気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見歴史散歩10 藤森神社

2023年11月28日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 栄春寺の旧伏見城惣構え土塁を見た後、そのまま旧奈良街道を北上し、約600メートルほど走って、上図の藤森神社の西口に着きました。
 ですが、この西口は徒歩参拝者のみの出入口であるようでした。車やバイクは北側から入ることをあらかじめ調べていたので、北へ回って京都教育大学の西門前の北口から入り、駐輪場に原付ビーノを停めました。

 

 駐輪場は境内地の西側にありましたので、西口の参道に回って鳥居からの石畳道を進み、上図の拝殿前に出ました。こういうところか、と辺りを見回しました。

 実は、この藤森神社に参拝するのは今回が初めてでした。今まで何度か旧奈良街道を走って横を通り過ぎていたのですが、なかなか立ち寄る機会がなかったのでした。今回の伏見歴史散歩のコースの前半にて、伏見稲荷大社に寄った際に、その境内地がもとはこの藤森神社の前身のひとつ藤尾社の鎮座地であったことを知り、その藤尾社をも訪ねてみようと思いついて、ようやくこの神社に参った次第でした。

 

 参拝の目的はもう一つありました。この藤森神社には、貴重な社殿建築遺構が三棟も伝わっており、二棟は国の重要文化財、もう一棟は京都府指定文化財になっています。それらの建物の歴史的価値が大変なものなので、一度拝見しておこうと考えたわけです。

 まずは京都府指定文化財の一棟を見ることにして、その建物である上図の藤森神社本殿に向かいました。

 

 参拝直前に、脇の上図の文化財指定標識を確かめました。御覧のように「旧御所賢所」とあります。江戸期の宝暦五年(1755)に京都御所の皇居内侍所仮殿として造営されたもので、現存の棟札によって明和四年(1767)に移建されています。中御門天皇より藤森神社に下賜されたもので、現存する賢所(内侍所)としては最古の例として知られています。

 

 その賢所の建物の西半分を神殿となし、御覧のように三間に分けて東殿・中央・西殿の三座をお祀りしています。このうちの東殿が、もとは伏見稲荷大社の境内地にあった藤尾社にあたり、崇道尽敬皇帝(舎人親王)を祭神として祀っています。

 続いて中央の間には、元からこの地に祀られていた三韓征伐にまつわる7柱が祀られています。素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇です。
 西殿は、平安期の延暦十九年(800)に早良親王を祀る神社として塚本(現在の東福寺近辺)の地に創建されたのを、室町期の文明二年(1470)に藤森神社に合祀したものです。

 総じて、皇室系の祭神を祀る神社であることが分かります。京都御所の皇居内侍所の建物を下賜されたのも、そうした由緒と祭神の格によるものであったわけです。

 

 本殿前にて礼拝した直後に、本殿の賢所の建物の様子を覗き込んだのですが、神前の左右に立派な獅子・狛犬の一対が配置されているのに驚かされました。平安期以来の古式を踏襲しているようで、向かって左の上図の吽形が狛犬です。頭上に角があるので間違いありません。

 

 そして向かって右には、上図の阿形の獅子が見えました。いずれも青緑とおぼしき色で塗られ、眉やタテガミや尻尾などの毛の部分が茶色に塗られています。こんな立派な獅子、狛犬の彫像は京都でもなかなか見られませんので、双眼鏡を出してしばらく観察しました。

 藤森神社には平安期の狛犬一対が伝わって国の重要文化財に指定されていますが、現在は京都国立博物館に預託されています。上図の本殿にあるほうは江戸期の特徴を示すので、本殿の下賜移築の際に古式にのっとって新造されたものかと思われます。

 

 本殿を西側から見ました。神社の神殿というには、全然それらしくない造りの外観です。もとは旧御所の賢所をそのまま移してきて本殿として使用しているようで、神殿への建て替え改造は最小限にとどめられているようです。

 

 本殿の背後に、二棟の国重要文化財の社殿があるということなので、見に行きました。西側から回ったので、一番西に建つ上図の建物が最初に目に入りました。近づいてみて、あ、これは違う、と気付きました。

 

 この社殿は天満宮でした。建物も江戸期のもので、文化財指定標識もありませんでした。  (続く)

 

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