気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見歴史散歩5 伏見稲荷へ

2023年11月07日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 源空寺を辞して、京阪の伏見桃山駅まで戻りました。その時点で正午を回ったため、軽く昼食をラーメンでいこうと思い付き、朝に続いてのラーメン店はしごを試みました。上図の「大黒ラーメン」伏見本店に寄りました。

 

 「大黒ラーメン」は、京都では知られたラーメン有名店のひとつです。私自身はいつも東福寺駅近くの東福寺店で食べますので、実は伏見の本店に行くのは今回が初めてでした。

 

 ですが、味は東福寺店と変わりませんでした。京都のラーメン店は本店と支店とで微妙に味が異なるケースが多いようですが、ここ「大黒ラーメン」は一致して昭和59年創業以来の味を堅守しているようです。

 

 うーん、旨い。昔ながらの京都ラーメンの素朴な味わいが、初めて食べた昭和61年夏の記憶を呼び覚ましてくれます。

 

 この日の二軒目のラーメンに大満足し、京阪の伏見桃山駅から上図の伏見稲荷駅まで乗りました。

 

 伏見稲荷駅から南東に進んで、次の目的地である伏見稲荷大社の参道筋に入りました。コロナ禍後の観光客の激増によって、商店街からは大混雑のなかに巻き込まれました。以前は中国人や韓国人が多かったようですが、このときは欧米からの人々が多かった印象でした。

 

 伏見稲荷大社の大鳥居前に来ました。すぐ南のJR稲荷駅からの観光客の波が加わったものの、大半は商店街での食べ歩きが目的なのか、そちらへ大挙して流れていきました。上図の正参道へ進む観光客は割合に少なく、大部分は門前商店街を経由して裏参道から境内地に入る流れのようでした。海外の観光サイトにおける伏見稲荷大社の案内マップが、商店街巡りや食べ歩きも楽しめる裏参道からの入場を勧めているから、と聞いたことがあります。

 

 私自身は、昭和63年に参拝して以来でしたので、実に35年ぶりの訪問でした。以前よりも参道筋の景観整備が進んだらしく、記憶とは異なる社前の光景が広がっていました。こんなところだったかなあ、と首を傾げたほどの変わりようでした。35年という歳月の長さを思いました。

 

 ですが、参道北側の摂社群のたたずまいは、昔のままでした。変わったのは周囲の建物で、高いビルが目立っていました。

 

 摂社のひとつ藤尾社。祭神は舎人親王、現在は藤森に在って藤森神社と呼ばれる藤尾神社がかつてここに鎮座していた歴史との関連が推測される古社で、いわば藤森神社の旧地としての由緒を示すものと思われます。現在の社殿は江戸初期の建立で、国の重要文化財に指定されています。

 

 藤尾社の隣には熊野社が並びます。平安期以降の歴代上皇らが熊野御幸の途次の稲荷奉幣(いなりほうへい)の際に拝礼されたと伝えられ、熊野大社の分社と位置付けられています。現在の社殿は江戸期の元禄七年(1694)の建立で、国の重要文化財に指定されています。

 

 正参道の二番鳥居より楼門を見ました。境内地の結界口として位置づけられる鳥居です。

 

 伏見稲荷大社の正門にあたる楼門です。天正十七年(1589)に豊臣秀吉が寄進して再建したもので、安土桃山期の神社の楼門としては最大級の規模を持ちます。三間一戸、入母屋造で、屋根は檜皮葺。江戸中期に追加された南・北廻廊とともに国の重要文化財に指定されています。

 

 楼門脇の説明板です。この楼門は、江戸期の修理時に位置を少し西に変え、周辺の整備が行われて石段が設けられ、それに伴って南・北廻廊が追加された旨が述べられています。
 豊臣政権期の正統的な歴史的建造物は移築されていることが多く、建立時の原位置を保っているケースは稀だとされていますが、ここの楼門も例に漏れないようです。  (続く)

 

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