金正日死去に伴う野田内閣の初動対応に批判が集中している。
先ず野田首相の対応。北朝鮮・朝鮮中央テレビが12月19日(2011年)午前に「正午から特別放送がある」と予告放送していたことを政府は確認していながら、野田首相は予定していた街頭演説に出かけ、藤村官房長官からの電話でUターンして戻ってきた。
このことを《重大事予想の分析あったのに、街頭演説に?》(YOMIURI ONLINE/2011年12月21日00時00分)から見てみる。
政府内重大事を予想する分析「特別放送は、金日成主席死去の時しか使われていない特別な言葉」
いわば金日成主席死去に匹敵する重大事の放送ではないかと予想・分析した。
連想されることは金正日の死か、その三男の正恩の死であろう。例え信じがたいことであっても、予想・分析の選択肢に入れて置かなければならなかった。
その死因であるが、病死、事故死等考えることができる。病死ならまだしも、事故死の場合、想定としてはクーデーターも選択肢に入れなければならないはずだ。決してゼロだと、その可能性を否定することはできない。
クーデーターであった場合、鎮圧したことによって放送の條件が整う。反乱軍との間に戦闘が継続中である場合は、例え金正日が死のうと金正恩が死のうと、直ちに公表という可能性は考えられない。
クーデター鎮圧後に死を公表する場合でも、クーデターの存在を公表することはない。公表した場合、体制の綻びを内外に宣伝することになる。死因をすり替えて伝えることになるだろう。
これらの予想は上記記事を読んでから考えた後付けだが、内閣は後付けであってはならないはずだ。韓国の元大統領朴正煕は晩餐の席で1979年10月26日、側近のKCIA部長金載圭によって射殺されている。危機管理の可能性からは決して排除できないはずだ。
2010年11月23日の北朝鮮による韓国領延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件は危機管理上、最悪韓国と北朝鮮の間の軍事衝突、その果ての全面戦争まで予測・分析して、万が一に備えなければならなかったはずだ。
危機管理はまた、同種の過去の事例を学習し、参考とする。だからこそ、政府内で「特別放送は、金日成主席死去の時しか使われていない特別な言葉」であり、何か重大事の放送ではないかと予想・分析できた。
だが、野田首相は予定していた街頭演説の現場に車で向かった。
上記記事は、〈同対策本部で「金日成主席死去に匹敵する事態と認識しなかったのか」と問われた警察庁幹部は「左様です」と述べ、政府内で情報が共有されていなかったことを認めた。〉と書いているが、「同対策本部」の意味が分からない。
他の記事を参考にすると、どうも20日開催の公明党北朝鮮問題対策本部のことらしい。警察庁幹部を呼んで、事実関係の究明を図ったということなのだろう。
だが、警察庁幹部の「左様です」という言葉は異様に響く。「認識しなかった」と明確に答えると、自らの学習能力の程度の低さを明確、かつストレートに認めることになるために責任回避意識が作動して、直接的な否定ではなく、馬鹿丁寧な「左様です」という間接的否定言葉となったのかもしれない。
「お前はバカか」と問われて、「バカです」と答えたなら、ストレートにバカを認めることになるが、「そうかも知れません」と答えたなら、バカであることを相当に和らげることができる。
北朝鮮の韓国領延坪島砲撃事件でも菅内閣の危機管理が野党に問われた。2010年11月23日14時34分の北朝鮮砲撃開始に対して菅内閣は46分後の15時20分首相官邸・危機管理センター設置であった。
そして菅前首相の全省庁に対する情報収集と態勢準備指示は砲撃から2時間26分後の17時00分。
さらにその3時間45分後の20時45分になってから、官邸で緊急閣僚会議を開催。
勿論、軍事衝突も全面戦争も起きなかった。だからと言って、危機管理の備えをしなくてもいいということにはならない。殊更断るまでもなく、危機管理とは将来的結果に対する備えではなく、将来、起きうるかもしれないと想定した事態に対する備えだからだ。
野田首相が危機管理を疎かにしてまで街頭演説に拘ったのは12月10日前後の各マスコミの世論調査の影響があったに違いない。軒並み30%台にまで支持率を下げ、不支持の理由は「指導力がない」、「説明不足」が上位を占めた。
この2つの要素は相互に関連し合っている。指導力にしても説明にしても言葉を武器とする説得力にかかっているからだ。言葉を武器とし得ない人間が指導力にしても説明能力にしても他よりも秀でるということはないはずだ。
産経・FNN世論調査――
《国民へのメッセージ発信》
評価する ――21.7%
評価しない――71.7%
読売新聞社世論調査――
首相の国民への説明。
「十分に説明している」――10%
「そうは思わない」 ――85%
朝日新聞社世論調査――
「首相として何がしたいのか、あなたには伝わってきますか」
「伝わってこない」――71%
ぶら下がり記者会見に応じないことも「説明不足」の批判を与える材料となっていた。
内閣発足からたった3カ月目にしてのこのような無残な内閣支持率を受けて、「昭和61年の10月から、毎朝街頭に立つようになりました。津田沼駅、船橋駅。ずうっと続けてまいりました。大臣になる前の昨年(2010年)の6月まで、4半世紀続けてきた」と言っているお得意の街頭演説に説明不足挽回を賭けに違いない。
そこに意識を集中させるあまり、肝心の危機管理を失念したとしたら、指導者としての総合的・全体的な判断能力を欠いていることになる。
この街頭演説は消費増税の理解求める目的があったという。いわば消費税増税に対する説明不足を補おうとした。
《首相 消費増税理解求め街頭へ》(NHK NEWS WEB/2011年12月16日 6時21分)
〈野田内閣を巡っては、各種の世論調査で内閣支持率が低下して不支持が支持を上回る状況となっており、関係者からは野田総理大臣の発信力不足が影響しているという指摘も出ています。こうしたなか、野田総理大臣は、社会保障と税の一体改革を実現するためには、国民の理解が欠かせないとして、来週からみずからが街頭に立ち、国民に直接訴えることになりました。野田総理大臣としては、街頭演説で、徹底した行財政改革に取り組むことや消費税の増税分は社会保障の機能強化に充てることなどを説明したいとしており、こうした背景には、一体改革への反対論や慎重論が根強い党内に不退転の決意をアピールするねらいもあるものとみられます。〉云々――
税をどう扱うかも国家経営の危機管理に相当する。だが、税の必要性の説明と金正日死去に際して想定しなければならない対外危機管理は緊急性に於いて明らかに異なり、同次元で扱っていい危機管理ではないはずだ。
もし記事に書いてあるような目的からの街頭演説だったとするなら、野田首相は大いなる勘違いを犯していることになる。
増税の必要性は菅前首相も訴えてきたことで、既に説明済みである。現在必要としているのは必要性に対する説明ではなく、中身に対する説明であろう。中身の説明は具体像を確立して初めて可能となる。
増税によって予想される税収でどのような政策にどう使うか、その結果、財政再建はどうのように進むのか、国民生活はどのような利便性を獲得し得るのか、生活に打撃を受ける低所得層対策はどのような内容のものとするのか、少しの負担は避けられないが、将来、年金や医療給付で安心を得ることができると増税のしっかりとした全体的・総合的な具体像を示すことが現在必要とされている説明のはずだが、その具体像を確立もせずに、ただ単に〈徹底した行財政改革に取り組むことや消費税の増税分は社会保障の機能強化に充てることなどを説明〉されても、抽象過ぎて、国民は具体像を描くことはできないはずだ。
具体像の確立が何よりの説明となるにも関わらず、当然具体像の確率とその説明を先行させるべきを、2013年10月に現在の5%+3%の8%、2015年4月に8%+2%の10%だと増税のスケジュールを先行させる。
あるいは増税法案を成立させてから、民意を問う選挙を行う、いや、法案成立前に選挙を行うべきだと、中身の具体像を知らせないうちから、賛成反対を問うスケジュールを立てている。
いわば野田首相は何に対して説明不足なのか、大いなる勘違いを犯している。
当然、問われている説明責任まで間違えることになる。
優先させるべき危機管理を間違えたばかりか、必要とされる説明責任の対象まで間違えている。 |