野田首相の現実認識を欠いた言葉を知らない「原発事故収束」宣言

2011-12-17 09:40:49 | Weblog

 昨日(2011年12月16日)夕方6時から野田首相が記者会見、「ステップ2」完了と「原発事故収束」宣言を行った。

 《野田首相記者会見》 

 野田首相「本日、私が本部長を務める原子力災害対策本部を開催をし、原子炉が冷温停止状態に達し発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる、との確認を行いました。これによって、事故収束に向けた道筋のステップ2が完了したことをここに宣言をいたします」

 勝利を伝えるファンファーレを胸に響かせながら、どうだ、この成果はと、力強い言葉で宣したように聞こえる。

 この宣言に内外から様々に批判が起きているが、菅首相が「自分は原子力に強い」と言ったように強くはなく、その逆でからきし弱く、専門的知識のカケラもないから、「ステップ2」達成が妥当かどうかは分からない。

 だが、いくら原子力にシロウトであっても、「原発事故収束」宣言はいくら何でも現実認識を欠いた言葉知らずの宣言ではないだろうか。

 譬え話で説明すると、高速道路で自動車が速度制限を大きく超えるスピードを出して運転を誤り、中央分離帯に激突、車体が跳ね返って後続車に側面から衝突、後続車は避けようとして左に急ハンドルを切ったことと衝突で押し出された形になったことで側壁に激突、大破。

 事故を起こした車の運転者も同乗者も即死、事故を起こされた車の運転者と同乗者は瀕死の重傷を負った。

 高速警察隊の警察官と救急車が来て、救急車は死者と負傷者を運び去り、警察官は事故調査をし、調査終了後、高速道路会社の安全パトロール車が大破した車2台と散乱した破損物を回収、道路を清掃して、高速道路自体の原状回復を行なってすべてが引き上げる。

 これを以て事故は収束したと言えるだろうか。

 中央分離帯と側壁のそれぞれの車の激突箇所の破損は事故の影響であって、その修理が終わらないことには原状回復と言えず、また事故に巻き込まれた後続車の運転者と同乗者が負った重症も事故の影響であって、その怪我が治らない限り、原状回復とは言えず、事故は収束したと看做すことはできないはずだ。

 また、後続車の運転者か同乗者が不治の障害を負った場合、彼らにとって事故は収束したとは言えず、事故から受けた重い傷を心身共に永遠に負う可能性も否定できない。 

 野田首相の言っている「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる」は車を片付けた程度のことで、放射能放出も住民避難も風評被害も原発事故の内、原発がもたらした被害である。除染を完全に果たし、住民がそれぞれの帰宅を実現させ、風狂被害も収まって初めて事故収束と言えるはずである。

 記者会見で「原発の外の被災地域では、いまだに事故の影響が強く残されており、本格的な除染、瓦礫の処理、避難されている方々のご帰宅など、まだまだ多くの課題が残っていることは事実であります」とは言っているが、事故収束に於ける「課題が残っている」以上、各原子炉に限った「事故収束」であっも、未だ道半ばとすべきで、そうしなかったのは被災者に対する配慮が「正心誠意」とまでいっていなかった証拠であろう。

 「東電HP」によると、東電敷地内の観測点の最も高い放射線放出量は12月16日時点の現在でも1時間当たり300μSv(マイクロシーベルト)となっている。

 レントゲン1枚の瞬間的被曝量が約500μSvだと言うから、最も高い観測点に2時間も立っていたら、レントゲン分の被曝量を超えてしまう。

 要するに防護服なしでは生活はできない。

 放射能が依然として漏出しているばかりか政府は8月27日に年間被曝線量が200ミリシーベルトの推定場所では線量の自然減で試算した場合、避難住民が帰宅可能となるには20年以上かかる可能性があるとの結果を公表している。

 除染することによって帰宅可能期間はより短くなるが、依然として放出が続いている放射線量が除染を相殺して、除染通りにいかない危険性を横たえさせている。

 20年が半分になったとしても、10年。完全な帰宅保証のない10年である。10年は待たされると覚悟を見定めた多くの被災者、あるいは帰ることはできないと諦めて、他処の土地を第二のスタート地点と決め、既に実行に移したか、移す予定の、帰宅不可能を永遠と見定めた多くの被災者の存在を予測可能としたとき、野田首相の「今後とも住み慣れた故郷を離れざるを得ない皆さまが、一日も早くご自宅にお戻りになり生活を再建できるよう、政府一丸となって取り組みます」の「一日も早く」は、10年に対して「一日も早く」となり、あるいは帰宅への諦めに対して「一日も早く」となって、無力感、脱力感の類に誘われることはあっても、希望に胸を膨らますことは決してない、あまりにも見え透いた事務的、機械的言葉となる。

 しかも、一方で「原発事故収束」宣言を発しながらの「一日も早く」の当てのなさであって、この当てのなさは逆に多くの被災者をして「原発事故収束」宣言を虚しく感じさせるに違いない。

 だからこそ、佐藤雄平福島知事は野田首相の「原発事故収束」宣言に対して「事故は収束していない」(asahi.com)と批判した。

 避難も放射能被曝も除染も、農作物の風評被害も、その他すべてを原発事故の被害としているからだ。被災自治体の長としても「原発事故収束」という気持にはなれないだろう。

 だが、野田首相は高らかに「原発事故収束」宣言を発した。発することができた。

 野田首相は「原発事故収束」宣言が政府と被災自治体との間に認識の乖離を生じせしめると前以て気づくことができなかった。

 現実認識を欠いているからこそであり、言葉を知らないからだろう。言葉を知らないとは、現実認識を欠いていることが災いして、頭に描いた情報自体を間違え、間違えたままの情報を発信する言葉の無知を言う。

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