ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

エトロフの恋

2003年10月15日 | 読書
エトロフの恋
島田 雅彦著: 新潮社 : 2003.9

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『彗星の住人』から『美しい魂』へ続き、そして完結編が本作。といいたいところだけれど、島田センセイ、これ完結してないじゃないですか!

 ♪ここは地の果てエトロフのぉ~(そんな歌あったっけ?)まで来たのに、カヲルの「男の更年期」にも付き合ったのに、ああそれなのに、ここまで読者を引っ張りながら終わらせないなんてズルイ。

 またまたこの三部作の作風の豹変ぶりには驚かされる。今度はカヲルの一人称物語。50歳を超えたカヲルは渋みと陰翳を加え、人生の敗残者の悲哀を背負って地の果てエトロフまで流れてきた。

 永遠の恋人不二子の影を慕い、アメリカに残してきた妻子の面影を懐かしみ、ロシアの巫女に癒され、死に体のカヲルは再生への道を追い求める。エトロフという、憂鬱と寂しさが凍りついたような島の風景が、人生をとうに折り返した男カヲルの心象風景と重なって、中年以上の読者には胸に迫るものがあるだろう。

 これまでにもまして作者の影が主人公カヲルに濃厚に付きまとうように思える。おそらく多くの部分でカヲルは島田雅彦なのではなかろうか。

 三部作がそれぞれ色合いの違うこの「無限カノン」、第一作が波乱万丈の大河物語、第二作が美しい純愛物語、第三作がニューエージもの。エンタメ的には第一作が最もおもしろかったが、恋人の姿が現れない本作も、ベールを被った恋愛小説の渋さが漂い、なかなかのもの。

 『美しい魂』のときも皇室をまともにモデルにしながら天皇制の評価については深入りを避けたように、今回も「北方領土」を舞台にしながら外交や政治の話は遠くでかすかに聞こえてくるだけのさらっとした叙述にとどめている。これは存外、物語を成功に導いている。

 本作をもって完結とはこれいかに。わたしは納得できません。島田センセイ、早く続きを書いてください。お願ひ。(つづく…を期待するファン)(bk1)

美しい魂

2003年10月15日 | 読書
美しい魂
島田 雅彦著 : 新潮社 : 2003.9

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めくるめく100年の恋が描かれた『彗星の住人』の続編は、蝶々夫人から数えて4代目のカヲルが主人公。大河物語に酩酊した第一作とは異なり、本作はいわば同時代史であり、時間はゆったりと流れて、カオルと不二子の恋をじっくりと描く。

 そうなると、第二作目は純粋な恋愛物語に収斂していく。もちろんカヲルは先祖3代の愛憎と流浪の血を芯にもつ人物として陰翳あるキャラクターに描かれるのだが、秘めた純愛を成就できないもどかしさが彼を他の女性へと駆り立てる様は、光源氏が藤壺への許されぬ愛ゆえに多くの女性と浮名を流した、かの王朝物語を彷彿させる。

 そして、恋愛小説の究極の形はやはり許されざる恋物語。二人の恋の障壁を何に設定するかが作家の腕の見せ所。島田雅彦はなんと、カヲルの恋人を皇太子妃に設定してしまった。日本の恋愛小説で、現代の皇室をモデルにしてしまうのはやはり勇気のいることであり、しかしその分たいそう魅力あることかもしれない。

 ただし、右翼の妨害脅迫によって島田はかなり書き直しをしたらしい。もうこれ以上譲れないというところまで手を入れたというのだから、作家の望む本来の形で出版できなかったことはファンにとっても切歯扼腕ものである。
 そういう理由があったからなのか、天皇制という危険な蜜を題材にしたわりには本作は文化論や政治論にはほとんど手をつけず、不二子という理想の女性への恋の堂堂巡りを延々と書き連ねる内容となっている。

 もちろんその恋の描写じたいも魅力があるし、不滅の恋を謳い上げる筆致は女性の心をいたく刺激して感涙にむせばせる力はある。しかし、しかし、しかし。『彗星の住人』がもたらした興奮をこの続編に期待すると肩透かしを食らう。その歯がゆさにため息をついてしまうのだ。

 天才歌手にして眉目秀麗なボヘミアンカヲルは、女性にとって理想の男性像であり、男にとっても憧れではなかろうか。わたしはすっかりカヲルに魅了された。

 そして読者は、この歯がゆい不滅の恋の行方を求めて『エトロフの恋』を手にするのである。(つづく)(bk1)