ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「パレード」

2003年01月21日 | 読書
 ヤスケンさんには酷評だった「センセイの鞄」、でもわたしはいたく感動した。正直言って、あんな小学生の作文みたいな小説に感動するのは悔しいのだ。でもよかったのだからしょうがない。

 なので、ついついこんな薄っぺらい本も買ってしまったのだ。
 だって、あのセンセイとツキコさんが出てくるのだから。

 「センセイの鞄」を読んでいる読者には、二人がそうめんを調理して食べる、その冒頭の描写だけで、もう暖かく凛とした気持ちに入っていくことができる。思わずそうめんを食べたくなるようなおいしそうな描写といい、子どもの頃の不思議な物語、そしてセンセイの暖かい手、すべてがツキコという40に手の届く女性の心とからだの芯の深いところで一度鳴り響いてから、読者の胸元にすっと入ってくるのだ。
 
 小学生の作文のよう、と書いたが、川上弘美は擬態語・擬声語の表現が実にうまい。特段に目新しい表現があるわけでもないのに、どきりとする新鮮さがある。そして、身体感覚の表現が斬新だ。気まずさに冷や汗をかきそうな場面で、「指先が縮んでいくような気持ち」と表現されてしまったら、もう「参った」と言うしかない。

 この作品は、小学生の頃に誰もが一度は経験したような、切なくてほろ苦くて心が痛くて少し優しい想い出が読者を満たしてくれる、大人のための童話だ。
 センセイの手が暖かい。何度も出てくる、この手の描写が秀逸。70歳のセンセイの手は乾いて節くれだっているだろう。だけど齢の数だけきっとやさしい。握られていたいと思う、こんな手に。

 この本を読む前に、「センセイの鞄」を読むべし。センセイのすっと伸びた背筋と凛とした声を感じながら、「パレード」をしみじみ楽しむことができる。

 こんな短い話で1000円? うーん。ま、いっか。

 ※これを書き終えて、ヤスケンさんのご逝去を知りました。
   ご冥福をお祈りします。合掌。
(bk1投稿書評)