わたしはたぶん小説だけではなく、学術書ですら、著者への感情移入なしに読むことができないのだろう。だから、東浩紀の『存在論的、郵便的』に強く惹かれ、またこの本も心震わせながら読んでしまう。この著者がもう亡くなっていること、彼が享年33歳で癌でなくなり、本書の出版を待たずに旅立ったことを予め知っていて読んだからこそ、未来へ向けて書かれたこの本にどれだけの想いを著者が込めたかと思うと、平静に読めない。
だから、そんな気持ちで読んだ本を冷静に批評することも書評を書くこともできない。ましてや、その内容がわたしの根底を揺さぶるような大きな刺激に満ちているのだから、なおさらだ。
この本に出会ったのは偶然だった。めったに読まないのだが、ふと東浩紀のブログを読んだときに、東の著書を英訳するプロジェクトがあることを知った。しかも、翻訳予定者の保苅実という若い研究者が病気のために翻訳を辞退するメールを送ってきたという事情も知った。さらに、その保苅という人物は死んでしまったこと、彼のお姉さんが亡き弟を追悼するためのメモリアルHPを作っていることも知った。
http://www.hokariminoru.org/j/index-j.html
ここには保苅実さんが闘病中に友人知人に送ったメールも記載されており、涙なしには読めない。そして、彼が最後にたった一冊残した著書がどんな本なのだろうかと興味をもった。bk1を検索すると、書評の鉄人メルさんが既に絶賛書評をつけていた。メルさん自身も学究の道を歩もうとする研究者の卵であり、おそらく大きな刺激を本書から受けたのだろう。ブログでも取り上げておられ、その興奮ぶりが手に取るように伝わってきた。
ためしにと、近所の図書館にリクエストした本書、一章を読み終わる前に購入を決意し、今わたしの手元にある。
そして、著者後書きを読み終わった瞬間に涙がこぼれた。さらに、友人の研究者による「もうひとつのあとがき」を読んでもう一度涙がこぼれた。さらに、保苅さんの師である清水透さん(慶應義塾大学教授、ラテンアメリカ社会史専攻)の解説を読んでまた泣けた。
学術書を読んで泣くなんて、初めての体験だ。こんなに泣いてばかりでいいんだろうか。
清水さんの亡くなった娘さんは保苅実さんと同い年だそうだ。保苅さんと出会う一年前に娘さんを癌で亡くしていた清水さんは、1996年に保苅さんから、ご自身の著書への感想文と保苅さんの論文の要約を書いた便りをもらった。それから二人の交流は続いていたという。
清水さんは娘と弟子を癌で喪った。保苅さんがホスピスの床で遺した「清水透批判」を真摯にうけとめ、これから、保苅から課された課題に取り組むと述べている。
だから、そんな気持ちで読んだ本を冷静に批評することも書評を書くこともできない。ましてや、その内容がわたしの根底を揺さぶるような大きな刺激に満ちているのだから、なおさらだ。
この本に出会ったのは偶然だった。めったに読まないのだが、ふと東浩紀のブログを読んだときに、東の著書を英訳するプロジェクトがあることを知った。しかも、翻訳予定者の保苅実という若い研究者が病気のために翻訳を辞退するメールを送ってきたという事情も知った。さらに、その保苅という人物は死んでしまったこと、彼のお姉さんが亡き弟を追悼するためのメモリアルHPを作っていることも知った。
http://www.hokariminoru.org/j/index-j.html
ここには保苅実さんが闘病中に友人知人に送ったメールも記載されており、涙なしには読めない。そして、彼が最後にたった一冊残した著書がどんな本なのだろうかと興味をもった。bk1を検索すると、書評の鉄人メルさんが既に絶賛書評をつけていた。メルさん自身も学究の道を歩もうとする研究者の卵であり、おそらく大きな刺激を本書から受けたのだろう。ブログでも取り上げておられ、その興奮ぶりが手に取るように伝わってきた。
ためしにと、近所の図書館にリクエストした本書、一章を読み終わる前に購入を決意し、今わたしの手元にある。
そして、著者後書きを読み終わった瞬間に涙がこぼれた。さらに、友人の研究者による「もうひとつのあとがき」を読んでもう一度涙がこぼれた。さらに、保苅さんの師である清水透さん(慶應義塾大学教授、ラテンアメリカ社会史専攻)の解説を読んでまた泣けた。
学術書を読んで泣くなんて、初めての体験だ。こんなに泣いてばかりでいいんだろうか。
清水さんの亡くなった娘さんは保苅実さんと同い年だそうだ。保苅さんと出会う一年前に娘さんを癌で亡くしていた清水さんは、1996年に保苅さんから、ご自身の著書への感想文と保苅さんの論文の要約を書いた便りをもらった。それから二人の交流は続いていたという。
清水さんは娘と弟子を癌で喪った。保苅さんがホスピスの床で遺した「清水透批判」を真摯にうけとめ、これから、保苅から課された課題に取り組むと述べている。