聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★必ず来るもの・人間の死。

2004-12-13 | 「死後の二つの行き先」

           

 今日は、誰もがあまり考えたくない問題に、あえて触れてみたいと思います。人生において、すべての人に確実に来るものは何でしょうか。それは、非常に現実的な問題であり、「死」の問題です。それは、どなたも考えたくないことであり、できるだけそのことを話題にしたり、考えるのを避けようとするのが常ではないかと思います。

 多くの人は、「死後のことは分からない」と言いながらも、だれでも「死にたくない」と願うのです。「生への執着は生ける者の本能である」と言えばもっともらしく聞こえますが、その不可解な死に怯えながら、逃げ回っているのが人間の本当の姿でないでしょうか。病院に「4号室」がないのも「死」に通じてると考えるからです。 

 私は近くにガレージを借りていますが、そこには「⑤」という番号がついています。
①②③と続いて、④がなく、私のガレージが⑤番になっています。ホテルの部屋なども「4」のつく部屋がないところが多いと思います。日本人は「4」の数字を忌み嫌うのです。とにかく、「死」は恐ろしく、その「死」ということばすら避けたいとの思いがあるわけですね。

 この切なる願いにも拘わらず、死はすべての人に迫っています。金持ちも貧乏人も、有名人も無名な人も、今健康な人も病人も、それらのことに関係なく、「死」はすべての人に平等に襲って来るのです。そして、死後に何があるか分からないので、尚更、不気味であります。「自分は若いから、まだ大丈夫だ‥‥」と、お考えの方もおられると思いますが、必ずしも、年配者が先に逝くとは限らないのですね。また、健康な人が病弱な人より先に逝くとは限りません。私の母は昔から病弱でしたが、元気だった父が亡くなってから15年経った今(89歳)も生きています。

 先日、私が住んでいる市の31歳の青年がバイクに乗って走っていたのですが、交差点で一時停止を怠って乗用車と衝突、即死しました。私の息子と同じ年の前途有為の青年でした。会ったことはありませんが、電話で話したことがあったので、新聞で事故死のニュースを見て驚いた次第です。

 「人間というのは、みな細い糸にぶら下がって生きているようなものだ」と、言った人がいますが、その糸がいつ切れるかはだれもわからないのです。人は、若く健康な人も死ぬ時はあっけなく死んでしまいます。ですから、死の問題の解決なくして、人生の真の問題の解決はなく、人生には本当の意味で希望がないことになります。最新の医療でさえ、ただの延命の手段の一つであるなら、根本的な解決にはなりません。

 人間は、いくら考えても、死後のことを知ることはできませんが、神のみことばである聖書は、人間の死後について、次のように厳粛に告げています。

●「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9:27)。

●「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 海はその 中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第 二の死である。 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 」(ヨハネ黙示録20:11~15)。


 ここで、話を閉じてしまうと、みなさんにただ恐怖感を与えるだけで終わってしまうことになります。しかし、みなさん、聖書は私たちに真の希望を与える書物であり、聖書には、この正義の神の恐ろしい「最後の審判」から救われる道が書かれています。それが「福音」(God's Word)( good news )(gospel) であり、「良きおとずれ」なのです。神の御子イエス・キリストが十字架で、人類の罪の身代わりに死なれ、三日目に復活されたのは、そのためなのです。次のような幸いな聖書のことばがあります。

●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)。

●「あなたがたは、恵みのゆえに信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ書2:8)


 神が遣わされた救い主イエス・キリストを自分の個人的な救い主として信じ受け入れる時に、だれでも罪赦されて、永遠のいのちを受けることができるのです。そして、死後にも天国に入ることが出来ます。是非、あなたも、この神様からのすばらしい賜物をご自分のものとなさってくださいますように。人の死後は天国と火の池(lake of fire)の二つの世界があり、それは永遠に続くのです。決して、人は死んで無になるのではありません。

           


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