野田首相の政治の「最大の拘束力は国民のみなさんが見ているということ」の発言に見る有言不実行性

2011-12-07 10:08:52 | Weblog

 9時に寝て、朝2時か3時に起床する都合から、夜9時以降の見たいテレビ番組は大体は録画して、後日見ることにしている。洋画やバラエティ番組のファンでもあるから、録り溜めが重なって、後日が1週間後となる場合もある。

 2、3日に前に11月28日(2011年)朝日テレビ放送「ビートたけしのTVタックル」の録画を見ていたら、11月20日~23日開催の政策提言型事業仕分けに法的拘束力がない点についての野田首相の発言を伝えていた。

 野田首相「最大の拘束力は国民のみなさんが見ているということ。これが最大の拘束力ではないでしょうか」

 この発言に奇異な感じを受けた。野田首相は、他の首相もそうだが、国民の監視を政治拘束力としていないからだ。特に事業仕分けで国民監視のもと一旦は建設凍結と決めた朝霞公務員宿舎建設再開決定は、国民監視の政治拘束力無効を証明して余りある。

 そのいけ図々しい忘却に、よく言うよ、と思った。

 パソコンに保存してあるWeb記事を検索してみたが、見当たらなかったから、このような発言を伝えた記事そのものに気づかなかったらしい。

 事業仕分けに限らない、政治一般に解釈を敷衍すると、野田首相は政治は国民の監視を拘束力として動くと言った。

 政治に対する国民の監視は世論調査の数値に反映され、目に見える具体的な数値の形を取る。

 世論調査以外には各選挙で票の形を取って反映される。

 だがである。世論調査に於ける内閣支持率が低く、首相の指導力や政策実行能力に評価を与えない場合、国民の監視は政治に対してさしたる拘束力を有していないことの証明としかならない。

 この国民監視の政治に対する非有効性は野田首相の上記言葉の信憑性を真っ向から否定する。

 「最大の拘束力は国民のみなさんが見ているということ。これが最大の拘束力ではないでしょうか」が実体持つ言葉であるなら、既成政党不信・政治不信はこの世に存在しない状況となる。

 いわば野田首相は政治の実情に反することを言った。いや、このように言えるのは合理的は認識能力を欠くからだろう。

 改めてインターネット上から、このことを伝えている記事を検索してみた。《首相、仕分け議論を視察 提言の実現に意欲》日テレNEWS24/2011年11月22日 18:45)

 政策提言型事業仕分け3日目の11月22日午後、野田首相が仕分けの会場を視察。視察終了後、記者団に〈提言の実現に意欲を示した〉と記事は書いている。

 野田首相「外部の目、公開性、そういう中で議論するということは大事だということをあらためて実感しました」

 記者「仕分けには法的拘束力がないが?」

 野田首相「最大の拘束力は国民の皆さまが見ていること。最大の拘束力ではないでしょうか。国民の皆さんの前で議論したこと、出てきた方向性は、政府がしっかり受けとめて、特に予算編成に反映していくことは、あらためて私は各閣僚には指示したい」

 「国民の皆さんの前で議論」は何も事業仕分けだけではない。NHKテレビが国会中継で国会議員と首相及びそれ以下の閣僚との議論を国民の前で展開するし、衆議院、参議院とも国会中継の動画を配信している。

 また新聞、テレビが日々の政治活動を伝えている。様々なメディアを通して国民は政治を監視しているが、政治を律する拘束力足り得てはいない。

 国民監視の政治拘束力に反して政治は反乱しているかに見える。

 記事は結びで、〈仕分けの結果を自らのリーダーシップで形にしていけるか、野田首相の覚悟と実行力が問われることになる。〉と書いているが、政治が国民の監視を政治拘束力としていない以上、期待できない「野田首相の覚悟と実行力」ということになる。

 このブログ記事冒頭で、〈特に事業仕分けで国民監視のもと一旦は建設凍結と決めた朝霞公務員宿舎建設再開決定は、国民監視の政治拘束力無効を証明して余りある。〉と書いたが、建設再開の判を押したのは当時の野田財務相自身なのだから、自分から国民監視の政治拘束力を無効にしたのである。

 自分で朝霞公務員宿舎建設再開の判を押していながら、「最大の拘束力は国民の皆さまが見ていること。最大の拘束力ではないでしょうか」と言える無神経・無感覚、あるいは無認識は、いつも浮かべているあの穏やかな笑顔からは想像できない図々しさがある。

 9月26日(2011年)の衆院予算委員会――

 《朝霞公務員宿舎 平成23年9月26日 衆議院予算委員会 塩崎恭久氏》国会速報さんの「国会審議速報」:イザ!/2011/09/28 19:54 )
  
 塩崎恭久自民党議員「総理、9月1日に、財務大臣最後の日ですよね、一度凍結された、仕分けで凍結された朝霞宿舎の建設にゴーサインを出した。これはあなただということでよろしいですね。総理、総理に、総理がゴーサインを出したということでよろしいですねと聞いているんです」

 野田首相「朝霞の公務員宿舎の件でございますけれども、えー、これはですね――」

 塩崎恭久議員(椅子に座ったまま)「イエスかノーかで結構ですから」

 野田首相「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」

 塩崎恭久議員(椅子に座ったまま)「ゴーサイン出したのあなたですね、という質問ですから」

 野田首相「私を含めて政務三役で決定をさせていただいたのは事実でございます」

 この政務三役決定は2009年11月の第一回事業仕分けで公務員宿舎建設に関して示した結論に従った決定である。《行政刷新会議「事業仕分け」》

 (公務員宿舎建設に関しては)〈ほぼ全員一致して、継続案件で止められるもの、少なくとも土台程度しか出来ていない朝霞等のものも含めて凍結し、政務三役の全体的な議論を待つとの意見となった。その中においては、本当に宿舎の必要な方の数はどうなのかをしっかりと踏まえたうえで、結論を出して頂きたいと考えている。

 よって、当ワーキンググループの結論としては、全体的な議論が行なわれるまでの間、未だ大きく進んでいない継続案件を含めて、凍結とする。〉・・・・・

 要するに建設凍結は「全体的な議論が行なわれるまでの間」であって、建設是非の決定は、「政務三役の全体的な議論を待つ」という解釈となる。

 いわば建設再開か建設中止かの最終決定は政務三役の議論次第だということになる。

 この結論を踏まえた野田首相の「私を含めて政務三役で決定をさせていただいた」ということだから、約束違いとは言えない。

 但し、建設凍結は事業仕分けと大々的に銘打って国民監視のもと行われた。当然、建設再開か建設中止かの最終決定にしても、野田首相が政治拘束力を持つと言っている国民監視のもと、行われて然るべきだが、政務三役のみで行った。主役が政務三役ではなく、財務省なのは誰の目にも明らかだが。

 だとしても、野田首相は国民監視が政治拘束力を約束すると言いながら、その国民監視を無視したばかりか、無視することによって政治拘束力を無効とした。

 この点に約束違反がある。言っていることとやることの違い――有言不実行は目に余るものがある。

 あるいは有言不実行を隠して、実際の姿勢とは異なる立派なことを口にする。

 このような姿勢を以って、「誠心誠意」をモットーとしている。

 自身が判を押した朝霞公務員宿舎凍結解除・建設再開は世論の批判に負けて再度建設凍結となった。中止の見込みだという。

 だが、こういった経緯があったことは野田首相の発言のいい加減さと共に記憶しておくべだろう。

 多くの政治家が政治家の言葉は重いと言う。誰の言葉が重いか、軽いか見極めなければならない。見極めて言葉の軽い政治家を順次排除していかなければ、いつまで経っても政治不信の病根を断つことはできまい。

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