天竜二俣駅の南側の駐機線にていったん停止して、今度は逆方向に進み始めたゆるキャン車輌です。
ゆっくりと、朝に見たのとは逆の順序で本線に戻ってゆきました。
分岐路から本線に入る瞬間です。
そして本線上を駅ホームに近づいてきました。このときの時刻は15時33分でした。
ホーム東の旧ホームにてローアングルで撮影。
ホームに入りました。
これが私自身のゆるキャン車輌乗車の最後の機会となりますので、天竜二俣駅の駅名標とあわせて記念に撮りました。
乗客は私のほかに1名だけでした。静かな車内のラッピングデザインは撮り放題でしたが、既に殆ど撮っていましたから、適当に好きなデザインだけを撮りました。
静かなる車内。
一度振り返って、後部を撮影。
最後の乗車では、前部の横シートに座りました。上図のデザインがすぐ横に見える位置でした。
土岐綾乃です。なにげに好きなキャラクターです。なにしろ苗字の土岐がカッコイイです。土岐、というのは山梨県でいう武田、静岡県でいう今川や北条、と同じぐらいのインパクトをもつ苗字だからです。
岐阜県各務原市出身で、つまりは美濃国が故郷である私ですが、その美濃国の守護職を務めた源氏の名門が土岐氏なのです。鎌倉幕府および室町幕府の有力奉公衆として長く君臨し、戦国期の斎藤道三が最初仕えた主君でもあります。織田信長の正室となった濃姫、そして明智光秀も土岐氏一族に連なります。家紋の桔梗は、美濃国および近隣諸国に幕府の旗印同然に怖れられたといいます。
土岐氏の最後の美濃国守護職であった土岐頼芸(よりのり)は斎藤道三によって追放されますが、文化人としても知られ、幾つもの書画を書き残しました。特に鷹の絵を得意とし、その作品は「土岐の鷹」として珍重されています。多くは文化財に指定されて東京国立博物館などに所蔵されています。
土岐綾乃が、その土岐氏の子孫であるという設定は「ゆるキャン」ではありませんが、浜松市民なのであれば、かつては遠江浜松に勢力を拡げた遠江土岐氏、つまりは土岐左衛門尉光時を祖とする土岐肥田氏の末裔かもしれないな、と勝手に想像しています。
新所原までの区間はこの土岐綾乃を眺めつつ、のんびり過ごそうと思いました。 (続く)