大阪市がコロナ感染者に送付する書類の封筒に、葬儀社の広告が載せられていることが報じられた。
報道では、封筒を受け取った視聴者の「あまり良い気分ではなかった」とのコメントが付せられていた。このことについて大阪市は、一定期間毎に各社の広告を載せているので、あまり注意を払わずに封筒の使用を続けていたと釈明している。添え物の広告など一顧だにしない自分としては「広告を観る人もいるのだナ」くらいにしか思わないが、広告を依頼した葬儀社としては「してヤッタり」と快哉を叫んでいるかも知れない。先日には、気象庁のHPに掲載された運用型広告に誇大広告の恐れがある不適切なものが多数発見され、わずか1日で掲載を中止したこともあった。
これらの背景には、「財政の悪化による予算削減」が大きいと考えるが、役所の「経費節約、冗費削減」という市民の過剰な声にも一因があると思う。市民の声の代表的なものは「民間企業であれば」というものであるように思うが、矢面に立たされた担当部局・担当者は「何とか金を生む工夫を」と考えて施設の命名権を売ったりと「武家の商法」に奔らざるを得なくなる。最も手っ取り早いのは、公刊印刷物に有料広告を載せることであるが、近年では屋上広告塔、駅の広告スペース、車内広告も空きが目立ち、宅配新聞の折り込み広告も激減しているように、企業の宣伝費が抑制されるとともに宣伝媒体も印刷物から電脳へと変化している現状では、おいそれと広告を出してくれる企業は見つからないのではないだろうか。
大阪市の例を推測すれば、件の葬儀社は定期的に広告を出してくれる存在で、大阪市の担当者にとっては誠に有難い存在であるに違いないと思える。また、広告の常として利用者に選択肢を提供するという側面を考えれば、不幸なことではあるが、送付された感染者に万一が起きた場合には遺族にとっても【良い情報】になることもあり得るので、ここは目くじらを立てずに「郵送される内容と表の広告は別物」、「武家の商法も頑張っているナ」という「おおらか」さで接してもらいたいものである。
「市民の声」に押されてと云うことも危険な側面を含んでいるように思う。市民の声は往々にして近視眼的に陥りやすく、大所高所の見地からは害の方が大きいように思える。今回のコロナ禍で、先進国では1週間程度で定額・持続型給付を支給し得たのに対して日本は3か月以上もかかった。また来るべきワクチン接種では接種者の選定や追跡に大きな困難が予想されている。これは、マイナンバー制度設立時に、個人情報保護や徴兵の危険性の市民の声で有機的なデータ連携ができるシステム設計が阻止されたことが最大の原因である。さらには緊急条項を持たない憲法の不備は早くから指摘されていたにもかかわらず、改憲を阻止しているのは市民の声であり、コロナ特措法改正案の罰則規定にも多くの市民が反対している。
将来、コロナ禍以上の厄災に有効な対策が採れない場合に、市民の声は有効な対策を求めることだろうが、マイナンバーを徴兵法と呼んだ市民代表は沈黙している。