もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

大阪市の武家の商法を考える

2021年01月26日 | 社会・政治問題

 大阪市がコロナ感染者に送付する書類の封筒に、葬儀社の広告が載せられていることが報じられた。

 報道では、封筒を受け取った視聴者の「あまり良い気分ではなかった」とのコメントが付せられていた。このことについて大阪市は、一定期間毎に各社の広告を載せているので、あまり注意を払わずに封筒の使用を続けていたと釈明している。添え物の広告など一顧だにしない自分としては「広告を観る人もいるのだナ」くらいにしか思わないが、広告を依頼した葬儀社としては「してヤッタり」と快哉を叫んでいるかも知れない。先日には、気象庁のHPに掲載された運用型広告に誇大広告の恐れがある不適切なものが多数発見され、わずか1日で掲載を中止したこともあった。
 これらの背景には、「財政の悪化による予算削減」が大きいと考えるが、役所の「経費節約、冗費削減」という市民の過剰な声にも一因があると思う。市民の声の代表的なものは「民間企業であれば」というものであるように思うが、矢面に立たされた担当部局・担当者は「何とか金を生む工夫を」と考えて施設の命名権を売ったりと「武家の商法」に奔らざるを得なくなる。最も手っ取り早いのは、公刊印刷物に有料広告を載せることであるが、近年では屋上広告塔、駅の広告スペース、車内広告も空きが目立ち、宅配新聞の折り込み広告も激減しているように、企業の宣伝費が抑制されるとともに宣伝媒体も印刷物から電脳へと変化している現状では、おいそれと広告を出してくれる企業は見つからないのではないだろうか。
 大阪市の例を推測すれば、件の葬儀社は定期的に広告を出してくれる存在で、大阪市の担当者にとっては誠に有難い存在であるに違いないと思える。また、広告の常として利用者に選択肢を提供するという側面を考えれば、不幸なことではあるが、送付された感染者に万一が起きた場合には遺族にとっても【良い情報】になることもあり得るので、ここは目くじらを立てずに「郵送される内容と表の広告は別物」、「武家の商法も頑張っているナ」という「おおらか」さで接してもらいたいものである。

 「市民の声」に押されてと云うことも危険な側面を含んでいるように思う。市民の声は往々にして近視眼的に陥りやすく、大所高所の見地からは害の方が大きいように思える。今回のコロナ禍で、先進国では1週間程度で定額・持続型給付を支給し得たのに対して日本は3か月以上もかかった。また来るべきワクチン接種では接種者の選定や追跡に大きな困難が予想されている。これは、マイナンバー制度設立時に、個人情報保護や徴兵の危険性の市民の声で有機的なデータ連携ができるシステム設計が阻止されたことが最大の原因である。さらには緊急条項を持たない憲法の不備は早くから指摘されていたにもかかわらず、改憲を阻止しているのは市民の声であり、コロナ特措法改正案の罰則規定にも多くの市民が反対している。
 将来、コロナ禍以上の厄災に有効な対策が採れない場合に、市民の声は有効な対策を求めることだろうが、マイナンバーを徴兵法と呼んだ市民代表は沈黙している。


高校教師、女風呂を学ぶ

2021年01月25日 | 社会・政治問題

 福山市内の入浴施設(女湯)に「長髪かつら」「化粧」で偽装して入浴した県立高校教師(36歳)が現行犯逮捕されたことを知った。

 野次馬根性で書けば、女装してタオルを巻いていたものの利用客に見破られたことから、擬態も不十分なものであったのかと笑える。
 この先生の今後、特に教員免許はどうなるのかと思って「教育職員免許法」を勉強した。教員免許にも普通免許状、特別免許状及び臨時免許状に分かれており、取得要件や教育対象が異なるが免状の失効や取り上げに関しては一律であるようである。教員免状が取り上げられるケースは、「禁錮以上の刑に処せられた者」、「公立校で懲戒・分限免職された者」、「教職員たるにふさわしくない非行があつて、その情状が重いと認められる者」と規定されていた。また、教員免状を取り上げられた後を観ると、「禁固以上の刑に処せられた者」は教職員としての欠格条項に該当するために終生教員免状を得ることは出来ないが、その他の「取り上げ事由」や「執行猶予刑」の場合は処分の日から3年経てば再交付が得られるとなっている。しかしながら、一度教員免状を取り上げられると、教師として採用される可能性は極めて低いのではないだろうか。
 かって、教員の質的(教授法)低下防止対策として導入された教員免状更新制度では、30時間以上(必修領域6時間以上、選択必修領域6時間以上、選択領域18時間以上)の講習を受講することで、教員ならば誰でも10年間の延長が認められる。当該制度導入に当たっては、受講者の組合活動や勤務実態・実績を再評価して、教員としての不適格者を排除することも議論されたが実現しなかった。冒頭の男性教師の年齢から推測すると、既に1回目の更新手続きを終了していると思われる。人事管理者である校長等が、職員室での限られた接触から当人の隠された性癖を発見することは困難であるかもしれないが、昨今の「いじめ教師」や「桃色教師」多発現象を見る限り、何らかの選別は必要なのではないだろうか。

 教員免状は、知的要件さえクリアすれば自動的に付与されるし、採用に当たっても度々問題視されたように教育委員会の情実に左右されるともされる。日教組が「教師は聖職者ではない労働者」と規定して半世紀、教員資格に先生の品性を問う制度が無いこととも相俟って質的な向上は道半ばであるように思える。教師採用後1年間は試用期間として、試用期間終了後に改めて本採用の可否を判断するといううような方策は採れないものだろうか。


新駐日韓国大使とアグレマンを学ぶ

2021年01月24日 | 韓国

 新しい駐日韓国大使の姜(カン)昌一氏が22日に着任した。

 姜氏は、東洋史の研究者で東大で修士・博士号を取得した知日派とされているらしいが、自分は日韓議員連盟の会長(現在は名誉会長)で、天皇を「日王(皇)」と呼ぶことを主張し、北方領土訪問時に「北方領土はロシア領」と発言した人物で日本にとって好ましい人物とは思っていない。
 大公使交換手順としては、国家が大公使を派遣する際には事前に相手国から「外交官待遇の同意(アグレマン)」を得なければならないとされており、相手国はアグレマンの要請に対しては理由を示さずに拒否できることもウィーン条約に定められている。このことから、今回の姜昌一氏にアグレマンを与えるべきでないという意見も多かったが、政府としては「反日を唱えなければ出世出来ないという韓国の内情を考えれば大使級以上の階層に反日で無い人物は見当たらないので已む無し」という現実的なアグレマンであったのだろうと推測している。
 更に大公使が仕事を始めるためには赴任国の元首に対して所属国の元首から授与された信任状を提出して受理されることが必要であり、日本の場合には天皇陛下が受理される。この信任状奉呈式は通常、着任後1カ月以上経過後に行われるので、それまでは政府要人との公式な接触は控えるのが慣例となっているらしいが、前韓国大使の南官杓氏が奉呈前に河野外相に着任の挨拶を行った例外はあるものの、これは河野太郎氏が宇宙人であったためと思われる。現在の姜氏も奉呈式前の大使内定状態であるために、日本政府要人も面会しないと述べている。

 文大統領は新年の談話で、「日韓請求権協定は合法」として、慰安婦判決には「困惑している」と述べた。かねてから協定の不当性と司法判断尊重を繰り返したものの、地裁とは言え司法が反日のためには国際慣例をも無視する暴走を始めたために、新年の談話には自らが主唱していた反日が既に制御不能となった現状分析が込められているようにも思われる。これまで徴用工・慰安婦対応については司法の独自性を唯一の根拠としていたが、今月の18日に予定されていた慰安婦2次訴訟判決を3月に延期させたことで、司法も大統領に従属していることが明らかとなった。更に、大規模なライダイハン訴訟が起こされる見通しであり、徴用工での最高裁判例尊重は韓国政府に大きな犠牲を強いる可能性も浮上してきたことも、影響しているのかも知れない。
 もはや文大統領の心中と政治には、大統領辞任後の積弊清算を無事に乗り切ることしかないように思えるので、新任の姜大使が如何に努力しようとも日韓関係改善は絶望的であると思うし、修復する必要すら無いと思っている。


定額給付金考

2021年01月23日 | コロナ

 再びのコロナ定額給付金支給が取り沙汰されているが、このことに対する街の声なる報道映像を見て考えさせられた。

 20代の有職者と思しき女性は「本当に困っている方には支給して欲しい」と述べていたが、表情やニュアンスから推測するに「自分は該当しなくても・・」が感じられるもので、《本当に困っている人》の線引きや査定に関する困難さを別にすれば、生活困窮者救済を求めている優しさが感じられるものであった。しかしながら、次いで登場した自分と同世代と思しき男性高齢者が「貰えたら孫に何か買ってやれる…」の言葉には愕然とした。
 他人の懐具合を外見から推し量る愚を承知の上で云えば、少なくとも明日の食や支払いにも事欠く生活困窮者とは思えない身なりの人が「現代版お救い米」を期待するかの発言を公の場で開陳するのは如何なものであろうか。それ以上に、若者はしっかりとコロナ禍で発生した生活困窮者の実態と定額給付金の趣旨を理解した上で所信を述べているのに対して、高齢男性はコロナ定額給付金の意味さえ曖昧で単に金額しか念頭にないかのように感じられた。勿論、この男性が我々の代弁者で無いことは明らかであるが、一般的に云われる高齢者の生活態度と思考を顕著に表しているように思えるので自戒のために考えてみた。
 定年退職した自分の世界は極端に狭くなり極端に言えば、寝て1畳のうさぎ小屋が日本・地球・太陽系の全てで人間は自分と配偶者の二人しかいない。テレビ画面に映し出される世界や論じられる主張は他の銀河系のものである。このような状態は自分のみならず程度の差こそあれ多くの高齢者に共通しているものでは無いだろうか。そんな状況に置かれた人間にとって定額給付金は、UFOがもたらしてくれる干天の慈雨でしかなく、趣旨などは考える必要は無く、ましてやその使途が趣旨に沿ったものであるかなどは考えも及ばないことになってしまいかない。それ故に、真の生活困窮者や理性的な若者が挙って目を顰めるであろう冒頭男性のような考えも平然と口にしてしまいかねない。高齢者は本心を隠して社会に対して卑屈に迎合して生きるべきではないが、物事の本質を理解した上で身を処すべきように思える。

 落語に出てくる横丁の御隠居は、頑固で正論に固まっているために日常では若者から煙たがられているが、イザという時には検察官となり裁判官となり民生委員として頼られる。そこには本質とそれまでの人生で得た方便という経験則を巧みに融合させて処理するということがあるように思える。社会の中心に位置しない都市生活者にとっては、近隣の仲裁など及びもつかないが、街の声として意見を求められた場合には、正論に方便を織り交ぜた御隠居さんでなければならないと感じた一事であった。


バイデン政権の船出

2021年01月22日 | アメリカ

 アメリカ大統領就任式が行われバイデン政権が発足した。

 史上2回目とされる前大統領の欠席、コロナ事情とは言え無観客、州兵に守られてと、異例ずくめの就任式となった。通常は対面で行われる核兵器使用許可のための認証コードが入った「核のフットボール」引継ぎも、二つの装置を用意して、バイデン氏の宣誓と同時にトランプ氏のフットボールを無効にするという前代未聞の交代劇であった。
 バイデン大統領の初仕事は、十数件の大統領令への署名であったが、コロナ対策としてのマスク着用令以外は全てトランプ大統領令の失効破棄であるとされている。前政権を全否定することは、韓国の積弊清算の悪弊を彷彿させるものであり、アメリカの影響力を考えれば、世界に与える混乱は韓国の比ではないように思える。また、就任演説では国内融和を呼び掛けたものの、既に宣誓式以前にトランプ政権の失政責任を追及するための「トランプ・レガシー・プロジェクト」を民主党内に立ち上げていることを思えば、支持基盤の強化のためには国内の分断・混乱をさえ利用しようとする気配も窺える。
 バイデン氏と民主党内急進左派の関係は必ずしも円滑ではないことは、大統領選以前からも囁かれていたが、バイデン氏が候補者指名を勝ち取った陰には、相当な妥協があったものと考えている。
 バイデン大統領の施策や手腕(特に外交)は今後に俟つとして、些細(どうでもいい)なことで悩んでいる。それは、バイデン氏は、アメリカ大統領として何代目と呼ぶべきなのかということである。自分はこれまでバイデン氏を第59代大統領と書いていたが、報道では46代大統領となっている。ちなみに菅総理大臣は、99代総理大臣とされている。日米の歴代カウントを観ると、アメリカ大統領は45人の人間が58期務め、総理大臣は63人が98期務めている。大統領のような直接(実際は代理人)選挙であろうが、議員からの指名であろうが、選任(負託)された期間を「代」と考えれば、バイデン大統領は59代・菅総理は99代となるのではないだろうか。この辺の事情に通じている方からのご教示を頂きたいものである。

 「セカンド・ジェントルマン」なる言葉も知った。副大統領の夫を指す言葉であるが、史上初の女性副大統領であれば今後使用される機会も増えることだろうし、バイデン大統領の健康状態によっては「ファースト・ジェントルマン」も現実味が増してくる。日本にとってバイデン氏以上に厄介な状況になるであろうハリス氏の夫を、そう呼ばなければならない日が来ないことを願って、終演。