ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

約束の旅路

2007年05月06日 | 映画レビュー
 巻頭とラストの画面一杯に広がるスーダン難民キャンプの絵が壮観。ここにこの映画のテーマがある。アフリカ、飢餓と内戦の地アフリカ。そこへの眼差しをわたしたちは忘れていないだろうか。本作は、ユダヤ人であることとは何かを見据えながら生きてきたミヘイレアニュ監督ならではの、アイデンティティの苦悩を描いた作品だ。

 飢餓と内戦の地獄エチオピアを脱出してスーダンの難民キャンプにボロボロになりながらたどり着いた母子がいた。1984年、イスラエルが密かに行った「モーセ作戦」により、エチオピアに残るソロモン王とシヴァ女王の末裔たる黒いユダヤ人(ファラシュ)が救出されることになった。その数8000人。母はキリスト教徒であったが、9歳の息子を助けるためにユダヤ人のふりをさせた。「行きなさい、行って生きなさい、何者かになるのです、それまでは決して帰ってきてはいけません」

 息子はイスラエルに渡り、シュロモという名を与えられ、左派を支持するリベラルな養父母に引き取られ、愛情をいっぱいに浴びて育つ。だが彼の心の中には常にアイデンティティの秘めたる葛藤があった。「僕はユダヤ人ではない」。そして、断ちがたい実母への思慕。やがて少年は青年になり、恋をする。恋した相手はポーランド系ユダヤ人サラ、だが彼女の父はファラシュ(黒いユダヤ人)を差別し、二人の恋は暗礁に乗り上げる……

 イスラエルの「モーセ作戦」は実際に84年と91年に行われたという。84年の作戦で8000人が救われたが、4000人が病気と疲労と飢餓と殺戮により命を落とした。イスラエルに帰還したファラシュたちは、イスラエルの地で黒いユダヤ人として人種差別を受け、その前途は決して明るいものではなかったという。この映画は9歳で母と離れ、ユダヤ人であると偽ってイスラエルで成長する一人の少年の16年を描く大河ドラマだ。

 ユダヤ人とは誰のことだろうか? シュロモの苦しみは、出自に苦しんだラデュ・ミヘイレアニュ監督自身の苦悩である。愛する相手を騙し続けなければならない苦しみ。真実を言えば彼女を失ってしまうとシュロモは悩む。

 またこれは母恋物語でもある。シュロモは生き別れになった母を何年も想い続け、自分で書けない故郷の言葉を老人に代筆してもらう。彼ははエチオピアの言葉アムハラ語とヘブライ語、フランス語の三つの言葉を話す。彼にとって祖国はいくつもある。どれが祖国なのか? そしてユダヤの民とは誰のことか?

 この映画はイスラエルの老人に平和と共存の必要性を語らせて、解決困難な政治の問題にもさりげなく触れる。シュロモの養父母の葛藤もまた現在のイスラエル-パレスチナの鋭い対立を表象する。

 本作の演出は極めてオーソドックスできっちとした作り。それは重厚なテーマに相応しいどっしりとした作り方だ。波瀾万丈の大河物語をきっちりまとめきった手腕が素晴らしい。そしてこの映画に大きな魅力を与えた義母ヤエル役のヤエル・アベカシスの優しく美しい表情を特筆したい。大きな愛で養子を包む彼女の素晴らしさが感動を呼ぶ。シュロモの少年時代を演じた子役も愛らしく、青年時代を演じたシラク・M・サバハがかっこよく、ブレイクしそうな予感。お奨めの一作です。

----------------

VA, VIS ET DEVIENS 上映時間149分(フランス、2005年)
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ、脚本:アラン=ミシェル・ブラン、ラデュ・ミヘイレアニュ、音楽: アルマンド・アマール
出演: ヤエル・アベカシス、ロシュディ・ゼム、モシェ・アガザイ、モシェ・アベベ、シラク・M・サバハ