聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★不思議な死の大行進

2006-08-05 | 「死後の二つの行き先」
 
    

●「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、それを見出す者はまれです。」(マタイの福音書7:13、14)。

 大分前に何かに書いてあった話を思い出したのですが、アフリカ南部のカラハリ砂漠に、スプリング・バックというカモシカが住んでいるそうです。普通は5、6頭~2、30頭の小さな群れをつくっていますが、ある日、突然、一ヶ所に集まり始めやがて数万頭の大群になることがあるというのです。すると、リーダー格の大きな鹿が先頭に立って、ゆっくり歩き始めるのです。ぎっしりと体を寄せ合ったカモシカたちはそのあとに従って徐々に前に進み始めます。そして、途中にある草を食べながら進むのです。おなかのすいたカモシカたちはわれ先に前の方にもぐり込み草にありつこうとしますが、決して群れを離れようとはしません。臆病なシカたちは天敵の襲撃を恐れて、群れの中にもぐり込みながら、他のシカよりも前に出ようとするのです。

 だんだんせり合いが激しくなり、仲間を押しのけながら進みます。そうやってスピードがついてしまうともう止まることができません。前のシカが走れば、後のシカが遅れまいと追いかける。すると前のシカはさらに速く走ろうとする、といったぐあいに加速度がつき、ついに何万頭という群れが全速力で走り出すのです。リーダー格のシカは、初めは新しい場所へ仲間を連れて行くつもりだったのでしょうが、やがて目的をすっかり忘れて、ただ走ることしか考えずに、ひたすら前へ前へと突っ走ります。砂けむりをあげて疾走するカモシカの群れは、砂漠を横切ってついに海岸に出ます。が、先頭のシカたちは後から押されるものすごい力で止まることができず、どっと海中になだれ落ちていき、やがて海岸はあわれなスプリング・バックの死体でうずまるのです。

 一体、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。多分、仲間が増えて来たので、もっと草の多い海岸地方へ移動しようと進むうちに、生来の臆病な性質と、われ先に食を得ようとする利己心が、このような哀れな結果を招くことになるのではないでしょうか。でも、よく考えて見ますと、私たち人間もまったく同じような行進を続けているではないでしょうか! 疾走しているカモシカに「なぜ走っているのか?」「どこに向かって走っているのか?」と尋ねたとしますと彼らは、「さあね。みんなが走るから、自分も走っているんだ。みんなに追い抜かれないように走っているだけなんだ!」と答えることでしょう。彼らはどこに向かって走っているのかなどとは考えようともしないで、ただ他のシカよりもよい草を得よう、他に追い抜かれないようにしようと、必死になって走っていたのです。抜きつ抜かれしながら、ただ走り続けているのです。

 ところで、冒頭のみことばにも書きましたが、神のことばである聖書は、私たちも人間もみな恐ろしい滅びの道を突き進んでいると教えているのです。人類がまっしぐらに滅亡への道を突進していると言ってもにわかには信じられない方も多いと思いますが、聖書は何度も繰り返してそのことに警鐘を鳴らしているのです。私たちは、将来のことを考えて、勉強、就職、結婚、そして社会的地位の獲得や、財産の獲得とお金儲け、名誉などを追い求めて、当面の目標を立てて一生懸命に努力をしています。友達や周りの人たちみんながやっているから、自分もやらなければ・・・・と、追い立てられるように前に進もうと励みます。しかし、たとえその願いがかなったとしても、そのその終局が滅びであるとするなら何という悲しいことではないでしょうか。

 聖書によると、初めに神はご自身のかたちに人間を創造されました。そして、人間には神を喜ばせ、神の栄光のために生きるという目的があったのであります。ところが、人間はその創造主である神から離れ、神に背を向けて自分勝手な自己中心の罪の道を歩むようになってしまいました。最初に神が与えた目的を見失い、神から離れてしまったのです。聖書では、神から与えられた人生の正しい目的から離れた生活を「罪」と呼んでいます。神に背を向けて自己中心な生き方をしている人はみな罪人なのであります。どなたでも正直にご自分の心の中をさぐってみれば、その心の中は高慢、妬み、偽わり、他人を中傷すること、醜い不道徳な心、利己心などでいっぱいであることに気づくはずです。

 最近は、毎日の新聞報道でも暗いニュースが多く、肉親や友人の間でさえ平気で人殺しが行われ、人のいのちが軽視され、殺人などの報道は日常茶飯事になっています。また、周囲の世界に目をやると、戦争や殺戮、恐ろしいテロなどが各地で起こっていて、その悲惨さは目を覆うばかりであります。しかし、聖書によれば、この人間の罪は必ずさばかれる時が来るのです。神のみことばである聖書には、次のように書かれていますので、立ち止まってご自分の人生に当てはめてお考えになってください。

●「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)。

●「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)。

●「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」(ヘブル書4:13)。


 しかし、愛なる神は、まっしぐらに滅びへの道を突き進んでいる人類を深くあわれまれて、救いの道を備えてくださったのであります。それは、神のひとり子イエス・キリストによる救いです。神の御子イエス様は、今から約2.000年前に、み父のみもとから人間の姿をとってこの地上に来られたのです。そのご生涯はまったく聖よく、一点の罪もありませんでしたが、私たちの罪を背負って、身代わりに十字架上で神の刑罰を受けて死んでくださったのです。十字架上で死なれた主イエスは、墓に葬られましたが、聖書の預言どおりに三日目に死からよみがえり、真の救い主であり、命の君であることを立証されたのであります。キリストの十字架は、人間の側からみれば、当時のユダヤの指導者たちの妬みによるものですが、実は愛なる神が人類を救うために立てられた永遠のご計画であったのです。

●「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。 どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ガラテヤ人への手紙1:4、5)。

●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。


 この地球上に住んでいる大部分の人たちは、あのカモシカの群れの死の大行進のように、神に背を向けた自己中心の罪の生活を続け、永遠の滅亡に向かって物凄いスピードで、走り続けているのです。滅亡への道を選ぶか、永遠のいのちへの道を選ぶかはあなたの心次第なのです。あなたは、どうかこの事実に一刻も早くお気づきになられて救い主イエス・キリストを信じて救われてください。神は、ご自身の愛のゆえに、この瞬間にも警鐘を乱打しておられるのです。

◆(E-mail): goo1639@mail.goo.ne.jp 管理人:「北国のこひつじ」


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