診療所だより

開業医gobokuの日記

こんなこと考えながら、
こんな生活しています。

僕の神様

2013年06月24日 | 診療
このところ患者さんが少ないので、暇な時は本を読んでいます。

かなり前から、自分の心にある歪んだ部分が気になっていて、
精神科関係の本を読んだり、カウンセリングの勉強をしたりしていました。
今も、そんな分野に興味があり、本屋さんで気になるタイトルの本を見つけると、
つい購入してしまい、机の上に積み重ねてあります。
その積んである本を何冊か読んでみました。

僕の心の歪んだ部分は、たぶんもう治らないでしょうが、
なんでおかしくなったのか、どこがおかしいのか、
どういうふうにおかしいのか、
診断をつけるとしたら何になるのか、などと
本を読んで、昔で言う「自分探し」みたいなことしていました。
というか今もしています。

それで、自分なりに納得できたことは、
僕の幼児時代から高校までの間に関係の深かった従兄弟が、
キーパーソンだとわかりました。

その人は子供時代の僕にとって神様でした。
僕は両親を見習うより、神様を見習って育ちました。

結局いろんな本を読んでみて、僕の胸にストンとおさまったことは、
「神様は、傷ついていた。」ということでした。
そのことに最近やっと気がつきました。

そして、考え方や行動、言葉使いも
みんな神様パターンだったのだと思うと、
「あぁそうか。そういうことだったんだ」と
素直に受け入れることができ、
僕の身体を縛っていたロープを意識することができました。

あとはこのロープをほどくことができるかどうかです。
自分探しはまだまだ続きます。


訳わからない話ですみません。

でも、長いことズーッと悩んでいたんです、本当に。
ちょっと気がつきました。






抗菌スリッパ

2013年06月17日 | 診療
この一ヶ月ぐらいで、気温はかなり上がってきました。

すると、裸足でお見えになる患者さんが増えてきます。

聴診器をあてている時、患者さんの足下を見たりするのですが、
こちらが気にすればするほど、
裸足の患者さんが多いように思えてくるから不思議です。

子供ならいざ知らず、大人はちょっとお行儀が悪いかもしれません。
でも、そんなこといっているのは僕が年寄りだからでしょう。

別に医者にかかりに来るのに、
お化粧をしたり、きれいな洋服を着てくる必要はありませんが、
年齢の高いかたは、仕事着から着替えてきたり、
シャツを取り替えてきたりしているようです。
そして必ず靴下は履いています。

というのも、
仕事着で来てしまった時は、
「汚い恰好ですみません、着替える暇がなかったもんですから。」
などと、申し訳なさそうに背中を丸めていたりするので、
「ああ、普通は着替えてみえるのだな。」と
こっちが勝手に想像しているだけなのですが。

ところで、
やっぱり裸足だと、何となくスリッパが汚れているようで、
そう思う患者さんもいるでしょうし、
今までも気になっていたので、
スリッパを換えることにしました。

変えるポイントはただ一つ。
「抗菌」スリッパです。

そして、今日から換えました。

今までの、茶色のスリッパから、薄緑の抗菌スリッパへ。
スリッパの色も大きく変わったので、
印象がだいぶ違ってみえます。

「こんだけ、違えば誰か気づいて、何かいうだろう。」
と思っていましたが、
いつも来る患者さんではなく、
会社の人がちょっと用事で来たときに、
「いつもと違うわね。」とぼそっと言っただけでした。


水不足

2013年06月11日 | 診療
外来にみえる農家のかたは、
皆口々に、水不足だと嘆いています。

今年は春先に遅霜があって、
梨が大きな被害を受け、
「今年の梨はダメだ」と
梨農家のかたが言っていたのが
ついこの間のように思えます。

自然を相手に仕事をするのは、本当に大変なことだと思います。

そこへ、今度は台風です。
水不足にはいいかもしれませんが、
大雨でも困ります。

なんとかうまいこといってほしいものです。

先日、地方紙の片隅に、
「インフルエンザによる学級閉鎖」という記事を見つけました。
今まで、こんな時期にインフルエンザなんて、
聞いたことがありません。

ウィルスは乾燥に強いので、
カラカラお天気が、こんなことまでも
影響を及ぼしているのかしらなどと、
勝手に想像してしまいました。


咲いてくれたアジサイの花

2013年06月08日 | 日常
庭に3本のアジサイの木があります。
一年でとても大きく育つので、
木が小さい時はいいのですが、
大きくなってからは、
ときどき、刈り込むようになりました。
ところが、
ある年は、時期になっても花をつけないこともあり、
刈り込みかたが悪いのだと思い、
昨年、庭木の剪定の本を買ってきました。
そして、その本のとおりに、アジサイを切ったつもりでした。
つもりというのも、本に書いてあることが、
イマイチよくわからなかったのです。

冬が来て、春が来て、
若葉がでてから、ときどき花芽を確かめていたのですが、
花芽らしきものは、見つかりませんでした。
選定した時から不安はあったので、
「やっぱり、失敗したみたいだ、今年はアジサイだめだ。」と、
五月のアタマにカミさんに謝りました。

その後、
花芽を探すことはせず、しばらくいたのですが、

五月の半ばも過ぎたころ、
何気なく見たアジサイに、
いくつもの花芽を見つけました。

それはそれは、うれしくなりました。
その花が、順調に育って、最近色をつけはじめました。

やはり、梅雨にはアジサイだなと、
失敗しなかったことに安堵しながら、
しばし見とれていました。