ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「空(くう)に吸はるる:小潟水脈歌集」青磁社 2003

2003年10月16日 | 読書
 ある日の仕事帰り、重い鞄に加えて買物袋をいくつもぶらさげ、荷物の重みに腕をとられながら我が家の門扉に嵌め込まれているポストを開けた。夕刊に交じって届いている封筒は青磁社という出版社からの冊子小包だった。著者の依頼による出版社直送便であることはすぐにわかったが、京都の青磁社の名は知らない。著者の小潟水脈はまったく見知らぬ名だ。そもそも何と読むのだろう? オガタ・スイミャク? いや、オガタ・ミオかな。
 そのまま封を開けずにダイニングテーブルの上に放り出したら、昼間のうちに夫が取り込んでいた葉書が目に付いた。歌集を出しました、出版社から届くと思いますのでご高覧ください、という意味のことが書かれた文字には見覚えがある。もう年賀状だけのやりとりになって久しいM子さんからの葉書だった。

 懐かしさに急かされてさっそく冊子小包の封を開けた。彼女の第二歌集だという。第一歌集は知らないから、これが初めて目にする彼女の歌だ。

 二十代のころの記憶が断片的に蘇る。彼女は京都のある女子大の学生だった。わたしより2,3歳年下の、大人しく訥々としたしゃべりかたをする、けれども理知的でいつも何事かを考え込んでいるような深い瞳をした女性だった。一度だけだがわたしの下宿に泊まってもらったことがあるし、何年もの空白の後に、子どもが産まれたばかりの拙宅に遠く大津から訪ねて来てくれたこともあった。

 わたしのことを忘れずに歌集を送ってきてくれたことがとても嬉しい。パラパラと読み進めるうちに、彼女の笑顔や少し困ったような傾げ顔、その小さな顔や声が蘇る。地元の役所に期限付き職員として採用された、とか、どこそこの労組の事務局員に雇われた、とかいう話は聞いていた。そのような仕事ぶりが窺える歌が何首もある。もうけっこうな歳だけれど、結婚せずお母様と一緒に暮らしておられることも年賀状で知っていた。そのような「パラサイト」を歌った歌もある。

 ざっと目を通したあと、お礼の電話をかけてみようと思い立ち、104番で訊ねた番号にかけると、お母様がお出になった。「大阪の谷合と申しますが…」と告げただけでわたしのことを認めてくださったのには驚いた。「娘が御宅にお邪魔させていただいたこともございますねぇ」とおっしゃる。嬉しくてついおしゃべりがはずみ、仕事で遅くなるM子さんが帰宅後に電話をかけなおしてくれることになった。
 そして久しぶりに聞いた彼女の声も話し方もちっとも変わっていないことがわかっていっそう嬉しかった。ぜひ全部きちんと読んで感想文を書かせていただきますと約束して受話器を置いたあと、少し興奮している自分に気づいた。こういう小さな喜びもあるのだなとしみじみする。何年も会わなくても、話すことすらなくても、細い細いつながりでも、つなぎ続ければいつかは心の片隅のかすかな思い出を両手でほろっと差し出す時が来る。

 さて、歌集『空(くう)に吸はるる』から心に残った歌をいくつかここに紹介したい。

いつになく試験の朝は化粧せり英英辞典に立てる手鏡

 これなど、「うんうん、わかるわかる」と思わず頷いてしまう歌。ふだん化粧しない女性がたまに顔をいじるとちょっと特別な感じがする。女には「化粧」という区切りのメルクマールがあるけれど、こういうとき、男の人はどうやってハレとケを区別するのだろう。

みづからの馴れぬ靴音耳に従く祝婚の帰路地下道長き

 普段履きなれない高いヒールのパンプスを履いたのだろう。カッカッカッと響く靴音。長い地下道といえば、梅田スカイビルへ続く地下道を思い出す。こういう場面も音とともに蘇る記憶を揺さぶる。

異性としてゆくゆく向き合ふべき人を待てる駅前いつもの石碑
肩ならべ池面に数へ見てゐしは蜻蛉の交尾 帰途に夕闇

 こういう歌が二首並んでいると、ほのかな恋心に微笑ましくも何か切なさを感じる。「蜻蛉の交尾」という言葉が、二人の関係に微妙に影響しているような、あるいは二人の関係を暗示するような艶かしさを感じさせる。

五件とも履歴書返れり石仏(いしぼとけ)庭掃除の時ずれたるゆゑか
唐突に採用通知石仏(いしぼとけ)庭掃除の時ずれたるゆゑか

 「五件とも…」の歌がページの末尾にあった。ページをめくると次に目に入ったのが「唐突に…」の歌。なんだかおかしかった。どっちにしても石仏のせいなのか。縁起かつぎなのね。くすりと笑ってしまうユーモアを感じた二首だ。

窓枠が区切る葉桜梢見る知事印五回押して顔上げ

 そして、石仏のおかげで採用通知がきて、彼女の仕事は知事印を押すこと。役所の臨時職員になったことがわかる。季節の変わり目と彼女の仕事ぶり、そのさりげない風情がよく伝わる一首。


雇用期限がヒューマニズムの賞味期限 二十二条さんら溜まる食堂
(地方公務員法第二十二条に臨時的任用職員に関する規定があることから、そのポストの者は「二十二条職員」「二十二条さん」と称されている。)

 ふーん、「二十二条さん」っていう業界用語があったのね。小潟水脈さんには仕事を通して社会へと目を向ける歌が多い。

土手に咲く雪柳見る小学生のあごゆつくりと上がつてゆける

 この歌集の中でいちばん好きな歌。情景がありありと目に浮かぶ。小学生の顎がゆっくりと上がるというゆったりとした時間と、子どもの背の小ささ、雪柳の高さを感じさせる、とてもいい歌だと思う。広々とした土手の空間、かわいい小学生、陽射しや花の色も感じ取ることができる。

居眠れる人の短き髪の上足をすりては蝿登りゆく

 ユーモラスな歌。なんかよくありありそうな一こまだけど、よく観察しているなぁと感心する。

改札口にむかひゆく背(せな)その顔の一時間後はユウちゃんの父

 会っているときは「父」であることを感じさせないその男性と歌人はどういう関係だろう。友達か、それとも…。余韻が残る歌。これも大好き。

ジーンズで出勤してきた校門に下宿斡旋ビラ渡されず

 大学職員に採用された小潟水脈さんは、ジーンズで出勤したのだけれど、学生には見えなかったらしくて、下宿斡旋のビラをもらえなかったのね。うーん、この悲哀というか苦笑というか、わかるなぁ。自分ではいつまでも若いつもりなのにねぇ。いつのまにかおばさんにしか見えない自分が悲しい。

三日越しのお好み焼きを退治して曇天の朝を出勤してゆく

 これもよくあるある、という一首。うちも何日越しの食べ物が冷蔵庫にうなっております。こういう、日常生活を切り取ってきた歌も多い。

10.21マニアックな日は知らないと三十五歳の労組役員

 これも彼女の職場の労組役員のことなのだろう。10.21国際反戦デーを知らないという労組の若い役員に時の流れを感じる一瞬。

家ごとに「とうさん」と呼ばるるひと在るを葬儀手伝ふ一日に思ふ
こんにちはと知人のごとくすれちがふ雑踏の中わが父親と

 細かい事情はしらないが、彼女のお父さんと家族は離別して長いようだ。別れた父の歌もこの歌集にはいくつかある。父に感じる距離感、長い不在が生むぎこちなさとやはり切っても切れない親子の情、その複雑な感情が伺える。


 小潟水脈さんはこれからもたくさんの歌を詠み、また第三歌集を出版されることと思う。短歌にしては固い表現がいくつか目につく歌風が、歳とともにどのように変わっていくのだろう。これからも楽しみにしたい。長い間会わずにいた彼女の生活の一端がこの歌集を通じてわたしのもとに届けられた。それは問わず語りの人生模様を読むようでもあり、懐かしい友との空白を埋めるよい機会になった。わたしにとっては小潟水脈さんではなく今までもこれからもM子さんなのだ。
 M子さん、どうもありがとう。高価な本なのに届けてくださったこと、心から嬉しく思います。ぜひまたお会いしましょう。あなたの笑顔が目に浮かびます。