは私も承知しております」

 横山禎徳(社会システムデザイナー)

 横山委員「それはですね、基本的に学校を再開していいのかどうかということで、モニタリングとは全然関係のないテーマでした。

 で、文科省と安全委員会との遣り取りがあって、安全委員会は常にワンクロシーベルトと言う、ワンミリシーベルトと言う。結果的には文科省の20ミリシーベルトが出たということです。

 その間どういう話し合いがあったかということをご質問しているわけです」

 菅仮免「先程申し上げましたようにこの件については相当議論があったという記憶はしております。そいう中で、今のお話だと、原子力安全委員会の意見ではないというように言われますが、少なくとも私が本部長として決定するときに原子力安全委員会の助言を常に受けて、私の知る限りそれと異なった、例えば避難距離、避難範囲なんかはやった覚えはありません。

 ですから、そのときはかなり激しい議論で、あるいは長官、副長官が直接担当していたかもしれませんが、私の記憶では、そういう専門家の皆さんを含めてですね、少数意見はあったようですけども、基本的にはそれでいいということになったと。

 そういう理解でありまして、一方的に文科省が決めたということは当時の私の認識では、そういう認識はありません」

 《2012年5月28日菅国会事故調参考人証言全文(5)》に続く


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