2010年4月11日
旧ソ連によるポーランド人虐殺の「カチンの森事件」70年の追悼式典に出席する予定だったポーランドのカチンスキ大統領(Lech Kaczynski)夫妻が乗った政府専用機が、昨日ロシア西部スモレンスクの空港近くの林に墜落し、同大統領と多数の政府高官が死亡した。
大統領は、敬虔なカソリック教徒で60歳。当時地下組織「連帯」のメンバーに加わり、ワレサ元大統領とともにポーランドの旧ソ連体制からの解放のために戦った愛国者である。彼には、今回難を逃れた元首相であったJaroslaw Kaczynskiという双子の兄弟がいる。
ドイツとソ連双方からの攻撃によって瓦礫と化していたワルシャワに生まれた双子の兄弟は、この両国に対する敵愾心を強く秘めながら成長し政治家の道を進んだ。
筋金いりの反共主義者であり、2005年に、「法と正義党」(Law and Justice Party)から大統領に選出され、選挙民の支持を背景に共産党元幹部による実質支配を終わらせることに意を用いてきた。ワレサ氏とは、「連帯」が共産党と妥協しすぎであるとの理由から後に袂を分かっている。
大統領の突然の事故死の報道に関連して、本日のThe New York Timesは、同大統領の政策とポーランドの対外政策について概観している。それを中心にポーランドと東欧・中央の今後のパワーバランスを考えてみる。
ポーランドは2004年にEUに加盟していたが、2005年に就任した同大統領は、ロシアに対してもEUに対しても対立的な姿勢をとり続け、国内世論の右旋回を目指した。
そして同大統領は、米国との直接的な同盟関係の強化を図った。ポーランドは1999年にNATOの加盟国となっていたが、『NATOこそがポーランド安定の唯一の道』と言い切り、ブッシュ政権とのつながりの強化に腐心し、ロシアの対欧膨張主義の封じ込めに熱心であった。
その一環としてポーランドはウクライナとグルジアのNATO加盟を推進しようとしていたが、これを過剰な反ロシア行動とするドイツのメルケル首相の強い反対を引き起こした。
また対ロシアミサイル防衛網構築についても対米協力を惜しまぬことを表明してきたが、オバマ政権は、対ロ配慮から積極推進はしない方針に転換せざるを得ないことから、計画は宙に浮いている。
モスクワ市長を経て大統領に就任して以来、ポーランド国民の対ロ・対独の反感を軸にした愛国主義、対米一辺倒の外交政策、共産党との決別、そして汚職追放によって人気を得たが、カソリックに基づく性差別主義者でもあったことからこのところ人気は下降線をたどっていた。今年予定されている総選挙の帰趨は混沌としてきた矢先の大統領の死であった。
反ロシアの象徴である「カチンの森」追悼式典に出席途次にロシア国内で搭乗のロシア製飛行機の墜落のため、突然死亡するというのは、恐ろしい偶然である。
旧ソ連によるポーランド人虐殺の「カチンの森事件」70年の追悼式典に出席する予定だったポーランドのカチンスキ大統領(Lech Kaczynski)夫妻が乗った政府専用機が、昨日ロシア西部スモレンスクの空港近くの林に墜落し、同大統領と多数の政府高官が死亡した。
大統領は、敬虔なカソリック教徒で60歳。当時地下組織「連帯」のメンバーに加わり、ワレサ元大統領とともにポーランドの旧ソ連体制からの解放のために戦った愛国者である。彼には、今回難を逃れた元首相であったJaroslaw Kaczynskiという双子の兄弟がいる。
ドイツとソ連双方からの攻撃によって瓦礫と化していたワルシャワに生まれた双子の兄弟は、この両国に対する敵愾心を強く秘めながら成長し政治家の道を進んだ。
筋金いりの反共主義者であり、2005年に、「法と正義党」(Law and Justice Party)から大統領に選出され、選挙民の支持を背景に共産党元幹部による実質支配を終わらせることに意を用いてきた。ワレサ氏とは、「連帯」が共産党と妥協しすぎであるとの理由から後に袂を分かっている。
大統領の突然の事故死の報道に関連して、本日のThe New York Timesは、同大統領の政策とポーランドの対外政策について概観している。それを中心にポーランドと東欧・中央の今後のパワーバランスを考えてみる。
ポーランドは2004年にEUに加盟していたが、2005年に就任した同大統領は、ロシアに対してもEUに対しても対立的な姿勢をとり続け、国内世論の右旋回を目指した。
そして同大統領は、米国との直接的な同盟関係の強化を図った。ポーランドは1999年にNATOの加盟国となっていたが、『NATOこそがポーランド安定の唯一の道』と言い切り、ブッシュ政権とのつながりの強化に腐心し、ロシアの対欧膨張主義の封じ込めに熱心であった。
その一環としてポーランドはウクライナとグルジアのNATO加盟を推進しようとしていたが、これを過剰な反ロシア行動とするドイツのメルケル首相の強い反対を引き起こした。
また対ロシアミサイル防衛網構築についても対米協力を惜しまぬことを表明してきたが、オバマ政権は、対ロ配慮から積極推進はしない方針に転換せざるを得ないことから、計画は宙に浮いている。
モスクワ市長を経て大統領に就任して以来、ポーランド国民の対ロ・対独の反感を軸にした愛国主義、対米一辺倒の外交政策、共産党との決別、そして汚職追放によって人気を得たが、カソリックに基づく性差別主義者でもあったことからこのところ人気は下降線をたどっていた。今年予定されている総選挙の帰趨は混沌としてきた矢先の大統領の死であった。
反ロシアの象徴である「カチンの森」追悼式典に出席途次にロシア国内で搭乗のロシア製飛行機の墜落のため、突然死亡するというのは、恐ろしい偶然である。