以下は、読書ノート。
<キーワード>
★ゲーデル的脱構築
★否定神学的アイデンティティ
++++++++
※デリダはフーコーの相対主義を批判する。相対主義は無力だと論じる。
「ならばこの脱中心化された中心主義、言い換えれば「ヨーロッパ」という固有性の普遍性に対し、デリダはどのような態度を取るのか。『他の岬』はつぎのように述べている。「ヨーロッパ中心主義と反ヨーロッパ中心主義という」「消尽しており、またひとを消尽させるプログラム」を回避するためには、「文化の固有性とは自己自身と同一ではないことである」というテーゼを導入する必要がある。ヨーロッパの固有性はあるが、同一性はない。「ひとつの文化は決してひとつの唯一の起源をもたない」のであり、「文化の歴史において、単一の系譜学はつねに欺瞞になるだろう」。そしてこの非同一的な固有性に注意を向けることで、デリダはヨーロッパのなかに、「ヨーロッパでないもの、ヨーロッパでは一度もなかったもの、ヨーロッパでは決してないであろうものへとヨーロッパを開く」命法を聴き取る。つまり彼はヨーロッパの歴史のなかに、過去ー現在ー未来と続くその直線的同一性におさまらない開放性を発見していくことを提案する。以上の言葉は、彼の思考のあり方をよく表している。彼が伝統を重視するのは、つねにその同一性を拡散させるため、先述の表現を使えば「かも知れない」の位相を挿みこむためである。」p47-48
※歴史修正主義に抗するジャン・フランソワ・リオタール。彼は『文の抗争』のなかでこう述べる。
「アウシュヴィッツの名は、歴史的認識がその能力への異議申し立てに出会う限界を記している」
アウシュヴィッツの記憶は記憶不可能なものの記憶である[……]哲学はその不可能性を扱う。(p51)
「計測不可能な犯罪がかつて行われた。歴史的認識の限界は、その記憶へと遡行することで知られる。ならばその遡行はなぜ可能なのか。『争異』はまさにそれを根拠づけるため、多くの部分を割いて固有名の性質について論じている。」p52
※アウシュヴィッツの悲劇はなぜ悲劇なのか? 東浩紀は言う。
「あるひとは生き残り、あるひとは生き残らなかった。ただそれだけであり、そこにはいかなる必然性もない。そこでは「あるひと」が固有名を持たない。真に恐ろしいのはおそらくはこの偶然性、伝達経路の確率的性質ではないだろうか。ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ。リオタールとボルタンスキーによる喪の作業は、固有名を絶対化することでその恐ろしさを避けている。」p61
*「なぜデリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか」が本書の出発点
「問いは三つに分割される。
(1)デリダは何故ハイデガー的思考に抵抗したのか、あるいはデリダ的脱構築とハイデガー的解体のあいだの差異は何か。[以下略]
(2)デリダは何故その抵抗を、あのような(奇妙な)テクスト形態で展開したのか。これは理論と実践の接合、コンスタティヴな主張がパフォーマティブなテクスト形態を要請する捻れについての問いであり、答えるのがより困難なものである。[以下略]
(3)そしてデリダのそのテクスト実践、70年代から80年代にかけ最も活発化した「デリダ的脱構築」は、最終的にいかなる効果をもち、またいかなる認識を私たちに開いたのか。[以下略]」(p152-154)
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★ゲーデル的脱構築
★否定神学的アイデンティティ
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※デリダはフーコーの相対主義を批判する。相対主義は無力だと論じる。
「ならばこの脱中心化された中心主義、言い換えれば「ヨーロッパ」という固有性の普遍性に対し、デリダはどのような態度を取るのか。『他の岬』はつぎのように述べている。「ヨーロッパ中心主義と反ヨーロッパ中心主義という」「消尽しており、またひとを消尽させるプログラム」を回避するためには、「文化の固有性とは自己自身と同一ではないことである」というテーゼを導入する必要がある。ヨーロッパの固有性はあるが、同一性はない。「ひとつの文化は決してひとつの唯一の起源をもたない」のであり、「文化の歴史において、単一の系譜学はつねに欺瞞になるだろう」。そしてこの非同一的な固有性に注意を向けることで、デリダはヨーロッパのなかに、「ヨーロッパでないもの、ヨーロッパでは一度もなかったもの、ヨーロッパでは決してないであろうものへとヨーロッパを開く」命法を聴き取る。つまり彼はヨーロッパの歴史のなかに、過去ー現在ー未来と続くその直線的同一性におさまらない開放性を発見していくことを提案する。以上の言葉は、彼の思考のあり方をよく表している。彼が伝統を重視するのは、つねにその同一性を拡散させるため、先述の表現を使えば「かも知れない」の位相を挿みこむためである。」p47-48
※歴史修正主義に抗するジャン・フランソワ・リオタール。彼は『文の抗争』のなかでこう述べる。
「アウシュヴィッツの名は、歴史的認識がその能力への異議申し立てに出会う限界を記している」
アウシュヴィッツの記憶は記憶不可能なものの記憶である[……]哲学はその不可能性を扱う。(p51)
「計測不可能な犯罪がかつて行われた。歴史的認識の限界は、その記憶へと遡行することで知られる。ならばその遡行はなぜ可能なのか。『争異』はまさにそれを根拠づけるため、多くの部分を割いて固有名の性質について論じている。」p52
※アウシュヴィッツの悲劇はなぜ悲劇なのか? 東浩紀は言う。
「あるひとは生き残り、あるひとは生き残らなかった。ただそれだけであり、そこにはいかなる必然性もない。そこでは「あるひと」が固有名を持たない。真に恐ろしいのはおそらくはこの偶然性、伝達経路の確率的性質ではないだろうか。ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ。リオタールとボルタンスキーによる喪の作業は、固有名を絶対化することでその恐ろしさを避けている。」p61
*「なぜデリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか」が本書の出発点
「問いは三つに分割される。
(1)デリダは何故ハイデガー的思考に抵抗したのか、あるいはデリダ的脱構築とハイデガー的解体のあいだの差異は何か。[以下略]
(2)デリダは何故その抵抗を、あのような(奇妙な)テクスト形態で展開したのか。これは理論と実践の接合、コンスタティヴな主張がパフォーマティブなテクスト形態を要請する捻れについての問いであり、答えるのがより困難なものである。[以下略]
(3)そしてデリダのそのテクスト実践、70年代から80年代にかけ最も活発化した「デリダ的脱構築」は、最終的にいかなる効果をもち、またいかなる認識を私たちに開いたのか。[以下略]」(p152-154)