オリビア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John)は 1948年9月26日 のイギリス生まれ、オーストラリア育ちの歌手で女優です。(ちなみに、私も 1948年生まれの同い年です)
1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博しました。現在もレコーディング、コンサート、自社ブランドのオーナーなど、多方面で活躍しています。
彼女は、クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続きましたが、1970年にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』で映画主演し、歌も披露しています。
1971年に『イフ・ノット・フォー・ユー』のヒットしによりスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めました。
1974年には、シングル『愛の告白』が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝きました。その後、1975年にアメリカに移住し『そよ風の誘惑』 などのヒットを連発しています。
女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演しています。
1981年にはディスコ調の『フィジカル』をリリース。全米でビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続一位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録しました。(この曲で私はオリビアのファンになりました)
その後、結婚、出産、乳癌手術などを経て、環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめました。
1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行い、2000年のシドニーオリンピック開会式では「Dare To Dream」を披露しました。
現在来日中のオリビア・ニュートン・ジョンは、10月12日に東京・銀座山野楽器本店で「オリビア・ニュートン・ジョン 40/40~ベスト・セレクション」発売記念発表会を開催し、オリビアの一人娘であるクロエ・ラタンジーも出演しています。
そんなオリビア・ニュートン・ジョンが11月に来日公演を行います。
ぜひ見に行きたいと思います。
<オリビア・ニュートン・ジョン来日公演>
11/25(木)東京・Bunkamura オーチャードホール
11/26(金)東京・Bunkamura オーチャードホール
11/28(日)東京・JCBホール
11/30(火)金沢・本多の森ホール
12/2(木)名古屋・中京大学文化市民会館 オーロラホール
12/3(金)大阪・アルカイックホール
30歳頃まで浅草で会社勤めをしていた関係で、「神谷バー」の電氣ブランは仕事帰りに、同僚とよく飲みに行きました。
あたたかみのある琥珀色で、ほんのりとした甘味がありますが、ストレートではアルコール度数が高すぎるので、生ビールをチェイサーにして飲んでいました。(これを“カミヤ流”と言うそうです)
現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度です。
むかしは、浅草六区で映画を見て、帰りに「神谷バー」でデンキブランを飲む、それが庶民にとっての最高の楽しみだったのでしょう。
こうして書いているうちに、当時のことが思い出され、無性に電氣ブランが飲みたくなりました。(このブログを書き終えたら買いに行こうと思います)
なお、「神谷バー」のホームページに、電氣ブランの歴史が掲載されています。
柔道漫画『YAWARA!』の主人公の名前を取って、柔(ヤワラ)ちゃんの愛称で呼ばれている参議院議員の谷亮子さんが柔道の第一線から退くことを表明しました。
世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、オリンピックでは金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個と、出場した5大会全てでメダルを獲得し、女子柔道の普及に大きく貢献しました。
2010年3月31日付でトヨタ自動車を退職。2010年5月10日、第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例区公認候補として出馬表明を示し民主党2位となる352,594票を獲得して初当選を果たしました。
柔道については現役続行を宣言し、2012年のロンドンオリンピックで金メダルを目指す意欲を示しましたが、ついに引退表明するに至りました。
8月から練習を再開し、公務と子育ての合間を縫ってけいこを続けていましたが、2年間のブランクは大きかったということでしょうか。
今後は、議員活動に全力投球してくれることでしょう。
天正12年(1584年)本堂再建の記録が残り、現在の本殿は明治13年に造営されたもの。神殿には勝海舟が明治初めに揮毫した「白幡神社」の社額が飾られています。
明治4年に菅原道真を合祀して「天」の字が加わり白幡天神社の名称になりました。
境内の広さはおよそ2,000坪、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、安らぎの空間を残しています。
御祭神 ~ 武内宿禰(タケノウチノスクネ)、菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)
後神徳 ~ 学問の神、殖産興業の守護、育児の守神、縁結びの神






なお、秋の例大祭が下記の日程で執り行われます。
10月17日(日) 奉納生花展
御輿渡御 正午(集合)、十二時半(お祓い)、午後1時(出発)
奉納演芸 午後6時~8時半(雨天の場合は中止)
福引券配布 午後8時半(雨天の場合は6時)
10月18日(月) 奉納生花展
地元産農産物販売 午後1時~
奉納演芸 午後6時~8時半(雨天の場合は中止)
福引抽選会 午後8時半頃(雨天の場合は6時)
10月19日(火) 御神事 午前10時
(白幡天神社の住所) : 市川市菅野1-15-2 TEL 047-322-1798
「大沢親分」こと、大沢啓二さんが2010年10月7日、胆嚢癌のため亡くなりました。 1932年3月14日生まれ。神奈川県出身。 神奈川商工高校から立教大学に入学し、3年生の時に、後に「立教三羽烏」と呼ばれる長嶋茂雄・杉浦忠・本屋敷錦吾が入学しています。 大学卒業後の1956年、南海ホークスに入団。守備の名手として活躍しました。 1965年、東京オリオンズに移籍し、現役引退の翌1966年より、オリオンズのコーチ・二軍監督を歴任し、1971年、濃人渉監督の解任に伴い、シーズン途中からロッテオリオンズ2代目監督に就任しましたが翌年退団しています。 退団後、RFラジオ日本の野球解説者を経て、1976年から日本ハム・ファイターズの3代目監督に就任し、1981年にはチームを初のパ・リーグ優勝に導いています。 1984年に監督を辞任後、球団常務とな、1993年に再びファイターズの監督を務めました。 監督通算725勝は歴代17位。監督時の背番号86番は、準永久欠番となっています。 その後は野球解説者として活躍しました。 また、社団法人全国野球振興会理事長を務め、OBを中心とした活動に積極的で、マスターズリーグを発案するなど野球の普及にも尽力をつくし、モルツ球団の監督を務めるかたわら、TBSサンデーモーニング内の「週刊御意見番」のコーナーで、御意見番として張本勲氏と共に人気を博しました。 なお、タレントの大沢あかねさんは、大沢親分のお孫さんです。 謹んでご冥福をお祈りいたします。