ノブトの平凡日記

備忘録として気が向いたとき更新しています。

恩師の奥様からの喪中ハガキと、今日の誕生日の花

2007年11月30日 | 友達・知人ほか
 奈良・田原本は曇り空ですが晴れてくるとの予報です。朝7時の気温は8度でした。お変わりありませんか。ノブトはいつもと変わりなく過ごしております。年末が近づくと友人・知人等から喪中ハガキが届きますが、今日までにノブト宛には12枚届きました。
 なかでも特に辛かったのは、高校の1年と3年の2回も担任してくれた恩師の奥様からのハガキで、恩師のご逝去を知り胸に鉛が入ったような気分です。
 高校の恩師とは、昭和36年卒業以来ずっと賀状を頂き、ノブトの就職、そして結婚から子供の誕生、孫の誕生からノブトの定年退職したことなど、人生の節々の出来事を報告をしてきた恩師でした。
 これからのノブトの近況報告を聞いてくださる恩師は誰もいなくなってしまいました。

 この先生は植物に造詣が深く、1年生の夏休みに四国第二の霊峰1955㍍の「剣山」へ泊りがけで植物採集に連れて行ってくれたことです。
 今でこそ1700メートル付近までリフトが通じ簡単に登ることが出来ますが、当時は登山口から登って中腹にある「見の越ヒュッテ」という山小屋で一泊しなければ登頂できない山だったのです。から
 登山中の何度もの小休止には、笑顔で茶色の紙袋から氷砂糖をくれたり、ヒュッテでは雑魚寝だったため「俺が女子との間で寝る」とおっしゃり、ノブト他の悪ガキどもが「先生が一番危ないわ!」と、遠慮会釈なく言ったことなどが昨日のことのように思い出します。
 また、「踊ってはいけない」と指示されている「阿波踊り」を、鉢巻にサングラスを掛け、ユカタ姿で青年団連の一員に変装して踊っているのを見抜き、翌日恩師の研究室に呼び出されて熱いお灸をすえられたことなど・・・・、この他にも色々面倒掛けたことが浮んできます。
 そう、関西に出てきて思い出すのは、修学旅行の後輩を引率し、夜行列車で東京へ向かう途中の大阪駅ホームで逢ったとき、いつもの笑顔で「そうか、そうか」と話しを聞いてくれたことを昨日のことのように思い出します。
 「先生! いろいろとご心配おかけ致しました。どうか、ゆっくりとおやすみ下さい・・・・」。


 さて、今日の誕生日の花は、カタバミ科の【ハナカタバミ】で、花言葉は「決してあなたを捨てない」とのことです。歌人 鳥海昭子さんは、
      明日のため 今日の願いがありまして
             ハナカタバミの葉のやすむ宵
と、詠まれています。鳥海さんのこめんとは、ハナカタバミの画像上で流します。

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夜になると、ハナカタバミは

祈るように葉を閉じます。

病と闘っていたころ、

また葉を開くあしたを思い、

希望を感じたものです。

         鳥海昭子



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